井口 中指。 キングヌー の年収は【億】越え!?作曲担当の常田が独りボロ儲けでヤバい!

キングヌー は態度が悪い?Mステで常田があくび!?井口は中指を立て炎上も!【動画】

井口 中指

そして作詞家には 1. 5% 作曲家には 1. 5% というのが一般的な水準です。 スポンサーリンク YouTubeの広告収入は3200万!? キングヌー が紅白でも披露した名曲 「白日(はくじつ)」は、YouTubeでの再生数が1億回を2019年に突破しました。 2020年3月現在は、 1億7000万回を超えています。 その他の動画の再生回数もざっくりと計算したところ、 YouTubeでの1再生単価「0. 1円」で掛け算すると、、、 推定3200万円の広告収入を得ていました!もちろん事務所との契約状況によっても分け前は変わったくるので、あくまで「推定」です。 カラオケの印税収入は2億以上は確定!? まず知っていて欲しいのはカラオケの印税収入の仕組みです。 エアバンドとしてパフォーマンスが有名な「ゴールデンボンバー」の ボーカルの鬼龍院翔の例をあげます。 彼は作詞作曲編曲をひとりで手がけています。 つまり金爆の曲がカラオケで歌われると、 歌手としての印税、作詞者・作曲者・編曲者としての印税の両方を鬼龍院さんは得ることになります。 『女々しくて』は、オリコンの週間カラオケランキングで49週連続、そして通算50週連続1位という驚異の記録を樹立した代表曲。 約1年もカラオケランキングの首位を独占していました。 一部で報道された印税額はなんと「3億円」です! カラオケの場合、 アーティスト印税が1曲約 2円前後と言われています。 つまり誰かがキングヌー の曲を1曲歌うと 「2円」がチャリンと彼らに入ります。 常田のように 作詞・作曲をしていると、著作権印税も入ります。 著作権印税が1曲2円~7円とされているので、 約4円と考えます。 スポンサーリンク その他の収入もまとめると、、5億超え!? ストリーミング再生は、再生単価「0. 16円」です。 「白日」はYouTubeだけではなく ストリーミングでも1億再生を超えています。 これの推定額が 2000万円です。 他には、ダウンロード(1単価16円程度)やグッズ、ライブのチケット売上げ、CM出演など、、 これらだけで 1億以上が見込まれます。 メンバー個人の収入は? 気になるキングヌー のメンバー個人の収入ですが、 井口に関してはラジオのパーソナリティーもやっていますよね!(2020年3月現在) ですのでベースの新井や、ドラムの勢喜より若干収入は多くなると考えられます。 しかし注目して欲しいのは 「常田大希のひとり勝ち」だということです。 作詞作曲をしている常田は、他のメンバーより印税収入が3〜4倍多くなります。 Vinci(サーヴァ・ヴィンチ)」という名前で活動する。 (この時まだ井口はいない) 当時はエレクトロニカ、現代音楽寄りの前衛的な音楽性のユニットだった。 7月19日、YouTubeに「ABUKU」のミュージックビデオをアップ。 現在のメンバーでのバンド編成となり、音楽性も現在のものへと変化していった。 デビューから半年で密着開始と異例の早さでの出演となり話題に。

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井口 中指

経歴 [ ] プロ入り前 [ ] 生い立ち [ ] (旧)で生まれる。 として野球を始め、中学校まで捕手を務める。 小学5年の時に、率いるチーム「ビクトリー」から、少年野球チームの「保谷リトルクラブ」に移り、小学校と中学校では最高学年で主将を務める。 中学3年次には全国大会に出場した で内野手になり、としてプレー。 2年の夏に3番・遊撃手としてに出場。 2年の秋から主将を務めたが、春と夏の全国大会の出場を逃した。 へ進学後も遊撃手としてプレーする。 1年からリーグ戦に出場し春のリーグ戦では優勝がかかった5月19日の戦にて、1点リードされた8回にランナー二人を置いて この時のランナーの一人はプロでもチームメイトになる 井口が逆転決勝点となる二点タイムリーを放ちそのまま勝利。 青山学院大学としては7季ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。 4年の春から4年の秋まで主将を務める。 4年の時にはでに選ばれ、銀メダル獲得に貢献した。 オリンピックにてのプレーに衝撃を受けたことが、後のメジャー挑戦を意識するきっかけになった。 大学時代は、同期のチームメイトである、、などと一緒にの優勝を始め、多くの輝かしい実績を残した。 個人としても、1番・の「青い核弾頭」として活躍し、史上唯一である三冠王や、リーグ記録となる1シーズン8などを記録。 大学通算成績は101試合出場、366、103、. 281、24、61、32。 東都大学通算24本塁打は現在も破られていないリーグ記録である。 また、最高殊勲選手2回、ベストナイン4回の受賞の経験がある。 プロ野球の各チームの争奪戦の末、をし 、でダイエーが1位指名。 契約金1億円、出来高払い5,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)で入団した。 背番号は「 7」に決まった。 大学のチームメイトでは澤崎が1位(逆指名)、清水が1位(逆指名)でそれぞれ入団し、同一大学から同時に3人の逆指名選手・ドラフト1位選手を輩出している。 プロ入り後 [ ] ダイエー時代 [ ] で右足首を捻挫したために開幕には間に合わず、5月3日の対戦で2番・遊撃手として一軍初出場。 1回裏のプロ初でから一軍での初安打となる左前安打を放ち、4回裏の3打席目では山崎から一軍での初本塁打となる左越え満塁本塁打を放つ、鮮烈なデビューを飾った。 外国人選手を除き、新人選手のデビュー戦満塁本塁打はプロ野球史上初の快挙だった。 しかし、順調な滑り出しとは裏腹に、その後は低打率に苦しみ、主に下位打線で起用される。 年末にはのにらと一緒に派遣され、ウェストオアフ・ケーンファイアーズに所属した。 開幕当初は1番として起用されたが、その後は9番など下位打線に回ることが多かった。 打率はリーグ最下位となる. 221と低迷したものの、リーグ12位の21本塁打を放ち、「恐怖の9番」と言われた。 また、7月5日の対ロッテ戦ではからランニング本塁打を放った。 開幕から3番や1番を任されるものの、その後は打率の低迷により、前年と同様下位打線で起用されるようになる。 打率はリーグ最下位の. 224に終わったものの、優勝争いの中でを3度記録するなど、勝負強さを発揮した。 9月8日の首位攻防となる対戦ではからサヨナラ満塁本塁打を放ち、試合前に西武が敗れてマジック1で迎えた9月25日の戦でもから決勝本塁打を放つなど、ダイエー初のリーグ優勝、日本シリーズ優勝に貢献した。 