日本 カルト 宗教。 ちょっと前の懐かしい事件〜カルト宗教編〜

日本教というカルト宗教――洗脳される国家観

日本 カルト 宗教

パックンさんは、とっても知的で優しいですよね。 いまはどこかの大学の先生だと思います。 で、 話戻るけど、 日本ぐらい「宗教的」な国はないくらいだけど、 なぜか、日本に住んでいる人は、 自分は「だ」って思いこんでる人、多いよね。 やってみようクイズ。 ほんとに日本の人は「」なの!? なかでも一番大切なのは10番目の質問。 むしろ、日本の人は生活面でも年間を通じて、とても宗教的なものに彩られている。 もちろん、それは悪いことなんかじゃないし、宗教的をもつことはネアンダルタール人の頃から当たり前のことだといってもいいでしょう。 それだけではなく、 日本の政治においても、与党、現在のと政権は圧倒的にが優勢だし、はが地盤です。 日本はそれほど宗教票の占める割合が多く、宗教団体が大きな政治力を持っているという事です。 それでも、日本はなの!? この意識の乖離 かいり はいったいなんなんだろう。 どうして日本の人は、自分だけはって思うんだろう。 その意識を、パックン、こと、 Patrick Haran さんが解説してくれます。 っつか、パックンはで比較宗教学専攻でした! お笑い芸人。 1993年、比較宗教学部卒業。 同年来日。 1997年、とお笑いコンビ「」を結成。 2012年10月より、の推薦で非常勤講師に就任し、コミュニケーションと国際関係について教鞭をとる。 著書ほか多数 パックンは賢い人なので、かなり控えめな言い方をしていますが、 日本は、オウム教団の幹部7人を死刑執行したことによって、カルトと向き合う事を自ら放棄したのではないか、という点が危惧されます。 悪政が処刑を利用することはあっても、 真相の解明なくして、何事も処刑で片付く事件などありません。 かつ、日本は宗教カルトの研究が軽視され過ぎています。 多くの先進国が日本戦後初の大規模死刑執行に反対し警告しているのには、まっとうな論拠があるのです。 — LoveSophia milanochiostro は、エリート学生の信者を多数獲得し、政治力を得て、実は海外でもその信者を伸ばしていました。 テレビに出演したり、日本でも各大学の学園祭で講演会を開き、ビジネスも展開。 京都でも、やラーメン店を展開していました。 丸太町にあったラーメン店はやスーパーとセットになっていました。 つまり、実は人々の暮らしのそばに身近にあり、日本に今も多く活動するカルト系の一つだったわけです。 なぜ人々はカルトに吸い寄せられていくのか、 そしてなぜカルトは政治と結びついていくのか、 の1995年から、20年以上もたって、今やカルト宗教は、かつてと違う方向性に繁栄空間を得たように思う。 スピリチュアル系で学生を呼び込み、極右政治運動やを吹き込んでいく宗教団体。 この宗教団体は、の奇襲からあの太平洋戦争を展開した日本は、途方もない人々の命と尊厳を奪い、殺戮と暴力と破壊を重ねていったのではなく、なんと「世界から人種差別を撤廃した」と。 「すばらしい誇るべき戦争」という突拍子もない考えを学生にふきこみ、明るいファッショなデモをしていきます。 いつ、あの戦争が「世界から人種差別を撤廃した」のでしょうか。 つまり、オウムという教団を解明することは、今の日本の右傾化を解明するうえでも、とても重要なことだった、にもかかわらず、なぜ処刑という形で終止符を打とうとしたのでしょう。 こと死刑囚ら、の元幹部7人の死刑が7月6日に執行され、世間は久しぶりにオウムの話題で沸騰した。 僕の周りでは「宗教って怖いね~」や「日本人はだいたいでよかったな~」といった声が多かった。 死刑執行の翌日に乗った飛行機の機内アナウンスで、の声が流れてきた。 「〇〇航空をご利用いただきありがとうございます。 今日は七夕です。 皆様が短冊にお書きになったお願いが叶いますように、乗務員一同、お祈り申し上げます」。 興味深い。 機内を見回すと誰も不思議そうな顔はしていない。 「色紙に記し、笹から吊るしたお願い事が、乗務員の祈祷力で成就するかもしれない」という意味に取られてもおかしくないこの一節を、の人は何の違和感もなく聞き入れるのかな。 そういう疑問が頭の中に浮かんだ。 もちろん、社交辞令として聞き流している可能性はある(もちろん、乗務員は本気で祈っていると思うけど)。 でも、こんな言葉に見え隠れする異次元の力を、どこかで信じている部分もあるのではないかと思い始めた。 日本人はお守りを捨てられないし、鳥居をくぐるときは頭を下げる。 具体的なメズムが分からなくても「罰当たり」は、ほぼ全国民がなんとなく信じているのではないだろうか。 批判ではない。 僕も毎年初詣をするし、お線香をたいて亡くなった親戚に手を合わせる。 20年前にもらっただるまも、なぜか処分できない。 鍵や携帯電話が見つからないときは必様に祈る。 しかも、どれも者と自称しながら。 僕だって言っていることとやっていることが違う。 認めよう。 では、日本の皆さんは本当はどこまでなのか。 が5年おきに行っている「日本人の意識」調査のデータを見ると驚きの実態が浮き彫りになる。 神を信じる日本人は3割以上いる。 仏だと4割を超える。 約6人に1人が奇跡を、ほぼ同じ割合でお守りの力を、さらに7人に1人以上があの世・来世を信じる。 