柚木 沙弥 郎 鳥獣 戯画。 これまでの展覧会

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柚木 沙弥 郎 鳥獣 戯画

日本を代表する染色家、柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう)。 その個展「柚木沙弥郎の『鳥獣戯画』」が、で開催される。 柚木は1922年生まれ。 42年、美術史を学ぶため東京帝国大学(現・東京大学)に入学するも、第二次世界大戦のため勉学の中断を余儀なくされる。 そして終戦後、柳宗悦が提唱した「」に出会い、のちに人間国宝となる染色家・芹沢銈介に師事。 以降70年あまり、創作活動を続けてきた。 左=柚木沙弥郎 広巾布(部分) 1982 神奈川県立近代美術館蔵 撮影=上野則宏 右=柚木沙弥郎 型染布(広巾布)(部分) 1982 神奈川県立近代美術館蔵 撮影=上野則宏 染色にとどまらず絵本や版画、彫刻へと表現の幅を広げてきた柚木。 「用の美」の精神を引き継ぎながら、日々の「もの」との出会いを色彩豊かに表現した作品群は、国内外で高く評価されてきた。 近年では「La Dance des formes 柚木沙弥郎のテキスタイル作品」(フランス国立ギメ東洋美術館、2014)、「柚木沙弥郎の染色 もようと色彩」(日本民藝館、2018)など国内外で回顧展を開催。 同館の鎌倉別館でも、2012年に「柚木沙弥郎展 村山亜土作『夜の絵』とともに」が行われた。 柚木沙弥郎 トコ 2004 神奈川県立近代美術館蔵 撮影=佐藤克秋 本展では同館のコレクションを中心に、「鳥獣戯画」をモチーフとした新作をはじめ、初公開となる型染布《歓喜のうた》《いのちの樹》を紹介する。 また、宮沢賢治『雨ニモマケズ』や村山亜土のテキストに寄せた絵本原画も展示。 96歳を迎えてもなお精力的に活動する作家の「今」を伝える内容となっている。 柚木沙弥郎 歓喜のうた 2019 作家蔵 撮影=阿部健 Information.

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柚木 沙弥 郎 鳥獣 戯画

いつもかわいいクッキーだなぁとホームページを眺めているHANAさんのクッキーたち。 いつか欲しいなぁと思っていたかわいい箱に入ったクッキー。 いろいろあるのですが、いぬボックスとねこボックス入りのものを東京にある「」は染色や絵本を手がける染織工芸作家・のお孫さんが自宅で始められたお菓子のお店です。 クッキー等のデザインは柚木沙弥郎さんのデザインだそうで、どれもとても可愛くて素敵です。 このデザインとても素敵ですよね。 犬もねこもなんともいえずいい表情をしていて素敵な箱。 中のクッキーもとても素敵で、白と黒の猫、犬のクッキーになっています。 以前にやなど食べました。 このクッキーもとてもハンドメイドな味がして、美味しいのですよ。 猫好き、犬好きの方にも喜ばれると思います。 プレゼントにおすすめ。

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景勝地で美術鑑賞!