この年も下位打線を任されていたが、レギュラーシーズン中に左肩を負傷し、手術を行い、長く戦列を離れ、その間に遊撃手のポジションをに奪われた。 で戦列に復帰したが、リーグ優勝記念旅行にも参加せず、年末にはを本名の「忠仁」から「 資仁」に変更して飛躍を誓った。 守備面では鳥越にポジションを譲ってにされ、走塁面ではコーチのの助言から目標をに定めて臨んだ。 プロ入り以降、が. 250を超えたことがなかったことから、確実性を高めるためにフォームをからすり足打法に変更。 3番として定着し、打率. 261、史上3人目の30本塁打、40を記録し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。 、を受賞した。 この年、井口が30本塁打を記録したのに加え、松中が36本塁打、が44本塁打、が31本塁打を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。 日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初の快挙だった。 11月には台湾で開催された第34回IBAF()ワールドカップの日本代表には、、や高校生で唯一メンバー入りしたらと一緒に選ばれ、3番・二塁手として出場した。 改正もあり、前年に比べて投高打低化し、リーグ平均打率は. 255だったが、井口自身は打率. 259(リーグ24位)とリーグ平均打率を上回った。 しかし、本塁打は18本と多くの打者の例に届かずに数字を落とした。 年末には城島と一緒にスコアラーのに指導され、「より引き付けて打つ打法」に変更。 フォームをすり足打法から再び足を上げる方法に戻した。 5試合連続の、1試合4の日本タイ記録を達成した。 開幕戦は7番で迎えたが、レギュラーシーズン途中から3番としてほぼ定着し、の中心を担った。 340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)を記録し、OPS1. 011 リーグ4位 はチームトップだった。 2度目のベストナインとゴールデングラブ賞にも選ばれた。 また終盤にがで離脱したこともあり、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、松中、城島、と共に史上初の100打点カルテットを形成した。 では本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。 一時でのメジャー移籍を球団から承認されていたが、小久保のへの移籍により否認され、契約更改では「オーナーのの経営体制が刷新した場合、またはがオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚書を交わした。 開幕から3番に座ったが、1番として起用されることも多く、城島が出場により離脱した期間には代役として5番も務めた。 公式戦最終戦の9月23日の日本ハム戦ではサヨナラ本塁打を放った。 レギュラーシーズンでは打率. 333(リーグ4位)、24本塁打(リーグ12位)、89打点(リーグ8位)を記録した。 年末には高塚が部下への強制猥褻罪の容疑で逮捕されたために辞任したことを受け、前年に交わした覚書によって自由契約を選択し、MLBに挑戦することを表明。 ホワイトソックス時代 [ ] 2006年、ホワイトソックス時代 (当時31歳) と2年470万ドルで契約(3年目は年俸330万ドルのチームのオプション)。 開幕戦となった4月4日の対戦に2番・二塁手として初出場。 開幕2戦目となる4月6日のインディアンス戦ではからメジャー移籍後初安打をで記録(同試合で初盗塁も記録)。 5月3日の対戦ではから左翼席へメジャー初本塁打を放った。 その後もと一緒にホワイトソックスの「(監督のが命名した名前は「 スマート・ボール」)」を牽引。 この年は打率. 278、OPS. 780を記録。 特にホームでは好調で、打率. 304 、OPS. 830 の好記録を叩き出した一方、ビジターでは打率. 248 、OPS. 724 とホームでの時に比べると苦戦を強いられ、本拠地()に恵まれた数値が示された。 ポストシーズンでは10月5日の前年度ワールドチャンピオン、との第2戦で決勝の逆転3点本塁打を放つ活躍などを見せ、移籍1年目でリーグ優勝に貢献した。 その後、に出場。 日本人選手としては、、に次ぐ4人目のワールドシリーズ出場選手となった。 ワールドシリーズ優勝にも貢献し、日本人ではに次いで2人目のを獲得した。 伊良部はワールドシリーズに出場しておらず、実際に出場してリングを獲得したのは井口が初めてである。 しかし、最後の打席後に交代し、優勝決定の瞬間はベンチにいたため、「優勝した瞬間グラウンドにいた最初の日本人選手」の座は翌年の田口に譲ることになった。 また、日本人で初めて日本シリーズとワールドシリーズの両方を制覇した選手となった。 レギュラーシーズン終了後には、両リーグから選ばれるに二塁手部門で選ばれる。 後にこのシーズンについて自己犠牲を強いられる役割には不満があったと語るが、ギーエンの「今年のMVPは井口。 井口みたいな野球を深く理解している選手はいない。 彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇出来た」という言葉で救われたという。 二塁を守る井口資仁(2006年) のに選ばれる。 当初井口は「すべてのプロ野球選手が出場を望んでいる大会。 1年ぶりに監督の下で野球ができることを楽しみにしている」と発言していたが 、その後辞退。 井口は「2年目は、1年目以上のものを求められる。 そのためにはチームのキャンプでアピールしないといけない。 」などと語り、1月6日に大リーグの東京事務所を通じ監督の王にファックスを出したことを明かした。 王は「井口の欠場は個人的な理由だからしょうがない。 出ますというベストの選手の中でやっていくしかない。 」と語った。 5月20日の対戦で1試合6打点を、6月25日の対戦で1試合7打点を記録。 レギュラーシーズン通算では打率. 281、18本塁打、OPS. 774の記録を残したが、ホームでは打率. 313 、OPS. 853 、ビジターでは打率. 249 、OPS. 695 と前年と同様にビジターで苦戦したことに加え、本拠地が考慮されるでは平均を下回る など、本拠地に恵まれた数値が示された。 ギーエンは「打点の稼げるスラッガーになろうとしてメジャーの世界にやって来たのに、2年間、今までやったことがないことを良くやってくれた」とコメントした他、レギュラーシーズン終了直後には直々に「お前にはかなり我慢させてしまった。 今年だって本当なら20本以上の本塁打を打っていたはずだし、打率も3割を越えていたはずだ。 来年はもっと自由に打たせる」と言われたという。 