逆に「宗教や信仰に関係していると思われることは何も信じていない」と答えたのは25%にとどまる。 どうやら、大半の国民になんらかの信仰心はあるようだ。 行動を見るともっと驚く。 7割以上の人がするというお墓参りをはじめ、合格祈願をしたり、おみくじを引いたりなどの「宗教や信仰に関係していると思われること」を行っている人が圧倒的に多い。 何もしていないというのはたったの7. 5%だけ。 つまり、「宗教っぽい何か」を信じている人が75%、やっている人が92. 5%もいるということだ。 個人的には、少なくとも2割近くは存在するはずの「信じていないのに宗教っぽい何かをやっている」人も気になるけど、とにかく、データから見えてくる日本人はと言いづらいのだ。 批判ではない。 僕だって超自然の力を信じる。 僕の好きなも優勝できたし、相方のマックンも結婚できた。 奇跡以外で説明がつかない。 僕も日本の皆さんも「」と名乗らないほうがいいのかもしれない。 「国」カ カ人から見れば、日本の宗教色は確かに薄い。 およそ半分のカ人が教会に通う。 信仰心が強く、普段から布教活動をしている人も多い。 専門のラジオ局もテレビ番組もある。 日頃から十字架のジュエリーを身に着けている人をよく見る。 その1人があの有名なポップス歌手。 十字架を着けるだけではなく、マリア様の別称を名乗って活動しているのに、半分冒涜的な内容の曲で有名なあの人。 それでも、皮肉なことに徒にもマドンナファンは多い。 生活レベルの話だけではない。 をうたいながら、カ政府関連のものにも宗教の要素が浸透している。 公立の小学校で学生が毎朝唱える Pledge of Allegiance(忠誠の誓い)の中には One nation,under God (神様の下の一つ国)とあるし、大統領は就任式で、裁判で証言者は聖書に手を載せて誓う。 また、ドル札には In God We Trust(われわれは神様を信用している)と書いてある。 逆に、発行元のを信用していないのかと、ちょっと不安になるくらいだ。 そんなわが国に比べると、確かに日本は「」に感じる。 でも、「無」ではない。 上記の調査からも分かるように、何らかの信仰を持ったり、宗教っぽい行動を取ったりしている人がほとんど。 占いや風水なども人気だ。 さらに、宗教的なイベントも目立つ。 盆踊りを踊ったり、お神輿を担いだり、神社仏閣でお祭りを楽しむことは毎年の風物詩。 有名な話だが、日本人は生まれるときは神社、死ぬときはお寺、さらに近代だと結婚するときは教会にお世話になると、人生の節目にも宗教が必ず絡んでくる。 それだけを見ると日本は「有宗教」な国だ。 でも他方で、毎週お説法を聞きにいったり、毎日お祈りをしたりする人は少ない。 布教活動をする人とはめったに出会わないし、神様の思し召しに合わせて仕事や結婚相手を選んだり、人生のいろいろを決めたりする人もほとんどいない。 また、何かの信仰をもって、他宗教に対して排他的な考えや行動を取る人も見ない。 現代の日本人が持つ宗教概念の下で戦争を起こしたり、他人を虐げたりすることもまずなさそう。 結局は楽しい儀式を残しつつ、宗教のマイナス面を省けている。 ほどよい塩梅の宗教観だと、僕はいつも感心している。 では、これをどう表現すればいいのか。 はとりあえずやめてみよう。 外国に比べると熱度が低いから「薄宗教」や「弱宗教」と言えるかもしれない。 もしくは、都合のいいときにだけ利用しているから「コンビニエンス宗教」も考えられる。 宗教から得られるものもたくさんある 正直、言い方はなんでもいい。 とにかく 自分のことを考えるとき、宗教と無関係だと思ってほしくないのだ。 それが、から教わるべき教訓の一つ。 多くの人は「われわれはだ」という見方から、オウムの教えや信仰をあざ笑い、「バカバカしすぎる」と軽く片付けているようだ。 しかし、これは危険な思い込みだと思う。 「あいつらと違って、われわれのは形だけの宗教だ」とか、「健全な信仰だ」と、安心するのは少し甘いかもしれない。 ほとんどの人は最初から宗教的な何かを信じている。 「信じる心」を持っている。 教育大国、技術先進国の国民であっても、思っているほど危ない宗教の魅惑・誘惑に免疫ができているわけではない。 ー、コミュニ、存在意義などなど、宗教から得られるものはたくさんある。 社会との不一致を感じたり、孤独感に駆られたり、生き甲斐を見失ったり、何かを求めたりする人にとって宗教の魅力はあらがいがたい。 と名乗りながらも、最初から超自然的なものを信じている人が多い。 困ったときに、自身の要求に答えるものが多少非現実的であっても、少し非常識であっても、理性に反しても、それについていくのは想定外の話ではないはず。 その可能性を想定内にしないといけない。 次のオウムが生まれないようにするには、政府や社会が1人1人へのケアを充実させるのも大事だ。 同時に、 「」に隠れている宗教観と心理を分析し、理解し、周知する必要もあると思う。 それを把握した上でないとへの本質的な対策はできない気がする。 でも逆に、その理解を踏まえれば、超自然的な力を借りずに個々の精神的な、社会的な要求に応じる「何か」が生まれるかもしれないと僕は...... 信じる。 というか、生まれると祈っている! この間、短冊にもそう書いた。