柚木 沙弥 郎 鳥獣 戯画

「人間はいつもわくわくしていないとだめ。 対象は何だっていいんだ」。 時折のぞく、鋭く本質をつく言葉が心をとらえて離さない。 柚木沙弥郎さんには参ってしまう。 一言も聞き漏らすことができないからだ。 90歳を迎えた柚木さんは、かの芹沢銈介に師事した、現役の染色家であり、アーティストだ。 時に大胆、時に繊細、さまざまな表情を持つ作品は、色やモチーフも自由でユニーク。 どれも力強く、生命力に溢れている。 そんな柚木さんが制作をする場所は、プライベートを兼ねた3階建ての落ち着いた佇まいの一軒家。 モダンでシンプルな外装、その一方で、室内は、各国から集めた民芸や郷土玩具、オブジェやおもちゃたちが、棚から梁といった部分にまで、所狭しと飾ってある。 「楽しいのがいいよね、モノっていうのは」。 古びたボールや錆びたペンチを手に取っては「拾い魔なんだ」と笑う。 ぱっと見て、心に止まったものは、ほっとけない性格らしい。 飽くことのない情熱と好奇心で、いつだって突き抜けている。 そんな柚木さんに聞いた、暮らしのこと、制作のこと、そして人生のこと。 それは、これからを生きる私たちに贈られたメッセージでもある。 Sometimes his casual remarks captured true nature of things very accurately and we were impressed with the depth of his words. Samiro Yunoki, reached the age of 90, is an active dyeing artist studied under Keisuke Serizawa a legendary dyeing artist of Japan. His artworks change its facets multifariously - some of the works look very bold and others are so sensitive. But everything he creates is dynamic and full of lives with unique colors and motives. Both his atelier and home is located in a sedate three-story house. Contrary to its simple and modern exterior, inside of the house is filled with folk art objects and toys from all over the world. When he picked up an old pen and rusty nipper, he confessed that he always pick up something. He just cannot ignore anything attract him. If it were enjoyable enough, he would pick it up. Through this interview, he told us about his life and creativity. This is his message for us who live for the future. 染色家として長年活躍されている柚木さんですが、まずは現在のお仕事のきっかけとなった、民藝や師匠の芹沢銈介さんとの出会いについて教えてください。 1946年に、ぼくは倉敷にある大原美術館に勤めることになったんだけど、初代の館長、武内潔真さんが柳宗悦さんの信奉者だったことが大きい。 美術館では宗悦さんと、その盟友、河井寛次郎さんや濱田庄司さん、バーナード・リーチらを呼んで展覧会をしたり、即売会をしたりしていた。 その武内さんから民藝についていろいろ教わったのですか? 当時、ぼくは武内さんの家の近くに住みたくてね。 近所に住んでいた外村吉之助(倉敷民藝館の初代館長)さんが引っ越すことになったから、そこで暮らし始めて。 武内さんの家によくお邪魔して御馳走してもらう機会があったんだけど、食器なんかが、今言った作家の作品や民藝品、いわゆる民藝ばかりだった。 そういうところから、民藝という思想は広まっていったのですか? でもね、当時は好まない人たちもたくさんいましたよ。 かなり偏ったジャンルという捉え方だったのでしょうか? 少なくとも同時代の人はそうだね。 けれども、宗悦さんなんて、ものすごい教養人で、宗教哲学者でもあるから、本来はみんなが考えているような狭い世界の骨董の人ではない。 ぼくは、宗悦さんの影響で人々の生活にまつわるモノと出会って、ショックを受けたんだ。 You have been worked as a dyeing artist for long time. Please let us know how you met Mingei and your teacher, Keisuke Serizawa. I got a job at Ohara Museum in Kurashiki in 1946. The original curator of the museum, Mr. Kiyomi Takeuchi, was a serious follower of Mr. Soetsu Yanagi and I was influenced by it. We organized exhibitions and sales of Soetsu Yanagi and his friends Kanjiro Kawai, Shoji Hamada and Bernard Leach. Did Mr. Takeuchi teach you about Mingei? At that time I wanted to live near Mr. When Mr. Kichinosuke Tonomura the original curator of Kurashiki Museum of Folkcraft , his neighbor, moved out, I moved in his house. Takeuchi often invited me over for dinner and the serving dish he used there were the works of the artist I named before or Mingei crafts. Do you think the Mingei theory spread in that way? Maybe those people thought the genre was too biased. At least their contemporaries thought like that. However Mr. Soetsu was really a highbrow. I was influenced by Mr. Soetsu and met the things rooted in daily life. It really shocked me. そこから、芹沢銈介さんのもとに弟子入りされます。 