12月29日のの大納会にゲストとして招かれた。 開幕直後に怪我をしていながらも強行出場していたこともあったために低調なスタートを切った。 フィリーズ時代 [ ] 2008 4月中は32打席連続無安打になるなど、絶不調に陥ったが、4月26日の対戦で日本人選手史上2人目となるサヨナラ本塁打を記録。 5月16日の対戦ではダイエー時代のチームメイトだった城島と2004年10月1日のパ・リーグのプレーオフ第2ステージ対西武戦の第5戦以来、1313日ぶりに本塁打を競演。 その後も二塁手として出場していたが、3安打を放った6月5日の対戦では走塁中に転倒して右肩を脱臼。 6月6日にメジャー4年目で初の入りとなった。 8月2日に復帰したが、脱臼した右肩の影響などで調子が上がらず、9月1日に解雇される。 フィリーズ復帰 [ ] 2008年9月5日に前年に所属したフィリーズと契約。 その後フィリーズはポストシーズンに進出。 井口の入団はポストシーズン出場選手登録期限後のため出場資格はなかったが、同年にフィリーズに所属していた田口壮と一緒に2個目のチャンピオンリングを手にすることになった。 ロッテ時代 [ ] 1月20日にロッテと年俸1億8,000万円の3年契約を結んで入団。 複数年契約を提示したフィリーズを始め、当時複数のメジャーチームから三塁手としてのオファーがあったが、家族の生活環境と二塁手としてのオファーを優先しロッテへの入団を決めたという。 背番号はが2005年に現役を引退して以降準永久欠番扱いとなっていた「 6」に決まった。 での開幕前のキャンプではダイエー時代に行っていた朝練習をと一緒に敢行。 開幕から4番を務め、4月7日には史上7人目となる全打順本塁打を日本プロ野球通算150本塁打で放った。 不振で途中から4番を外されたが最終的に123試合に出場し、打率. 281、19本塁打を記録した。 自らを目標に掲げた年だった。 294、17本塁打、2盗塁と目標には届かなかったが、3番・二塁手に定着し、得点圏打率は. 340と高い数値を記録。 また、リーグ2位の103打点を記録した。 また、四死球112と二塁打44はいずれもリーグトップだった。 2011年、ロッテ時代 二塁守備につく井口(当時36歳) この年から導入された統一球の影響もあり、前年に比べて大きく成績を落としたものの、チームトップとなる9本塁打、73打点を記録する。 しかし、チームはリーグ最下位に終わった。 5月28日の広島戦で5回表にから左中間へ3ラン本塁打を放ち、史上98人目となる日本プロ野球通算200本塁打を達成した。 同年の打率、打点の成績は前年より成績を落とすが、チーム最多の140試合に出場し、本塁打は2年振りの2桁本塁打となる11本(チームトップ)を記録し、自身初のリーグベストテン入り(7位)を果たした。 開幕当初は二塁手として起用されたが、この年からは一塁手にも挑戦することになった。 として出場する時もある。 5月は9本塁打、20打点、. 663の成績で自身3度目の月間MVPを獲得。 なおこの試合はサヨナラ負けを喫し、田中の連勝が続くこととなった。 7月終了時点で打率. 328、19本塁打と好調だったが、8月、9月には月間打率2割台前半を記録 するなど不振に陥った。 最終的に打率. 297(リーグ11位)、23本塁打(リーグ7位)、83打点(リーグ9位)を記録し、長打率、OPSの数値はロッテ移籍後最高だった。 クライマックスシリーズの第1ステージでは打率. 333、2本塁打 の活躍でファイナルステージ進出に貢献したが、ファイナルステージでは打率. 154、0本塁打 と不振に陥った。 チームもファイナルステージで敗退し、日本シリーズ出場を逃した。 第1ステージ、ファイナルステージの通算では打率. 227、2本塁打を記録した。 開幕から一塁手として起用され、4月16日の対西武戦で3年ぶりとなる2打席連続本塁打を放つ など春先は好調を維持する。 しかし以後は右手中指の腫れもあって成績を落として移籍後最低の打率に終わり、日本球界復帰後初めて規定打席にも到達しなかった。 シーズン後に右手中指の手術を予定していたが、検査結果を受けて回避することを決めた。 契約更改では前年に3年契約を結んでいたことを明かした。 8月28日のオリックス戦で350二塁打を達成した。 代打での起用が多く、87試合で打率. 247、本塁打6、打点28に終わった。 この年から日本球界最年長野手となった。 7月29日、パ・リーグ最年長選手であったケニー・レイ(楽天)の退団に伴い、新たにパ・リーグ最年長選手となった。 [ ]当シーズンもスタメンと代打の交互での起用が多く、最終的には79試合の出場で打率. 257、本塁打5本、打点34で終えた。 パ・リーグ最年長選手となった。 6月20日に球団公式サイトを通じて今季限りで引退することを発表し 、「まだシーズンの途中ですが、今シーズン限りで引退する事を決めました。 ここまで長くプレーしてきて、色々な思い出はありますが、まだ振り返りません。 今は一つでも多くの勝利と一つでも上の順位を目指し、チームの力となって全力を尽くしていきたい。 そして、残りのシーズンで今まで以上の思い出を作っていけたらいいと思います。 打席に入る時のマリーンズファンの声援は力になります。 残りの試合でも今まで以上の熱い声援を宜しくお願いします」とコメントした。 となった9月24日の本拠地での日本ハム戦では、を長女が務めた。 試合では6番・で出場し、2点ビハインドで迎えた9回裏の第4打席、無死一塁でからバックスクリーン右へ同点本塁打を放った。 その後延長11回裏の第5打席は右飛に倒れたため、結果としてこれが現役生活最後の安打となった。 試合後には引退セレモニーが実施され、ゆかりのある人物からのビデオメッセージが流された。 また、この日の本塁打の着弾点となった『右翼席2列624番』は、「井口資仁選手 2017年9月24日 引退試合本塁打着地点」を示すプレートが設置されることが発表され 、2018年公式戦よりマリンスタジアムにおいての記念碑的なホームランの着弾点を示す「レガシート」の一つとして制定、設置された。 また、NPBのみならずMLBにおいても、9月28日の古巣ホワイトソックスのホーム最終戦で、引退セレモニーとして本人によるが行われた(日付は現地時間)。 背番号は当時と同じ「15」だった。 現役引退後 [ ] ロッテ監督時代 [ ] 2017年10月12日、2018年シーズンからロッテの一軍監督を務めることが球団から発表された。 メジャーリーグ経験の日本人選手はコーチや二軍監督もあるが一軍監督になるのは初めてとなる。 井口は球団のオフィシャルサイトで「これから始まる新たな挑戦に今はとてもワクワクしています。 マリーンズというチームの良さをどのように出せばいいか。 どう変えていくべきか。 もうすでに色々な事が頭の中を駆け巡っています。 