次の

日本の宗教団体・宗教法人・新興宗教一覧

日本 カルト 宗教

文化庁が毎年実施している「宗教統計調査」によると、2016年12月31日時点の神道系宗教団体の信者数は8474万人、仏教系団体の信者数は8770万人で計1億7244万人だった。 これにキリスト教系やそれ以外の宗教の信者数を加えると1億8223万人となり、日本の人口約1億2600万人を4割も上回った。 人口よりも信者数が膨らむのにはいくつかの理由がある。 一つは、信教の自由・政教分離の原則を尊重し、宗教団体に対する行政の関与を最小限にしようという考え方があるためだ。 統計は宗教団体の自発的協力によるもので、「信者」をどう定義するかも各団体まかせの自己申告制。 かつては信者数の合計が2億人を上回ったこともあった。 もう一つは、日本人の宗教とのかかわり方だ。 日本では、土着の原始宗教をベースとした神道と6世紀頃に大陸からもたらされた仏教信仰が交わり、明治政府が神仏分離令を出すまでの1000年以上に渡って「神仏習合」の時代が続いた。 神道にも仏教にも明確な入信の儀式はないため、信者としての自覚がないまま、生活様式や季節の行事として人々の生活の中に宗教行事が根付いている。 このため、多くの日本人は、クリスマスイベントを楽しんだ一週間後の大晦日にはお寺で除夜の鐘をつき、年が明けると神社に初詣に行くことに違和感も罪悪感も感じていない。 結婚式は教会で挙げるけれど、葬儀は仏式が多数派だ。 自宅に仏壇と神棚の両方を備え、「寺の檀家」あり「神社の氏子」であることも珍しくはない。 こうして、二重にカウントされている人が少なくないことが、人口よりも信者数が膨らむ原因だ。 ちなみに、全国の神社数は8万1158社、寺院は7万7256寺だった。 日本の大手コンビニ3社(セブン-イレブン、ファミリーマート、ローソン)の全国の店舗数の合計は5万1366店舗なので、神社や寺はコンビニよりもすぐ近くにあるということになる。 都道府県ごとの寺院と神社の数のトップ5は以下の表の通りで、信長、秀吉、家康と3人の天下人を輩出した愛知県は、権力者が氏神をまつる神社や、先祖が眠る菩提寺を手厚く保護した歴史の名残で今も寺や神社が多いと言われている。