先生は自分のような作家のもとより、職人のところで始める方がいいと言ってね。 先生の紹介で静岡県由比町の正雪紺屋に住み込んで、まず布の扱いや染の基本を見ていたんだ。 芹沢さんはどんな先生でいらっしゃったのですか? ぼくは一生付き合ったけど…、まあ、偉大な人っていうのは大変で、大木の下には人は育たない。 だけど、当時のぼくは客観性なんて持ってなかったから、べったりでしたよ。 それに先生にあれこれ言われると、ぼくは真面目だから、なんでもやってしまう(笑)。 でも、その積み重ねがあったから今がある。 芹沢先生がいたから、狭い世界におさまらず、広い世界を見ることができたんだ。 それはとても幸せだったと思う。 仕事以外では、例えばどんなことを教えてくださったのですか? 42歳の時に、初めて海外に行ったんだけど、ぼくが行った国はだいたいその前の年に芹沢先生が行っている。 エジプト、トルコ、ギリシャほか、いろいろね。 それで、先生が行く先々から「君に見せたいものばかり」とか「どこへ行っても君に見せたいと云い暮らしている」と簡単な電報みたいな絵葉書をくれてね、それを見るとエキサイトしちゃって、すごくうれしかった。 ぼくはすぐに信じるから(笑)。 Then you became apprentice with Mr. Serizawa. Serizawa said that it would be better for me to start studying with craftsmen first rather than artists like him and introduced me Shosetsu-Konya in Yui, Shizuoka. So I lived in there and watched how they treat fabrics and study the basic method of dyeing. What kind of teacher was Mr. Serizawa? But I was with no objectivity at that time and attached to him. I was so serious that I did everything he asked me to do. However those efforts made my present self. I couldn't see the wider world instead of my own little one without Mr. Serizawa. I do think I was really lucky. What did he tell you apart from dyeing? When I was 42, I went abroad for the first time. But Mr. Serizawa visited almost all the countries before I went there. Egypt, Turkey, Greece, and more. Whenever I received the cards, I became really happy and got excited. I believed what he said really easily laugh. 時代は1960年代ですか? そうだね。 先生は新しいものが好きで、当時、活躍していた柳宗理さんをよくかわいがっていたよ。 とにかく欲しくて、なけなしの金でガラスなんか買って。 若かったし、ワクワクしたね。 そういった海外の情報が入ってきたり、実際に足を運んだりした影響から、いろいろなモノを集めるようになったのですか? 集めようと思ったことはいっぺんもないんだ。 旅先ではよく買った。 ここにはメキシコ、インド、エチオピア…、向こうから目に飛び込んでくるんだから仕方ないよ。 どういう基準で選ばれるのですか? とにかくおもしろいと思うもの、ワクワクするもの。 お店の人に「こういうものがあります」って見せられたものよりも、自分で見て、いちばん最初に目に入ったものがいいんだ。 ここにあるものは全部そうだよ。 あの濱田さんは、自分が「負けた」とか「やられた」と思うものを買うんだって。 そういう基準もあるね。 Was it in the 1960s? Yes it was. My teacher loved new things and took care of Sori Yanagi who became famous at that time. It was really great. I was eager to have it and bought some glasses with what little money I had. Young and excited, I was. Did you start to collect things because you had the knowledge and experiences about overseas crafts? I have never thought that I would collect things. I bought crafts when I traveled, though. From Mexico, India, Ethiopia… It jumped out at me. Do you have any criteria to choose what to buy? What I think fun and exciting. I like to have things jumped out at me when I see it rather than the things recommended by shop staff. Everything in this house was selected in that way. プリミティブなものが好きですか? メキシコの土細工みたいな素朴なものが好きだね。 古代の人と今の人と少しも変わらないものがあるんだ。 よくこんなものを作るなあと感心しますよ。 たとえ国が貧しかったとしても、楽しいものを作ることができる人たちは素晴らしい。 ぼくは、こういう作品を見た時「楽しくなくちゃウソだ」って悟った。 郷土玩具やおもちゃを集め始めたきっかけは何かあるんですか? それは直感ですよ。 しいていえば、ハーマンミラーにいたアレキサンダー・ジラルドのコレクションかな。 サンタフェにあるインターナショナル・フォーク・アート・ミュージアム(アメリカ・ニューメキシコ州)は良かった。 それから猪熊弦一郎さんもおもしろい。 丸亀の美術館MIMOCA(香川県)にも行ったけど、あそこは、猪熊さんの最初の志がよくつながっていると思うよ。 