強く、そしてファンの皆様に愛される魅力的なチームを作り上げたいと考えていますので応援の程、宜しくお願いします。 」とコメントした。 同14日に就任会見が行われ、監督としての背番号は現役時代と同じ「 6」を使用することとなった。 ヘッド兼内野守備走塁コーチに鳥越裕介、戦略兼バッテリーコーチに、バッテリーコーチに、2軍監督にを招聘した。 球団初のパ・リーグ全球団負け越し、リーグワースト本拠地14連敗、順位は5位に終わった。 2019年はソフトバンクに17勝8敗と大きく勝ち越し、CSを争った楽天、日本ハムに勝ち越したが、最下位オリックスに9勝15敗1分、連覇した西武には8勝16敗1分で大きく負け越し、9月24日の試合では4対12と敗れ、目の前で優勝を決められて胴上げを見せられた。 順位は4位で2年連続Bクラスだった。 9月9日のソフトバンク戦では現役通して初の退場処分となった。 選手としての特徴 [ ] 井口の走塁(2008年) 打撃 [ ] ダイエー時代の監督である王貞治によると右方向への長打が特長である。 ではクリーンアップへの繋ぎを求められる2番での出場が多かった。 ホワイトソックス時代はチームの方針からほぼ毎打席1ストライクを捨てながらも20本近いを放ち、から「打順が変われば、25本塁打まで打てる力がある」と言われ 、他チームのスカウトマンたちからも「2番ではなく、6番を打たせれば、30本塁打まで打てる力がある」と長打力が高く評価されていた。 ロッテ移籍当初は4番や2番で出場したが、後に3番に定着した。 には12チームトップの. 118 を記録するなど、ロッテ移籍後はに磨きがかかり、また、同年は外角. 313で12本塁打を放つなど、外角に強さを発揮した。 走塁・守備 [ ] 一塁到達4. 3秒だが 、ダイエー時代は通算成功率約78%を記録し、2度の盗塁王を獲得している。 メジャーリーグ移籍以降は盗塁数が減少した。 2000年までは遊撃手を務めていたが、2000年秋のキャンプから二塁手のコンバートに取り組んだ。 一塁への送球距離が短くなったことで、無理に前進せずにボールを引き付けて捕球するケースが増え、打席でも「前に突っ込まなくなった」という。 二塁手としては3度に輝いた。 守備では深めの位置で守ることが多く、肩の強さは二塁手としてはメジャーでも強肩の部類に入ると評された。 は井口と初めて二遊間を組んだ際、「あの日は練習時間を間違えて球場入りしてしまったんだ。 練習や打ち合わせなしで本番に臨んだ。 でも、初回から彼のプレーを見て、『本物だ。 それに僕と感覚が似ている。 僕と同じで基本の枠を越えてプレー出来る選手だな』と実感した。 素晴らしいね」と語った。 2006年には『ベースボール・アメリカ』誌で監督投票による「最も守備に定評がある内野手」の2位に選ばれるなど、グラブ捌きにも定評があったが 、守備範囲は広くなく 、MLB通算は-4. 3、は-5を記録するなど、各種守備指標で平均を下回り 、ロッテ移籍後も得点換算などで平均を大きく下回った。 2013年は一塁手として99試合に出場し、規定試合数に到達したが 、UZRでは400イニング以上出場した一塁手としてはリーグワースト2位となる-5. 2と平均を下回っている。 2015年にも一塁手としてリーグワーストのUZRを記録した。 人物 [ ] 現役時代に使用していたバッティンググローブは社製の「隈取」が甲に描かれたWAJIKARAシリーズ。 西武時代のとの対戦では通算で打率. 365(85打数、31安打、3本塁打、9打点)を残して得意としていたことから、「 松坂キラー」と呼ばれた。 ホワイトソックス時代には本拠地ので井口が打席に入る時や好プレーをした時になると、に似た「 GUU-! GUU-! 」という唸り声をホームの観客が発した。 これは「 グーイング(guing [ ])」と呼ばれる井口への応援である。 現地では「イグチ(井口)」の「グ」にアクセントが置かれた特徴的な発音で呼ばれることが多く、これに由来する。 (2018年12月20日号)によると1997年オフに5歳上の女性と入籍したが2015年に離婚、2018年10月に18歳下の女性と再婚したことが報じられた。 詳細情報 [ ] 年度別打撃成績 [ ] 球 団 76 252 217 31 44 6 3 8 80 23 3 3 2 1 24 0 8 67 4. 203. 304. 369. 673 135 476 421 58 93 18 4 21 182 66 12 6 15 4 28 1 8 121 6. 221. 280. 432. 712 116 424 370 38 83 15 1 14 142 47 14 7 4 3 38 1 9 113 13. 224. 310. 384. 694 54 185 162 21 40 9 2 7 74 23 5 2 5 1 15 0 2 29 5. 247. 317. 457. 774 140 636 552 104 144 26 1 30 262 97 44 9 9 2 61 0 12 117 14. 261. 346. 475. 821 114 472 428 64 111 14 1 18 181 53 21 7 5 2 27 0 10 84 8. 259. 317. 423. 740 135 617 515 112 175 37 1 27 295 109 42 6 1 6 81 2 14 81 10. 340. 438. 573 1. 011 124 574 510 96 170 34 2 24 280 89 18 5 0 8 47 2 9 90 14. 333. 394. 549. 943 135 581 511 74 142 25 6 15 224 71 15 5 11 6 47 0 6 114 16. 278. 342. 438. 780 138 627 555 97 156 24 0 18 234 67 11 5 8 2 59 0 3 110 7. 281. 352. 422. 774 90 377 327 45 82 17 4 6 125 31 8 1 1 3 44 1 2 65 5. 251. 340. 382. 722 45 156 138 22 42 10 0 3 61 12 6 1 1 3 13 0 1 23 1. 304. 361. 442. 803 '07計 135 533 465 67 124 27 4 9 186 43 14 2 2 6 57 1 3 88 6. 267. 347. 400. 747 81 330 303 29 70 14 1 2 92 24 8 1 1 0 26 0 0 75 11. 231. 292. 304. 596 PHI 4 7 7 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0. 286. 286. 429. 