次の

ちょっと前の懐かしい事件〜カルト宗教編〜

日本 カルト 宗教

もしも何かよくわからないけどちょっと興味ある団体活動に誘われたならば、その団体の実態をよく調べないといけません。 それはカルトかも知れないからです。 ここにカルト問題についての基礎知識と、とりあえずの対策について、よくある質問に回答します。 Q1 カルトとはどういう団体なのですか? カルトは人権侵害の組織です。 組織に依存させて活動させるために、個人の自由を極端に制限します。 つまり、全体主義的集団です。 カルトは、こうした人権侵害の正体を隠すためにマインド・コントロールを用いることが多いです。 Q2 マインド・コントロールとは何でしょうか。 もしも自分が関わっている団体がカルトだと気づいたら 弁護士からのアドバイス 弁護士として述べれば、対応する人は証拠を確保することに留意してほしい。 破壊的カルトは、違法行為をし人の利益を繰り返し侵害するから問題なのであり、それが証明されて初めて法的な問題になり、かつ「信教の自由」を逃げ口上にさせない力になる。 誘拐や文書偽造などの一般刑事事件とか、学校教育法などの行政法規違反はもちろん、未成年者に対する居所指定権の違反、親族関係への異常な侵害行為などは、民事法・家族法のうえで違反行為になる。 説法や誘拐ビラなどの文書は日付をつけて保存し、不当な勧誘や脅迫は録音し、紛争の現場は日付入りのカメラやビデオで撮影するなど、さまざまな工夫が必要である。 献金の領収書がなくとも、その金が動いた日時と、どうやって用意した金銭か、どう言われて献金したかを証明できれば道がひらける。 同時に、理解ある弁護士を育て、行政・警察などに注意を向けさせることが重要である。 破壊的カルトは、メンバーの家族の会、元メンバーの会、対応する弁護団、対応するカウンセラーグループを作っていって初めて十分に対応できると考える。 家族や元メンバーが熱心にならなければ、弁護士やカウンセラーは決して助力しない。 カウンセラーからのアドバイス• 看板に偽りアリ。 楽しそうなサークルと思っていたら、何か宗教的な話やビデオ教育などが始まった。 それは破壊的カルトの可能性大です。 正当な宗教サークルは名前を詐称しません。 もしおかしいと思ったらはっきり断る。 たとえ勧誘した人が魅力的でありやさしく思いやりのある人に思えても、きっぱりと断らなければついつい深入りしてしまいます。 誰かに相談する。 「ここでの話は深い意味があり、ほかの人には理解できない。 だから友人や家族には話さないように」などと言われるなら、もっと危険です。 マインドコントロールは自分の頭で考えはじめるなら解けてしまいます。 そのためには友人や家族など誰かに話すのが最も良いのです。 情報規制を感じたら速く逃げなさい。 社会情報がみな誤りであり、この団体の言うことだけが正しいなどと言われたら、速く逃げるべし!あなたはもう破壊的カルト集団の一員と思われているのです。 オウム真理教信徒が、今でも社会情報はみな間違っているなどと妄想しているのをみればよく理解できるはずです。 はっきりしないときは専門家に相談する。 以上のポイントに注意して、なおかつ確認したいときには破壊的カルト問題の相談窓口に連絡して下さい。 オウム問題をきっかけとして、そのような窓口が以前より増えました。 もしも家族や友人がカルトに入っていると気づいたら 1)適切な対応のために初期段階、教育段階、正式メンバーの段階があることを知っておこう。 その緊急措置と長期的対応について各段階で対応に仕方に違いがあるから。 初期段階とは、巻き込まれた団体が破壊的カルトであるとは本人も気づいていない段階。 勧誘されてサークル活動や宗教色のある活動を始めたけれどもそれが宗教団体であるとはまだ聞かされていない。 教育段階とは、すでに破壊的カルトの導入教育(ビデオ・修行・講座受講・合宿)にはまってしまった段階。 ここでの特徴は宗教的教義を繰り返し反復教え込み、段々と家族や友人との関係が疎遠になって行くこと。 この教育段階の半ばか後半で、本人にこの団体に対する忠誠心が芽生えたところで、ここは「…」という破壊的カルトであることを知らされる。 破壊的カルトの正式メンバーとなってしまった段階とは、教育段階が終わったところで正式メンバーとしての儀式(あるいは認定)がなされた段階。 多くの場合、出家・献身・長期の研修や、あるいは学業放棄・退社などがあり、本人と家族との衝突が起こって、この段階でやっと家族の一員が破壊的カルトに入信したことを知るケースが最も多い。 