Do you like something primitive? I like rustic things such as Mexican clay works. When I saw artworks like this, I realized that things have to be happy all the time. What attracted you to collect craft toys? It was my intuition. If there were any influence, I would say it was Alexander Girard who used to be at Herman Miller. Museum of International Folk Art in Santa Fe is very impressive. And I think Mr. Genichiro Inokuma Japanese oil painter is interesting, too. I visited MIMOCA in Marugame, Kagawa. The museum follows in Mr. 本当に巨大なおもちゃ箱のようなご自宅ですよね。 こちらには住まわれてどのくらいですか? ぼくは、ここに昭和25年からいますよ。 その時はこの家を建てる前で、この辺りは馬場があって、馬が走っていたんだよ。 風の日は砂ぼこりで大変だった(笑)。 今はもうすっかり変わってしまったけど。 こちらに住むきっかけは? 宗悦さんが、この辺りは(東京の)民藝館から近いということで、先生に「芹沢君、この辺に住んでくれないかな」と言った。 当時、違う場所に住んでいた先生は「はい」なんていい加減な返事していて。 その後、ぼくとこの辺りを通った時に、たまたま先生の親族が住んでいたこともあって、「君、どうだね」って勧められて。 ぼくは、先生に言われたものだから、一も二もなく「はい、いいですね」って。 この時は「君は考えもしないですぐ決める」って怒られた(笑)。 その後、建て替えをしたというこの家はかなりモダンな印象です。 室内は、床、壁、天井とすべて木をそのまま使っているんですね。 建て替えをした当時は、米松を輸入できたんです。 だから、太い材料で木組みの構造ができたんです。 Your house is like a big toy box. How long have you been living in this house? I have lived here since 1950. Before I built this house, this area used to be a riding ground and horses were trotting around. It was really tough on windy days because of the huge cloud of dust laugh. Now the scenery has completely changed. What made you decide to live here? However my teacher gave him a vague reply and slept on it. He got angry then and complained that I always take a decision without really thinking laugh. Then you rebuilt this house. And you use timber for its floorings, walls and ceilings. When I renovated this house, we could import Norway spruce. So we built up this staunch timberwork of the house with the thick timber. 3階はかなり天井が高くて光がたくさん入りますね。 やっぱり人間っていうのは、日に当たらないと滅入っちゃうから。 ここは日が暮れる時もすごくいいんだよ。 たまに天窓から雀が飛び込んできたこともあったなあ。 制作は主にどの階でやられるのですか? どこでもやるからいつも道具を持って歩いていますよ。 それぞれの階に気に入った道具を揃えておけばいいんだけど、探し回っているうちに日が暮れる(笑)。 作品は毎日作られているのですか? 今は春の世田谷美術館の展覧会に向けて、目標があるから。 前回は、神奈川県の近代美術館の鎌倉別館でやったんだけど、6600人も来てくれてね。 トークショウには1日で400人。 美術館の人たちもびっくりしていましたよ。 過去にパリでも展覧会を行っていましたよね。 どんな様子でしたか? いろんな人が見に来てくれたよ。 でもフランスでは、まず「今作ったものはどれだ」と聞かれる。 それは、つまり「今あなたはどういうことに生きているか」っていうこと。 これまでどんなことをやってきたとか、ましてや学歴や職歴とか、過去のことは一切関係ない。 「今あなたは何をやっている? 何に興味がある?」そういう考え方なんだ。 回顧展は別として、ぼくも生きている限りはそうであるべきだと思うし、今度の展覧会も同じ思いですよ。 The rooms on the third floor have a high ceiling and are filled with natural light. We all feel depressed without sunlight. Sparrows flied in the roof light window sometime in the past. Which floor do you use as your atelier? Because I use everywhere as my atelier, I always carry my tools with me. But I spend all day to look for something. Maybe I should put my favorite tools on every floor. Do you work everyday? As my exhibition at Setagaya Art Museum will start in this spring, I have a goal in mind now. My last exhibition was at Museum of Modern Art, Kamakura. We had 6600 visitors then and 400 people attended my talk show there. Even the museum staff was surprised about it. You did an exhibition in Paris, too. How was it? Various people visited then. Their interest is what I do and what I concern about now. Apart from retrospective exhibitions, I sympathize the way they think and will do my coming exhibition with this idea in mind. 次回のテーマが気になります。 実はその話がおこる前に、プロデューサーと次は「旗印」をシンボルにしようと話していたんです。 つまり、あなたは今何を旗印にしているか、旗印は生きるっていう意味。 特に震災があって以来、みんながこういうことをちゃんと考えるようになったから。 