715 '08計 85 337 310 29 72 15 1 2 95 24 8 1 1 0 26 0 0 75 11. 232. 292. 306. 598 123 530 448 71 126 24 3 19 213 65 4 4 0 1 68 2 13 101 11. 281. 391. 475. 866 143 650 531 88 156 44 1 17 253 103 2 1 0 7 98 1 14 114 13. 294. 412. 476. 888 140 597 509 52 135 23 3 9 191 73 1 1 0 7 72 4 9 96 11. 265. 362. 375. 737 140 578 505 58 129 30 1 11 194 60 3 1 0 4 53 3 16 99 11. 255. 343. 384. 727 135 566 485 68 144 31 2 23 248 83 4 3 0 4 67 2 10 81 13. 297. 390. 511. 902 109 408 357 35 85 24 0 10 139 49 1 0 0 3 40 3 8 74 7. 238. 326. 389. 715 87 250 227 21 56 17 1 6 93 28 1 0 0 0 21 0 2 65 4. 247. 316. 410. 726 79 176 152 13 39 8 0 5 62 34 1 0 0 3 19 0 2 50 1. 257. 341. 408. 749 65 144 123 9 30 7 0 2 43 15 0 0 0 2 19 1 0 27 4. 244. 340. 350. 690 :17年 1915 7535 6512 939 1760 367 26 251 2932 1017 176 55 41 58 778 22 146 1409 149. 270. 358. 450. 808 :4年 493 2078 1841 267 494 91 11 44 739 205 48 13 22 14 189 1 12 387 40. 268. 338. 401. 739• 各年度の 太字はリーグ最高 年度別打撃成績所属リーグ内順位 [ ] 年 度 機 構 リ | グ 打 率 安 打 二 塁 打 三 塁 打 本 塁 打 打 点 盗 塁 1997 23 NPB - - - - - - - 1998 24 - - - 5位 - - - 1999 25 - - - - - - 6位 2000 26 - - - - - - - 2001 27 - - - - - 7位 1位 2002 28 - - - - - - 3位 2003 29 4位 4位 4位 - - 5位 1位 2004 30 4位 3位 4位 - - 8位 4位 2005 31 MLB - - - 7位 - - - 2006 32 - - - - - - - 2007 33 - - - - - - - 2007 33 - - - - - - - 2008 34 - - - - - - - 2009 35 NPB パ・リーグ - - - - - - - 2010 36 - - 1位 - - 2位 - 2011 37 - - 10位 - - 8位 - 2012 38 - - 2位 - 7位 8位 - 2013 39 - - 4位 - 7位 9位 - 2014 40 - - - - - - - 2015 41 - - - - - - - 2016 42 - - - - - - - 2017 43 - - - - - - -• -は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記) MLBポストシーズン打撃成績 [ ] 球 団 12 55 47 7 9 1 0 1 13 5 0 1 3 0 2 0 3 12 1. 191. 269. 277. 546 3 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0. 000. 667. 000. 667 出場:2回 15 58 48 7 9 1 0 1 13 5 0 1 3 0 4 0 3 12 1. 188. 291. 271. 562 年度別守備成績 [ ] この節のが望まれています。 年 度 球 団 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 1997 ダイエー - - 69 85 187 3 27. 989 1998 - - 134 193 382 10 75. 983 1999 - - 110 155 304 15 57. 968 2000 - - 53 69 120 8 20. 959 2001 - 140 330 449 5. 994 - 2002 - 114 219 350 6 70. 990 - 2003 - 133 293 406 10. 986 - 2004 - 123 251 378 6. 991 - 2005 CWS - 133 234 375 14 84. 978 - 2006 - 136 269 371 8 76. 988 - 2007 - 90 188 247 6 66. 986 - PHI - 31 72 90 0 30 1. 000 - '07計 - 121 260 337 6 96. 990 - 2008 SD - 77 142 204 1 54. 997 - PHI - 1 1 2 0 0 1. 000 - '08計 - 78 143 206 1 54. 997 - 2009 ロッテ - 102 268 311 7 54. 988 - 2010 - 143 306 368 7 84. 990 - 2011 - 140 266 410 7 63. 990 - 2012 - 128 269 359 10 64. 984 - 2013 99 764 53 5 61. 994 15 22 36 1 3. 983 - 2014 80 561 54 4 40. 994 - - 2015 53 327 18 6 41. 983 - - 2016 43 266 17 3 15. 990 - - NPB:16年 275 1918 142 18 157. 991 1037 2224 3067 59 605. 989 366 502 993 36 179. 976 MLB:4年 - 468 906 1289 29 310. 