2)家族の一員が破壊的カルトに巻き込まれてしまったことに気づいたら、すなわち応急処置(初期・教育期・メンバーともに共通)• まず焦らないこと。 家族の一員が破壊的カルトに引き込まれそうになっている場合、当然、本人をそこへと行かせないようにしたらよいと家族は考える。 そこで「やめろ」「やめない」の押し問答になる。 あるいは「自分はそんなところに行ってない」と言われ、話し合いにもならないことも多くある。 確認すること。 そこで家族が最初にすることは、本人が入っているところが問題ある団体かどうか、という確認である。 その団体は今までに悪徳商法や強引な勧誘で問題になったことがある団体だろうか。 そしてその団体についての資料を集め検討することから始まる。 本人の入っている団体が何であるのか分からずに大騒ぎをして全く見当はずれであった、とならないために。 冷静に話し合うこと。 もし、破壊的カルトらしい団体であると思われるなら、それが初期段階ならば「やめろ」「やめない」の押し問答にならないような話し合いの場を設ける。 初期段階で、それもはっきりと問題のあるカルトであれば、それまでの問題性(社会情報)を家族で「冷静」に話し合うことで分かってもらえることは多い。 しかし、教育段階それ以上の段階では、こういう家族の努力も無駄となってしまうどころか、逆に破壊的カルトの思うつぼとなる場合が多くある。 教育段階では「反対されたときのマニュアル」もその過程の中に入っており、家族の努力がかえって家族関係を悪化しかねない。 もしこのような段階ならば相談窓口に連絡してアドバイスをもらうとよい。 3)次は家族が本人と会話するときのポイントである。 まず、ミイラ取りがミイラにならないように、あなたも誰かに相談して命綱を結んだ上で!• カルト・マインドの二重構造を知っておく。 マインドコントロール下にあることを認識しておく。 家族が一生懸命に説明し分かってもらおうと話し込んでも、家族の話を本人はカルト的思考法でしか聞くことができない。 カルト的思考では「これだけ社会に対して被害を出しているんだぞ」と話すと、「社会は悪であるから、よいことをしている」などと、頭ではカルト的思考によって理解してしまうのである。 こういう行き違いから、話し合いは困難となる。 しかしカルト的思考になっていても、本人の感情は失われてはいない。 「社会的被害」を聞けば当然、内心では心に痛みも感じる。 無批判に聞く。 本人はカルト的思考で考えているのであるから、その考え方に耳を澄ませて本人の言うことを聞いてみる。 家族が一方的に強圧的な言い方をすると、本人としては強い反発をするか、黙秘を最後まで通すしかない。 まず本人の言い分を聞く、無批判に聞く、その後、「どうしてそう思うのか」、あるいは(本人の話を聞いて)家族として疑問に思うことを投げ掛けてみるとよい。 本人の良い意志・向上心を認める。 勧誘において、この学びを続ければ「あなたは必ず変わる」という言葉がカルトのキャッチフレーズである。 向上心をあおられながら、そこへと入っていったことだろう。 だから本人の良い意志・向上心を認めながら話し合わないと、家族は「私」を理解しようとしないという不満が本人に募る。 カルト体験で疑問に思ったことはないか聞く。 現役のカルト信者はその団体に属して体験したこと、例えば「神秘体験」や「教えに疑問を持った時のこと」などは家族にもなかなか話そうとしない。 ことに「神秘体験」は秘義とされているから。 また「教えへの疑問」もほとんどの信徒は体験している。 ただし「疑問を持つ自分はなんて不信仰者だ」「もっと続ければ本当のことがわかる・究極の真理がわかる」と自分に言い聞かせてこれまでやってきたのである。 このような疑問に思った体験を家族が聞けるなら、解決は近い(しかし、無理矢理聞いては逆効果となる)。 最低限のカルト用語の知識。 本人の言うことをまず批判しないで聞くなかで、本人の考え方を知ってほしい。 同時に、マインドコントロール関連の書籍で学んで於くことも必要。 社会復帰を急がない。 教育段階以上の、特にカルトメンバーになってしまった段階の人には社会復帰をいそがないことが必要。 頭では破壊的カルトの問題性を理解していても、心情面ではすぐには吹っ切れないのである。 家族が本人の社会復帰を急ぐあまり、かえって本人はふさぎ込み、問題を難しくしてしまうケースもある。 