オー ジェー シンプソン。 O・J・シンプソン

O・J・シンプソン事件

オー ジェー シンプソン

事件概要 [ ] 発生 [ ] 午前0:10頃、シンプソンの元妻()とその友人()の血だらけの死体が、にあるニコールの自宅玄関前で発見されたことから始まった。 ゴールドマンは180cmと長身であり格闘技の達人であったため、体格や腕力の勝る男性による犯行が濃厚と考えられた。 事件発生後、にいたシンプソンは、警察からの連絡でブレントウッドに一番早い便で帰った。 飛行機から降りたシンプソンはいきなりをはめられたが、顧問であるハワード・ワイズマンによりすぐに解かれた。 追跡劇 [ ] その後もシンプソンは冷静に対処し、一度釈放された。 その後、に第1級殺人罪で逮捕令状が下りた時、シンプソンは友人の ()の運転するの助手席に乗り、のでの追跡を振り切ろうとしたため、を展開する事態となった。 その際には逃げ切ったものの、それから2時間後にシンプソンは逮捕された。 なお、この逃亡劇は全米のテレビで生中継されたために、ロサンゼルスでは逃亡するシンプソンの車を追いかけるものが多数出現した。 また、全米中がテレビに釘付けとなり、食事の手間を省くためにの注文が急増した。 ちょうど行われていたバスケットボールリーグ、・対の第5戦は忘れられて(が放送を予定していた)、テレビを見ているものの中からは「GO! 」(OJ逃げろ! )という声も起きた。 シンプソンがブレントウッドの自宅に到着した直後、その後裁判でシンプソンの主任弁護人となるロバート・シャピーロもシンプソンの自宅に到着し、シャピーロ立会いのもとで逮捕されることとなった。 なお、この際にシンプソンとカウリングズは武器を所持していたことが確認されている。 顔写真 [ ] シンプソンが逮捕された後、多数の出版物が彼の写真を掲載した。 誌は彼の皮膚を暗くし、囚人ID番号のサイズを縮小した顔写真を表紙に用いた。 一方誌はオリジナルの写真を表紙に用い、対照的な二誌が書店のスタンドに並ぶこととなった。 タイム誌には市民グループからの抗議が続いた。 後に写真を加工したタイム誌の、マット・マフリンは「より巧妙に、より注意を引きたかった」と語った。 刑事裁判 [ ] 「ドリームチーム」 [ ] シンプソンは全面無罪を主張し、で決着をつけることとなる。 シンプソンの裁判ではロバート・シャピーロやなど、全米で有名な弁護士・検察官が出揃い、「世紀の裁判」と呼ばれた。 しかし、弁護団のほうが質量ともに検察を凌いでいることは誰の目から見ても明らかであった。 なぜなら、弁護団は「ドリームチーム」と呼ばれるほど、経験豊富で有名な弁護士ばかりだったからである。 そのためか、この事件を題材にした書籍グレイゾーンでは「単独」の検察、「全米選抜」の弁護団と称された。 なお、シンプソンの弁護費用は当時の日本円にして5億円といわれており 、その規模の大きさが窺える。 大陪審 [ ] 検察は検察側に有利な大陪審で起訴の決定を行おうとしていたが、その直前ロス市警は、OJに脅えるニコールが警察に助けを求めた911番の録音テープを公開。 弁護士側は「警察が漏らした911番のテープや他の情報は大陪審の裁定に著しく偏った予断を与えた」として大陪審の解散を要求した。 判事はこの動議を受け入れて大陪審を解散し、予備審問へ起訴の審理が持ち込まれることになった。 陪審員 [ ] 被害者がで、加害容疑者が()だったため、この裁判では人種問題が大きく取り上げられた。 「人種偏見によって裁判が行われてはならない」として、判事は黒人でも白人でもないのが選出された。 なお人種問題は検察のにも影響した。 死刑を求刑すれば「黒人だからだろう」と黒人住民に非難され、有期懲役を求刑すれば「スーパースターだからか」と白人から非難されたからである。 そのこともあって結果的に検察側は仮釈放無しの終身刑を求刑した。 弁護団はを黒人が多い地区から選出することを要求し、採用された。 また白人が選出されても検察・弁護側に認められている(理由を述べることなしに、選出された陪審員を除外することが一定回数以下は可能な権利)を弁護団が最大限に行使した結果、陪審員12人のうち9人を黒人にすることに成功した。 この様に、弁護団は「殺人事件」ではなく、「人種問題」という観点を裁判に持ち込んだ。 報道 [ ] なおこの裁判の過程は全米ので逐一報道され、全米ネットワークの局やゴシップ誌は専門のチームを結成し裁判の報道にあたった。 