987 -• 各年度の 太字はリーグ最高 タイトル [ ] NPB• :2回(2001年、2003年) 表彰 [ ] NPB• :3回(二塁手部門:2001年、2003年、2004年)• :3回(二塁手部門:2001年、2003年、2004年)• :3回(野手部門:2004年8月、2011年5月、2013年5月)• :1回(2009年)• :1回(2016年5月)• 優秀選手賞:1回()• パ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2017年) MLB• () (二塁手部門:2005年)• () (二塁手部門:2005年) その他• 殊勲賞(2005年)• (2009年) 記録 [ ] この選手の記録に関する文献やが必要です。 ためにご協力をお願いします。 ( 2013年7月) NPB初記録• 初出場・初先発出場:1997年5月3日、対4回戦()、2番・として先発出場• 初打席・初安打:同上、1回裏にから左前安打• 初本塁打・初打点:同上、4回裏に山崎慎太郎から左越満塁• 初三振:同上、6回裏にから• 初死球:1997年5月4日、対近鉄バファローズ5回戦(福岡ドーム)、8回裏にから• 初盗塁:1997年7月11日、対13回戦(福岡ドーム)、2回裏に二盗(投手:、捕手:) NPB節目の記録• 出場:9回(2001年 - 2004年、2009年 - 2013年) MLB初記録• 初出場・初先発出場:2005年4月4日、対1回戦()、2番・二塁手として先発出場• 初打席・初三振:同上、1回裏にから空振り三振• 初盗塁:2005年4月6日、対クリーブランド・インディアンス2回戦(USセルラー・フィールド)、1回裏に二盗(投手:、捕手: ())• 初安打:同上、6回裏にケビン・ミルウッドから左越二塁打• 初打点:2005年4月7日、対クリーブランド・インディアンス3回戦(USセルラー・フィールド)、2回裏にから左犠飛• 初本塁打:2005年5月3日、対4回戦(USセルラー・フィールド)、3回裏にから左越2ラン• 初死球:2005年5月20日、対1回戦()、1回表にから MLBその他の記録• 1500安打:2010年4月10日、対埼玉西武ライオンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏にから中越二塁打• 1000打点:2012年8月7日、対埼玉西武ライオンズ13回戦(QVCマリンフィールド)、3回裏にから中前適時打• 250本塁打:2013年4月16日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦()、7回表にから左越ソロ• 7(1997年 - 2004年)• 15(2005年 - 2007年途中)• 12(2007年途中 - 2008年途中)• 10(2008年途中 - 同年途中)• 9(2008年途中 - 同年終了)• 6(2009年 - ) 国際大会出場歴 [ ]• 日本代表:• 日本代表:• 日本代表:• 年度別監督成績 [ ] レギュラーシーズン 順 位 試 合 本 塁 打 打 率 防 御 率 5位 143 59 81 3. 421 28. 5 78. 247 4. 04 43歳 4位 143 69 70 4. 496 000 158. 249 3. 86 44歳 通算:2年 286 128 151 7. 459 Aクラス0回、Bクラス2回• 2019年度シーズン終了時 関連情報 [ ] 出演 [ ] テレビ番組 [ ]• (1999年12月27日、)• (2000年1月1日、TBS)-総合12位• 関口宏の東京フレンドパークII(2003年12月29日、TBS)• (2006年1月3日、)• 夢対決! とんねるずのスポーツ王は俺だ! スペシャル(2008年1月3日、テレビ朝日)• 関口宏の東京フレンドパークII(2010年12月13日、TBS)• 夢対決! とんねるずのスポーツ王は俺だ! スペシャル(2011年1月2日、テレビ朝日)• (2017年10月7日、) CM [ ]• (スポーツ用品各種)• () 著書 [ ]• 井口の法則 メジャーリーガーの野球技術() 2008年8月• Baseball-Reference. com 英語. 2013年6月18日閲覧• 日本プロ野球機構オフィシャルサイト 2013年12月5日閲覧。 - 日刊スポーツ 2017年11月3日• 朝日新聞、1996年11月14日付朝刊 (28面)• 朝日新聞、1996年12月7日付朝刊 (29面)• 『ベースボールマガジン 2004年プロ野球総決算号「激動」』ベースボールマガジン社出版 発行日2005年1月1日、41頁、雑誌07915-1。 『ベースボールマガジン 2004年プロ野球総決算号「激動」』ベースボールマガジン社出版 発行日2005年1月1日、98-111頁、雑誌07915-1。 MLB. com 2005年11月17日. 2012年9月28日閲覧。 47NEWS. 2014年8月13日時点の [ ]よりアーカイブ。 2015年12月14日閲覧。 スポーツニッポン. 2006年2月22日時点の [ ]よりアーカイブ。 2015年12月14日閲覧。 Baseball-Reference. com 英語. 2013年6月18日閲覧• Baseball-Reference. com 英語. 2013年6月18日閲覧• 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、P. 131。。 2013年6月5日. 2013年7月10日閲覧。 スポーツニッポン2013年7月26日配信• [ ]• 2013年11月8日閲覧。 2013年11月8日閲覧。 スポニチ Sponichi Annex. 2014年4月17日. の2014年10月10日時点におけるアーカイブ。 2015年1月11日閲覧。 2014年10月11日. 2015年1月11日閲覧。 2014年12月17日. 2015年1月11日閲覧。 2015年8月28日. の2015年8月29日時点におけるアーカイブ。 2015年8月31日閲覧。 2015年8月28日. 2015年8月31日閲覧。 のも同い年およびセ・リーグ最年長選手で、その岩瀬と共に2年続けての監督のより年上(1学年上)という、現職監督の年齢を上回る選手となった。 また、の監督のとは同い年でこちらも選手と監督が同い年という珍しいケースとなった。 2017年9月24日. 2018年3月21日閲覧。 2017年9月24日. 2017年11月5日閲覧。 2017年9月28日. 2017年9月28日閲覧。 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 千葉ロッテマリーンズ. 2018年3月27日. 2018年7月1日閲覧。 MLB. com MLB. com. 2017年9月28日. 2017年11月3日閲覧。 時事通信2017年10月10日• - 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井口理(KingGnu)の母親(井口純代)と兄弟が凄すぎる!気になる大学生活は?