カウンセリングへの心構え 平岡正幸) 1) まず最初に、その団体の脱会者の手記を読み、教えの内容や活動、それに中で励んでいる人がどのような動機で入信し、そしてどのような思いを持って励んでいるのかを知ることから始めましょう。 むやみに本人の属している団体を非難することは得策ではありません。 本人は団体のことを何も知らないゆえに家族・友人は反対している、としか思いません。 自分のことを何一つ分かってはくれない、という不満が残るだけです。 それに、家族や友人の無理解な反対によって、団体はブラックリストに入れて、救出をさらに難しくしてしまいます。 その団体が本人に教え込んでいる理想像、その実現のために挺身努力している本人の思いを脱会者の手記から理解し、団体の問題性とは別に、本人の良い意志を尊重する気持ちも持たなければ、会話は成立しません。 本人はカルト的二元論、団体は善・社会は悪という思考に支配されており、この二元思考で物事を考えているので、家族・友人はそのことを踏まえて接しなければなりません。 2) 家族・友人の受け入れ態勢• 家族・友人がどのような体制を築くのかが、最も大切なことです。 この問題の発生は、家族への本人の叫びとして受け止めたいものです。 家族がこの問題の解決のために、一致し、もう一度家族としての「再出発」をする、ということが基本です。 文末の図解を参照。 家族の「再出発」とは、今は本人はカルトへ心が奪われているけども、カルトへ疑問を持ったときや疲れ果ててカルトに居場所をなくしたときに、着地できる家族や関係を構築しておくことです。 3) 話し合いのタイミング• 家族の方からこれが最も難しい、とよく言われます。 特効薬的なものはありません。 初期段階(勧誘され、カルトの教育段階初期、だいたい1~3ヶ月以内)の場合は、1)や2)の備えをしたあと、速やかに話し合いに入ってよい結果に終わったことも多くありました。 話し合いの結果、より問題性を明確に知ってもらうために、専門家や脱会者に会うことを本人に勧めて下さい(専門家への相談先はカルト予防関係の書籍の巻末に記されています)。 しかし、本人がそれを拒絶する場合には、無理強いはしない。 話し合いでカルトと距離をもっても、続けてもなるべく冷静に見守って下さい。 初期段階以後、あるいは初期段階でも話し合いが拒絶に終わったときには、長期で取り組むことになります。 家族の「再出発」を大切に、本人との関係を壊さずに、家族同士が一致し、着地できる家族環境づくりを第一として下さい。 長期にわたって見守る家族は次のことに心を配って下さい。 活動に邁進している信者たちも疑問のカケラがないわけではありません。 本人を襲ってくる疑問は非常に強くしばしば訪れてきたことが脱会者たちの体験で分かっています。 しかしカルト的二元論思考で、疑問は自分の悪からやって来ると思いこみ、あるいは指導されて、その疑問を封じ込め、先に先にその解決を延ばすように指導を受けて来たのです。 それで、このところが家族としても難しいのですが、本人との会話・仕草・生活態度などから、疑問を持ち一時カルトから距離を持ちたいという思いが伺えるようなら、その時が救出のベストタイミングということになります。 救出はその疑問に答える形でなされます。 しかし、本人は家族の制止や反対を振り切って飛び込んだのであり、そういう思いの時であっても、家族には言わないものです。 ここが難しさです。 疑問は、指導者に対して・教えに対して・活動に対して、外部の情報など、その人によって違います。 本人から出てくる疑問が大切であって、無理矢理疑問を持たせようとしても、カルト的二元論が働いて水泡に帰すことが多くあります。 家族は疑問を持たせて止めさせようなどと、早とちりしないことです。 しかし、しばしば家族との何でもない話が救出の糸口になったこともあるので、タイミングの見極めをしたときには時と場を逃さないように。 救出の主役は家族ですから。 4) 自然に脱会した人たちのキッカケ(参考のために) 1. 外部情報 2. 指導者不信 3. 仲間たちの裏切り行為や傷つけあい 4. 教えの矛盾 5. 病気 6. 恋愛 7. 家族への心配 8. 金銭トラブル9. カルトの与えた恐怖(その逆に、脱会を思い止まる方に強く作用する) 10. 将来の不安(このままでよいのか。 しかし、将来をカルトに託しているので心配することは不信仰とされる) などなど。 5)参考図解 フレーム対応ブラウザでご覧下さい。

次の