真実の解明よりもスキャンダル性を重視したこれらマスコミの報道によって陪審員の判断が左右されるのを防ぐため、陪審員は裁判所によって一時期に隔離され、を読むことやテレビを見ることも禁止された。 ケイトー・ケイリン [ ] なお、裁判の過程で検察側の証人として登場した、シンプソンの家での散歩などさせていた「居候」で、のが、シンプソンのアリバイを崩す重要証言をして一躍有名になり、様々なメディアに出演し、ファンクラブが結成されるなど「この裁判で一番得をした男」と呼ばれた。 裁判 [ ] 検察は下記の点からシンプソンがニコールを殺害した犯人だと主張した。 離婚後もニコールに執拗につきまとって脅迫していた(離婚前も頻繁に家庭内暴力を振るっていた)。 2人の血の付いた黒い皮手袋が発見された(左手は殺害現場で刑事により発見され、右手がシンプソンの自宅で発見された)。 殺害現場に残っていた血の靴跡がシンプソンの足のサイズと一致。 シンプソンが40日前に凶器とされるナイフを購入していた。 シンプソンの手にはナイフで切ったと思われる怪我がある。 シンプソンのブロンコ(自家用車)にシンプソンの血液とニコールの血液が付着している。 現場の血痕等のDNA鑑定がシンプソンに一致していた。 一方、弁護側は検察側の反証として以下の点をあげて反論した。 シンプソンには新しいガールフレンドが既にいた。 殺害推定時刻を午後10時45~50分として、50分過ぎに自宅に戻っているというアリバイがある。 検察が凶器と判断したナイフが発見されていない。 殺害現場の靴跡の元となる靴は希少な靴だったが、シンプソンが購入したとする証拠がなく、靴自体もシンプソン宅から発見されていない。 シンプソンの手の怪我はホテルでコップを割って切ったものである(事実ホテルのバスルームで割れたコップが発見されシンプソンの血液が付着していた)。 皮手袋を発見したとされるマーク・ファーマン刑事が黒人差別主義者だとの指摘がある。 かつてファーマンを取材したローラ・マッキニーが取材時の録音テープを証拠として公開し、テープの再生中ファーマンは「」という言葉を幾度となく使用、イトウ判事の配偶者をからかうといったものであった(これらのことは法廷ではほぼ公開されず、「ニガー」を使用した発言が少し公開されただけであった)。 発見されたという手袋は、法廷でシンプソンが試着したときは小さすぎて入らなかった(後に同じサイズの新品の手袋を試着した際は収まったという)。 シンプソンの血液を採取した後の管理が杜撰であり、正しくDNA鑑定が行われていない可能性がある。 血液採取後、担当警察官のフィリップ・バナッターが、血液の入った小瓶をなぜか鑑識担当者のデニス・ファンのいる事件現場まで一度持って行き、その後何時間も持ち歩いたあげく鑑識担当者には渡さなかった。 採取した血液は熱を通しやすい黒のビニール袋に入れて保管されていた。 DNA鑑定でEDTA(血液凝固剤)が検出された。 シンプソンから8ccの血液を採取したはずが鑑識の際には6ccに減っていた。 採取した血液が減っていたことについて、ファーマン刑事が黒人であるシンプソンを陥れるために血液をばらまいて証拠を捏造した可能性がある。 検察は「凶悪事件を裁くのが好き」といわれる検察官クラークを筆頭に、被害者の血液がついた証拠品が多数発見されたことや加害者の傷や過去の振る舞いから犯行を立証しようとした。 一方、警察に対し根強い不信感を持つ黒人弁護士のコクランを主とした弁護団は、検察側のあげた証拠品の信憑性や人種問題について反証した。 犯行に使用したと思われる手袋がシンプソンの手に合わなかったことが陪審員に合理的疑問を抱かさせてしまったことや、手袋を発見したとされるマーク・ファーマン刑事が人種差別主義者であったこと、警察の証拠管理の杜撰さも重なって裁判は弁護側へ有利に傾き、最終的には1995年に陪審員は全員一致で「無罪」と結論し、そのまま判決となった。 アメリカでは無罪における検察のは憲法修正第5条により認められていないので、シンプソンの無罪が確定した。 一方で、警察が証拠を捏造した可能性を除いても、「シンプソンが有罪である」とする証拠は他にも揃っていたと考え、証拠の管理体制など検察を批判する者は多い。 主なメンバー [ ] 太字になっている人物はリーダーである。 