井口 中指

経歴 [ ] プロ入り前 [ ] 生い立ち [ ] (旧)で生まれる。 として野球を始め、中学校まで捕手を務める。 小学5年の時に、率いるチーム「ビクトリー」から、少年野球チームの「保谷リトルクラブ」に移り、小学校と中学校では最高学年で主将を務める。 中学3年次には全国大会に出場した で内野手になり、としてプレー。 2年の夏に3番・遊撃手としてに出場。 2年の秋から主将を務めたが、春と夏の全国大会の出場を逃した。 へ進学後も遊撃手としてプレーする。 1年からリーグ戦に出場し春のリーグ戦では優勝がかかった5月19日の戦にて、1点リードされた8回にランナー二人を置いて この時のランナーの一人はプロでもチームメイトになる 井口が逆転決勝点となる二点タイムリーを放ちそのまま勝利。 青山学院大学としては7季ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。 4年の春から4年の秋まで主将を務める。 4年の時にはでに選ばれ、銀メダル獲得に貢献した。 オリンピックにてのプレーに衝撃を受けたことが、後のメジャー挑戦を意識するきっかけになった。 大学時代は、同期のチームメイトである、、などと一緒にの優勝を始め、多くの輝かしい実績を残した。 個人としても、1番・の「青い核弾頭」として活躍し、史上唯一である三冠王や、リーグ記録となる1シーズン8などを記録。 大学通算成績は101試合出場、366、103、. 281、24、61、32。 東都大学通算24本塁打は現在も破られていないリーグ記録である。 また、最高殊勲選手2回、ベストナイン4回の受賞の経験がある。 プロ野球の各チームの争奪戦の末、をし 、でダイエーが1位指名。 契約金1億円、出来高払い5,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)で入団した。 背番号は「 7」に決まった。 大学のチームメイトでは澤崎が1位(逆指名)、清水が1位(逆指名)でそれぞれ入団し、同一大学から同時に3人の逆指名選手・ドラフト1位選手を輩出している。 プロ入り後 [ ] ダイエー時代 [ ] で右足首を捻挫したために開幕には間に合わず、5月3日の対戦で2番・遊撃手として一軍初出場。 1回裏のプロ初でから一軍での初安打となる左前安打を放ち、4回裏の3打席目では山崎から一軍での初本塁打となる左越え満塁本塁打を放つ、鮮烈なデビューを飾った。 外国人選手を除き、新人選手のデビュー戦満塁本塁打はプロ野球史上初の快挙だった。 しかし、順調な滑り出しとは裏腹に、その後は低打率に苦しみ、主に下位打線で起用される。 年末にはのにらと一緒に派遣され、ウェストオアフ・ケーンファイアーズに所属した。 開幕当初は1番として起用されたが、その後は9番など下位打線に回ることが多かった。 打率はリーグ最下位となる. 221と低迷したものの、リーグ12位の21本塁打を放ち、「恐怖の9番」と言われた。 また、7月5日の対ロッテ戦ではからランニング本塁打を放った。 開幕から3番や1番を任されるものの、その後は打率の低迷により、前年と同様下位打線で起用されるようになる。 打率はリーグ最下位の. 224に終わったものの、優勝争いの中でを3度記録するなど、勝負強さを発揮した。 9月8日の首位攻防となる対戦ではからサヨナラ満塁本塁打を放ち、試合前に西武が敗れてマジック1で迎えた9月25日の戦でもから決勝本塁打を放つなど、ダイエー初のリーグ優勝、日本シリーズ優勝に貢献した。 この年も下位打線を任されていたが、レギュラーシーズン中に左肩を負傷し、手術を行い、長く戦列を離れ、その間に遊撃手のポジションをに奪われた。 で戦列に復帰したが、リーグ優勝記念旅行にも参加せず、年末にはを本名の「忠仁」から「 資仁」に変更して飛躍を誓った。 守備面では鳥越にポジションを譲ってにされ、走塁面ではコーチのの助言から目標をに定めて臨んだ。 プロ入り以降、が. 250を超えたことがなかったことから、確実性を高めるためにフォームをからすり足打法に変更。 3番として定着し、打率. 261、史上3人目の30本塁打、40を記録し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。 、を受賞した。 この年、井口が30本塁打を記録したのに加え、松中が36本塁打、が44本塁打、が31本塁打を記録し、パシフィック・リーグ初の30本カルテットを形成。 日本人のみの30本カルテットはプロ野球史上初の快挙だった。 11月には台湾で開催された第34回IBAF()ワールドカップの日本代表には、、や高校生で唯一メンバー入りしたらと一緒に選ばれ、3番・二塁手として出場した。 改正もあり、前年に比べて投高打低化し、リーグ平均打率は. 255だったが、井口自身は打率. 259(リーグ24位)とリーグ平均打率を上回った。 しかし、本塁打は18本と多くの打者の例に届かずに数字を落とした。 年末には城島と一緒にスコアラーのに指導され、「より引き付けて打つ打法」に変更。 フォームをすり足打法から再び足を上げる方法に戻した。 5試合連続の、1試合4の日本タイ記録を達成した。 開幕戦は7番で迎えたが、レギュラーシーズン途中から3番としてほぼ定着し、の中心を担った。 340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)を記録し、OPS1. 011 リーグ4位 はチームトップだった。 2度目のベストナインとゴールデングラブ賞にも選ばれた。 また終盤にがで離脱したこともあり、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、松中、城島、と共に史上初の100打点カルテットを形成した。 では本塁打を2本放ち、優秀選手に選ばれた。 一時でのメジャー移籍を球団から承認されていたが、小久保のへの移籍により否認され、契約更改では「オーナーのの経営体制が刷新した場合、またはがオーナー代行を辞任した場合、自由契約の選択権は井口にある」との覚書を交わした。 開幕から3番に座ったが、1番として起用されることも多く、城島が出場により離脱した期間には代役として5番も務めた。 公式戦最終戦の9月23日の日本ハム戦ではサヨナラ本塁打を放った。 レギュラーシーズンでは打率. 333(リーグ4位)、24本塁打(リーグ12位)、89打点(リーグ8位)を記録した。 年末には高塚が部下への強制猥褻罪の容疑で逮捕されたために辞任したことを受け、前年に交わした覚書によって自由契約を選択し、MLBに挑戦することを表明。 ホワイトソックス時代 [ ] 2006年、ホワイトソックス時代 (当時31歳) と2年470万ドルで契約(3年目は年俸330万ドルのチームのオプション)。 開幕戦となった4月4日の対戦に2番・二塁手として初出場。 開幕2戦目となる4月6日のインディアンス戦ではからメジャー移籍後初安打をで記録(同試合で初盗塁も記録)。 5月3日の対戦ではから左翼席へメジャー初本塁打を放った。 その後もと一緒にホワイトソックスの「(監督のが命名した名前は「 スマート・ボール」)」を牽引。 この年は打率. 278、OPS. 780を記録。 特にホームでは好調で、打率. 304 、OPS. 830 の好記録を叩き出した一方、ビジターでは打率. 