確かに、若い人たちを含めて、日本人がいろいろなことを見直すようになりました。 ぼくの場合は、もう90歳をすぎて、先が長いわけじゃない。 だから、作るってことが生きることに直結する。 でも、普通の人からすると、生きることは生活の糧を得ること。 そのための仕事だ。 そういう意味でも、ぼくは伝統工芸とアートの間隙をどうやって埋めて行くかを考えているんです。 具体的にいうと、どういうことですか? 染色を例に挙げると、昔は着物があったからニーズもあった。 けれども今は状況が違う。 おそらく仕事に困っている仲間たちも多いと思う。 今ある伝統工芸というのは、どちらかというと技術を極めたものだ。 つまり日本人が持つ精密な技術が伝統工芸の屋台骨なんだ。 そういった工芸品を素晴らしいと鑑賞するのも悪いとは思わないけれど、ぼくからすると、つまらない。 工芸というのは、装飾の部分があるけど、それがすべてではない。 その本陣は、確かな技術と材料に守られた作者のはっきりしたモチベーションなんだ。 もっと言うと、人間性、生命力が、厚化粧で見えなくなったり、用に立つよう媚びたりしたようなものになっては困るよ。 だから、ぼくは、もっと「アート」という言葉の解釈を広げて、「美術」とか「工芸」とか区別しないで、作ったものはすべて「アート」と呼べばいいと思っているんです。 クリエイトしたものはすべて「アート」ということですか? そう、それはいろんなものに使える。 例えば、芹沢先生は日傘を作る時、それが傘だけにしか使えない、商品としての模様ではなく、もっと広く普遍性のあるものを作るべきだと言った。 普遍的なものは強いんです。 だから、ぼくは工芸とアートの隙間を埋めるようなことを個人としてやりたいと思っている。 It is true that Japanese people, including young generations, tends to reconsider various facts around us. So creation is directly connected to life for me. For ordinary people, however, to live means earning their bread and butter. In that sense, I always think the way to fill the gap between traditional crafts and art. What does it exactly means? For example, dyeing used to be necessary because all the people wore kimono. But now we are living in totally different situation. I guess there are many dyeing artists who feel difficulty in getting jobs. Existing traditional crafts are all exquisite handiwork. It means that Japanese elaborate technologies support the basis of traditional crafts. Crafts are not just a decoration. The essence of traditional crafts is the solid motivation of artists backed by genuine skills and materials. So all the creation can be art? Yes, and we can use the term in various ways. For example, when Mr. Serizawa tried to make an umbrella, he said the pattern should be universal and should not be just for umbrella itself. Being universal is strong. 鎌倉の展覧会で記録的な来場者数だったことにも表れていると思うのですが、民藝の興味から始まって、現役で活躍する柚木さんの美学に興味がある若者も多いと思います。 きっと、みんな何かを探しているんだ。 だから、そこにピタッと合うとすんなり入る。 ぼくが命令して、こういうのがいいっていう圧力じゃない。 お互いが持っている感覚みたいなものがどこかで合うんだと思いますよ。 役に立つところがあれば役に立ててほしい。 感じるか、感じないかってことですかね。 昔、柳さんや濱田さん、芹沢先生はしきりに「これは感じがあるね」と言っていた。 それで言うと、最近はズビネック・セカールという彫刻家の作品を見て、感じるものがあったな。 今の日本は残念だけど、インチキなものばかりが溢れている。 そんな中で、アイロンのような形とか金床のようなものとか、真面目な道具を思い出させるような作品。 余分なんか全くなくて、ただ強さがあって素晴らしいんだ。 とにかくすごいリアルで惹かれた。 それが現代のあるべき姿だと思う。 それはご覧にいれますよ。 どんな批判をされてもいい。 やれるだけ、やりたい放題やるだけだ(笑)。 致命的なのは、今はぼくの時代の染料をもう使わなくなってしまったこと。 でもそこだけは譲れないから、ほじくりだしてでも使うよ(笑)。 With the increased interest in Mingei, many young people are attracted to the work and aesthetic of Samiro Yunoki as an active artist. It is obvious from the fact that your last exhibition had the ability to pull in more visitors. Maybe they are all seeking something. Once something fits their needs, they will accept it without resistance. I never force them to choose what I like. I think the feelings we have are similar and attract one another. Soetsu, Mr. Hamada and Mr. In the same way, I felt something when I saw the artworks by a sculptor called Zbynek Sekal. In such a world, his artworks remind me something like the shape of a clothes iron and solid tools like anvils. It looks stable without the frills, and is just brilliant. That is what contemporary society is supposed to be. Including those thoughts and feelings, we can see the latest version of Samiro Yunoki at the coming exhibition in this year. I do whatever I want until I use up all of my energy laugh. But that is the thing I can never compromise. I will dig into my stock if the need comes laugh. それでは最後に、制作すること、生きること、そのモチベーションを維持する秘訣を教えてください。 