裁判官 (日系人) 検察側 [ ]• (地方検事長)• ウィリアム・ホッジマン(検事主将)• (検察のエース)• ((黒人))• ブライアン・ケルバーグ(検事)• リサ・カーン(検事調査員) 弁護団 [ ]• (中国系法医学者『担当』、『担当』)• (全米一の弁護士として有名、『アメリカ俳優の事件を多く担当』)• (人種裁判で全米一と折り紙つき『担当』)• (鑑定研究者)• ピーター・ニューフィールド(前者と同)• ジェラルド・ウールメン(法学部長)• (F・リー・バイリーとも表記。 『無罪請負人』の異名を持つ辣腕、『裁判』、『』 ()、『』担当経験)• (憲法学者『強姦事件担当』)• (元ニューヨーク市警検視官、『の遺体解剖担当』)• (被告の友人、『被告と弁護団の連絡係』) リーダーが2人となっているのは、リーダーを争って最後に喧嘩別れとなったためだといわれている。 民事裁判 [ ] 無罪を勝ち取ったシンプソンは二度と起訴されることなく(修正第5条により)、これ以上に立つ必要はなくなった。 しかし、シンプソンにはもうひとつの裁判が待ち受けていた。 フレッド・ゴールドマン(ロナルドの父親)によるであった。 裁判長には日系人のヒロシ・フジサキが選ばれた。 憲法修正第7条によって、民事裁判による補償賠償と懲罰賠償をするよう加害者に求めたのである。 刑事裁判と民事裁判での違いは以下の4点であり、シンプソンに不利な要素も多かった。 刑事裁判は合理的に疑問があることを弁護側が示せば無罪であり、合理的疑問を超えなければ検察側は有罪に持ち込めないのだが、民事裁判では証拠の優越性が問われ、51%の優の証拠を示すことが勝敗の鍵となる。 刑事裁判では陪審員の全員一致が原則で、1人でも反対意見があれば全員の意見が一致するまで、話し合いがもたれる。 このため、少数意見が最終的に採用される可能性がある。 これに対し、民事裁判では全員一致は必要とされずに、70%(つまり12人中9人以上)の陪審員の意見が一致すれば決定が下される。 刑事裁判の行われたロサンゼルス市では、陪審員に黒人が多く選ばれたが、民事裁判の行われたサンタモニカ市は資産家が密集する地域で、陪審員には白人が選ばれる可能性が高く、実際に白人が多く選ばれた。 刑事裁判では憲法修正第5条に規定されたにより、シンプソンは証言を拒めたため証言台へ立たずに済んだのだが、民事裁判では憲法の適用がされないため、拒める理由がなくなった。 そのため結局は、事件への関与を強く否定する反論ができずに陪審員の心証を悪くした。 これらのほかに、刑事裁判にて金銭的に苦しくなったシンプソンがジョニー・コクランを雇う金がなく、代わりにコクランの友人を使ったのに対して、原告側の弁護士がチームワークで最強を誇っていた事やファーマンの人種差別発言を武器にしない事など、不利な要素は多くあった。 このような中で1997年に父親側の請求が認められ(認められた補償はゴールドマンのみ)父親に722万5千ドル、母親に127万5千ドルの補償をするように命ぜられた。 しかし、シンプソンの主な収入であるNFL選手年金は「賠償金支払のために取り上げることが許されない性質を持つ」ため法的に保護されている。 その後 [ ] 告白本出版騒動 2006年にシンプソンによるでのインタビュー 、告白本「」の出版が予定されていたがゴールドマンの遺族の反対に遭いいったん出版中止に追い込まれた。 その後民事訴訟の賠償金の支払いをシンプソンが拒否したため裁判所によりゴールドマンの遺族に出版権が移った。 映像化 [ ] 1994年この事件は映画化された。 2016年、米ケーブルテレビ局FXによって『』として連続ドラマ化され、同年の他9部門を獲得した。 脚注 [ ] []• Vincent Bugliosi 1996年. 2013年5月11日閲覧。 [ ]• [ ]• 後に『』の「The Cameo Show」にゲスト出演した。 週刊NY生活デジタルニュース 2006年11月25日. 2010年9月11日閲覧。 2006年11月15日. 2010年9月11日閲覧。 [ ]• AFP 2007年8月14日. 2010年9月11日閲覧。 [ ]• 参考文献 [ ]• 宮本倫好『世紀の評決』(丸善ライブラリー) 関連項目 [ ]• - 同じく刑事裁判では無罪となり民事裁判では有罪となった例。 - 元ネタは『』に登場した同名の架空の法廷弁論であり、その法廷弁論の元ネタが当事件。 - 同じように妻殺害容疑で逮捕・起訴され、刑事裁判では無罪となったが、民事裁判で有罪となった。