老若男女関係なく、人間はいつもわくわくしていないとダメなんだ。 青臭いこと言うようだけど、肝心なものは情熱だよ。 あとは気力。 それをアートに関係している人はもちろんだけど、普通の人も何かに憧れを抱いたり、楽しいと思ったり、そういうものを常に求めていればいいんじゃないかな。 対象は何だっていいんだ。 老人になれば何でも忘れてしまう。 老人になりたての時期は「情けない」と悲観したけれど、もう記憶力は追いつきっこない。 そんなことより、白紙で立ち向かえばいいんだ。 ワッショ、ワッショてね(笑)。 今はどのようなことに興味があるのですか? 制作すること以外に、いろいろな美術館に行って作品を鑑賞したい。 あとショッピングが好きだから、渋谷も青山もよく行くよ。 東京が大好きなんだ(笑)。 歩けなくなると困るね。 Lastly, please teach us your secret to keep up your motivation to create art and live your life. Men have to be thrilled with excitement at all times regardless of age and sex. And spirit. Not only artists but also ordinary people should have or seek something they can bring enormous passion to. No matter what the subject of your interest is. As you get old, you may forget everything. What is your current interest? I go Shibuya and Aoyama often because I like to go shopping. I love Tokyo laugh. 祖父は南画家、父は太平洋画会で活躍した洋画家。 42年、東京帝国大学文学部美学・美術史科に入学するが、翌年学徒動員。 終戦後、46年に岡山県倉敷市にある大原美術館に勤務。 柳宗悦が提唱する「民藝」との出会いを機に、芹沢銈介の型染めカレンダーに魅せられ弟子入り、染色の道を志す。 49年、最初の作品を第23回図画会展に出品。 55年、銀座のたくみ工芸店画廊にて初個展。 以降、50年以上にわたり制作を続け、数多くの個展やグループ展で作品を発表する。 一方で、1972年、女子美術大学の教授に就任、87年に学長に就任し、91年退職。 2008年〜2010年、パリのGALERIE L'EUROPEで、3年連続で個展を開催し、現地で高い評価を得る。 2012年4月には、神奈川県立近代美術館で開催された『村山亜土作「夜の絵」とともに 柚木沙弥郎展2012』が好評を博す。 今後は、2013年1月10日〜4月13日、東京・岩立フォークテキスタイルミュージアム「柚木沙弥郎の世界」、4月17日〜4月30日、東京・銀座三越8階ギャラリー「柚木沙弥郎の染め布」。 5月2日〜8月18日、東京・世田谷美術館2階展示室「いのちの旗じるし」。 Shoichiro Aiba Born in 1922, Tokyo, Japan. Although he entered the Department of Art and Art History at Tokyo Imperial University now Tokyo University in 1942, he became a mobilized student in the following year. After the end of Second World War, in 1946 he started working at Ohara Museum in Kurashiki, Okayama. There he became aware of Mingei theory which Soetsu Yanagi advocated. When the stencil-dyed calendar made by Keisuke Serizawa struck his heart, he decided to become his pupil and started pursuing a dyeing artist career. In 1949, he sent his first artwork to the 23rd Zuga-kai exhibition. In 1955, his first solo exhibition was held at Takumi Kogei Gallery in Ginza. After that he has created artworks for over 50 years and showed his works at solo and group exhibitions. On the other hand he took up a professorship at Joshibi University of Art and Design in 1972. In 1987 he was named president of the University and remained in charge until he retired in 1991. His latest solo exhibition at Museum of Modern Art, Kamakura in April 2012 also won great popularity. 写真:木寺 紀雄 1974年、神奈川県横須賀市生まれ。 ホンマタカシ氏に師事。 2001年独立、フリーランスになる。 , dieci)が話題に。 現在、雑誌や広告など幅広く活躍中。 Norio Kidera Born in Yokosuka, Japan in 1974. He studied photography under Takashi Homma and became freelance photographer in 2001. , dieci received high evaluations. He works for various magazines and advertisements.

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