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Aujua(オージュア)

オー ジェー シンプソン

のスター選手として活躍した O. が,元妻ニコル・ブラウン・シンプソンとその友人ロナルド・ゴールドマンを殺害した罪に問われ,裁判にかけられた事件。 1995年に無罪判決を受けたが,人種問題を巻き込んで,アメリカ合衆国史上,最も大きな話題をさらった刑事裁判となった。 1994年6月12日の夜,シンプソンの元妻がにある自宅マンションの外で友人とともに刺殺された。 最有力容疑者にあげられたシンプソンは車で逃走したのち逮捕されたが,この逃走劇は全米にテレビで生中継されたため,それを見た数百人に及ぶファンが道路へ繰り出し,シンプソンへの支持を表した。 1994年7月22日,正式に法廷に召喚されたシンプソンは無罪を申し立て,1995年1月24日,初公判が開かれた。 ロサンゼルス地区検察局は,シンプソンが離婚後も元妻に暴力をふるっていたことをあげ,これが殺人の誘因となったと強く主張した。 一方,有名弁護士をそろえ「ドリーム・チーム」と評された弁護団は,証拠品の処理・管理方法が不適切であったことと,ロサンゼルス警察の職員の多くは主義であることの 2点を柱に弁論を展開した。 弁護団は,シンプソンの自宅で発見された血に染まった革手袋について,サイズが小さすぎてシンプソンのものではないと指摘。 さらに,警察がシンプソンを犯人に仕立て上げるために,手袋のほかにも多くの重要証拠をでっちあげたと主張した。 ケーブルテレビ各局は長時間番組を組んで,この事件に関するさまざまな憶測や世論を報じた。 世論はおおかたによって分かれ,大多数のはシンプソンの味方をする一方,多くの白人アメリカ人は有罪だと考えた。 大部分の白人は評決に失望し,多くのアフリカ系アメリカ人は,黒人に対して差別的な法制度に対する勝利とみなし,これを支持した。 シンプソンは,刑事裁判では無罪となったが,1996年10月に始まった民事裁判では有罪となり,被害者家族へ 3350万ドルの損害賠償を支払うよう命じられた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について.

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オー ジェー シンプソン

法廷でのO. シンプソン 血なまぐさい凄惨な事件は、深夜のロサンゼルスで起きた。 1994年6月12日の午後11時、サウス・バンディ・ドライブ875番地のコンドミニアム。 血の海に沈んだ2人は、こと切れていた。 女は、元プロフットボール名選手、O. シンプソンの前妻ニコール・シンプソン35歳。 男は、俳優志望のレストランウェイター、ロナルド・ゴールドマン25歳。 1979年に引退したシンプソンは、最初の妻と離婚後、1985年にニコールと再婚。 しかし、シンプソンのDV(家庭内暴力)が絶えない。 1992年にニコールは、2人の子供を連れて離婚。 シンプソンの嫌がらせを再三受け続ける。 殺人事件の1月前、シンプソンは「別の男と一緒にいるのを見たら殺す」とニコールを脅迫した。 頸部を深々と切断されたニコールは、後頭部に鈍器による挫創 、手に抵抗した切創。 ゴールドマンは、顔、頸部、体と左大腿上部に合計19個の刺創、後頭部に深い挫創があった。 犯人は右利きで、背後から頸部をかき切ったらしい。 2人の損傷が類似し、現場に1組の血の足跡があるため、単独犯行と推定。 ニコールの死体の傍らに、左手の革手袋が落ちていた。 シンプソンは、嫉妬妄想に取り憑かれたオセロ症候群? シンプソンは、オセロ症候群だったという。 オセロ症候群は、パートナーが浮気をしていると思い込んだり、浮気をしていないことを確かめようと追いつめる偏執狂的な精神病だ。 裏切られる、見捨てられる、強迫観念、嫉妬心、不貞妄想が抑え切れなくなると、暴力に走る。 オセロ症候群は、シェイクスピアの四大悲劇の一つ「オセロ」にちなむ。 ヴェニスの軍人オセロは、旗手イアーゴーの策略にはまり、妻のデズデモーナの貞操を疑い殺害。 その後、真実を知ったオセロは自殺を図る。 明白な物的証拠、不利な状況証拠が次々と明るみに。 無実を訴えるシンプソン ロス市警殺人課の刑事フィリップスとファーマンは朝5時頃、現場から約2マイル離れたシンプソンの自宅へ向かった。 シンプソンの車フォード・ブロンコの運転手側のドアと、助手席のコンソール上に血痕を認め、裏庭の通路で右手の革手袋を発見。 刑事らはシンプソンを任意聴取。 シンプソンは、ケガをした手の血がフォード・ブロンコについたと供述。 指紋と血液が採取され、抗凝固剤EDTA (エチレンジアミン四酢酸) を添加して警察が保管した。 シンプソンの寝室から血染めのソックスを発見。 事件が発生した時間の25分間、シンプソンは電話に出ず不在。 フォード・ブロンコを運転する姿も目撃される。 だが、目撃した女性は、後にシンプソンから5000ドルをもらい、目撃証言を撤回した。 シンプソン家で発見された右手の革手袋の血痕は、DNA鑑定でシンプソンと被害者2人のものと判明。 現場の血の足跡は、シンプソンの足のサイズと完全に一致。 事件当時のアリバイが不明。 多数の物的証拠と状況証拠がシンプソンを真犯人だと名指した。 6月17日、シンプソンの逮捕状が出た。 シンプソンはフォード・ブロンコで逃走。 カーチェイスの映像が全米に流れる。 警察のSWATチームや多数のメディアに包囲され、午後9時に逮捕。 車中にパスポート、マグナム・レボルバー、8000ドルの現金。 しかし、シンプソンは無実を訴え続けた。 DNA鑑定は、570億分の1の確率でクロ、陪審員12人全員がシロ。 オセロの真偽は? 事件の2年前、ロス暴動があった。 黒人男性ロドニー・キングが白人警官4人から暴行を受け、警官は白人住民の多いシミ・バレーで裁判を受けて無罪放免。 怒った黒人住民が憤然と立ち上がった。 こうした背景があったため、人種差別が争点になることを恐れ、白人でも黒人でもない日系人ランス・A・イトウが裁判官に選ばれ、シンプソンに対する刑事裁判は1995年1月24日に開廷した。 検察は、白人優位のサンタモニカを避け、裁判管区をロサンゼルスのダウンタウンに移す。 陪審員12人は、黒人8人、中南米系2人、白人1人、白人とインディアンの混血1人の黒人絶対多数。 検察は、シンプソン有罪でも、死刑を求刑しないと宣言。 弁護団は、ロバート・シャピロを筆頭に、DNA鑑定の専門家2人を含む11人。 いずれも高名な弁護士たちが名を連ねた。 主席検事は名実ともに敏腕のマーシャ・クラーク。 山ほどある物的証拠と状況証拠。 勝訴は読めた。 弁護団の戦略は、白人の支配する司法システムの犠牲になった黒人被害者の救済。 だが、シンプソンは白人女性と結婚しただけでなく、白人社会を尻目にのし上がり、名声を挙げた紛れもない黒人成功者だった。 検察側はニコールへの執拗な脅迫、殺害推定時刻 (午後10時15~20分)のアリバイなし、凶器のナイフ購入、PCR (ポリメラーゼ連鎖反応) 法によるDNA鑑定の結果、シンプソンのDNA型がすべて一致など。 数々の歴然たる事実からシンプソンを真犯人と主張。 シンプソン以外の他人が偶然一致する確率は、570億分の1だった。 ちなみに、PCR法は、微量のDNA断片からDNAのコピーを短時間で大量に得られる分析法。 合成酵素連鎖反応ともいう。 20回の反応の繰り返しで100万個以上のDNAのコピーを入手できるため、個人識別、親子鑑定、遺伝病診断、犯罪捜査などに活用されている。 一方、弁護団はシンプソンの無罪を一貫して主張。 新しいガールフレンドがいる。 殺害推定時刻の午後10時50分過ぎに帰宅してアリバイがある。 凶器は発見されていない。 警官がシンプソンの血液を現場にばらまいた。 すべては、警察の捜査ミスと人種差別主義者の刑事のでっちあげである、とした。

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