248 、OPS. 724 とホームでの時に比べると苦戦を強いられ、本拠地()に恵まれた数値が示された。 ポストシーズンでは10月5日の前年度ワールドチャンピオン、との第2戦で決勝の逆転3点本塁打を放つ活躍などを見せ、移籍1年目でリーグ優勝に貢献した。 その後、に出場。 日本人選手としては、、に次ぐ4人目のワールドシリーズ出場選手となった。 ワールドシリーズ優勝にも貢献し、日本人ではに次いで2人目のを獲得した。 伊良部はワールドシリーズに出場しておらず、実際に出場してリングを獲得したのは井口が初めてである。 しかし、最後の打席後に交代し、優勝決定の瞬間はベンチにいたため、「優勝した瞬間グラウンドにいた最初の日本人選手」の座は翌年の田口に譲ることになった。 また、日本人で初めて日本シリーズとワールドシリーズの両方を制覇した選手となった。 レギュラーシーズン終了後には、両リーグから選ばれるに二塁手部門で選ばれる。 後にこのシーズンについて自己犠牲を強いられる役割には不満があったと語るが、ギーエンの「今年のMVPは井口。 井口みたいな野球を深く理解している選手はいない。 彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇出来た」という言葉で救われたという。 二塁を守る井口資仁(2006年) のに選ばれる。 当初井口は「すべてのプロ野球選手が出場を望んでいる大会。 1年ぶりに監督の下で野球ができることを楽しみにしている」と発言していたが 、その後辞退。 井口は「2年目は、1年目以上のものを求められる。 そのためにはチームのキャンプでアピールしないといけない。 」などと語り、1月6日に大リーグの東京事務所を通じ監督の王にファックスを出したことを明かした。 王は「井口の欠場は個人的な理由だからしょうがない。 出ますというベストの選手の中でやっていくしかない。 」と語った。 5月20日の対戦で1試合6打点を、6月25日の対戦で1試合7打点を記録。 レギュラーシーズン通算では打率. 281、18本塁打、OPS. 774の記録を残したが、ホームでは打率. 313 、OPS. 853 、ビジターでは打率. 249 、OPS. 695 と前年と同様にビジターで苦戦したことに加え、本拠地が考慮されるでは平均を下回る など、本拠地に恵まれた数値が示された。 ギーエンは「打点の稼げるスラッガーになろうとしてメジャーの世界にやって来たのに、2年間、今までやったことがないことを良くやってくれた」とコメントした他、レギュラーシーズン終了直後には直々に「お前にはかなり我慢させてしまった。 今年だって本当なら20本以上の本塁打を打っていたはずだし、打率も3割を越えていたはずだ。 来年はもっと自由に打たせる」と言われたという。 12月29日のの大納会にゲストとして招かれた。 開幕直後に怪我をしていながらも強行出場していたこともあったために低調なスタートを切った。 フィリーズ時代 [ ] 2008 4月中は32打席連続無安打になるなど、絶不調に陥ったが、4月26日の対戦で日本人選手史上2人目となるサヨナラ本塁打を記録。 5月16日の対戦ではダイエー時代のチームメイトだった城島と2004年10月1日のパ・リーグのプレーオフ第2ステージ対西武戦の第5戦以来、1313日ぶりに本塁打を競演。 その後も二塁手として出場していたが、3安打を放った6月5日の対戦では走塁中に転倒して右肩を脱臼。 6月6日にメジャー4年目で初の入りとなった。 8月2日に復帰したが、脱臼した右肩の影響などで調子が上がらず、9月1日に解雇される。 フィリーズ復帰 [ ] 2008年9月5日に前年に所属したフィリーズと契約。 その後フィリーズはポストシーズンに進出。 井口の入団はポストシーズン出場選手登録期限後のため出場資格はなかったが、同年にフィリーズに所属していた田口壮と一緒に2個目のチャンピオンリングを手にすることになった。 ロッテ時代 [ ] 1月20日にロッテと年俸1億8,000万円の3年契約を結んで入団。 複数年契約を提示したフィリーズを始め、当時複数のメジャーチームから三塁手としてのオファーがあったが、家族の生活環境と二塁手としてのオファーを優先しロッテへの入団を決めたという。 背番号はが2005年に現役を引退して以降準永久欠番扱いとなっていた「 6」に決まった。 での開幕前のキャンプではダイエー時代に行っていた朝練習をと一緒に敢行。 開幕から4番を務め、4月7日には史上7人目となる全打順本塁打を日本プロ野球通算150本塁打で放った。 不振で途中から4番を外されたが最終的に123試合に出場し、打率. 281、19本塁打を記録した。 自らを目標に掲げた年だった。 294、17本塁打、2盗塁と目標には届かなかったが、3番・二塁手に定着し、得点圏打率は. 340と高い数値を記録。 また、リーグ2位の103打点を記録した。 また、四死球112と二塁打44はいずれもリーグトップだった。 2011年、ロッテ時代 二塁守備につく井口(当時36歳) この年から導入された統一球の影響もあり、前年に比べて大きく成績を落としたものの、チームトップとなる9本塁打、73打点を記録する。 しかし、チームはリーグ最下位に終わった。 5月28日の広島戦で5回表にから左中間へ3ラン本塁打を放ち、史上98人目となる日本プロ野球通算200本塁打を達成した。 同年の打率、打点の成績は前年より成績を落とすが、チーム最多の140試合に出場し、本塁打は2年振りの2桁本塁打となる11本(チームトップ)を記録し、自身初のリーグベストテン入り(7位)を果たした。 開幕当初は二塁手として起用されたが、この年からは一塁手にも挑戦することになった。 として出場する時もある。 5月は9本塁打、20打点、. 663の成績で自身3度目の月間MVPを獲得。 なおこの試合はサヨナラ負けを喫し、田中の連勝が続くこととなった。 7月終了時点で打率. 328、19本塁打と好調だったが、8月、9月には月間打率2割台前半を記録 するなど不振に陥った。 最終的に打率. 297(リーグ11位)、23本塁打(リーグ7位)、83打点(リーグ9位)を記録し、長打率、OPSの数値はロッテ移籍後最高だった。 クライマックスシリーズの第1ステージでは打率. 333、2本塁打 の活躍でファイナルステージ進出に貢献したが、ファイナルステージでは打率. 154、0本塁打 と不振に陥った。 チームもファイナルステージで敗退し、日本シリーズ出場を逃した。 第1ステージ、ファイナルステージの通算では打率. 227、2本塁打を記録した。 開幕から一塁手として起用され、4月16日の対西武戦で3年ぶりとなる2打席連続本塁打を放つ など春先は好調を維持する。 しかし以後は右手中指の腫れもあって成績を落として移籍後最低の打率に終わり、日本球界復帰後初めて規定打席にも到達しなかった。 シーズン後に右手中指の手術を予定していたが、検査結果を受けて回避することを決めた。 契約更改では前年に3年契約を結んでいたことを明かした。 8月28日のオリックス戦で350二塁打を達成した。 代打での起用が多く、87試合で打率. 247、本塁打6、打点28に終わった。 この年から日本球界最年長野手となった。 7月29日、パ・リーグ最年長選手であったケニー・レイ(楽天)の退団に伴い、新たにパ・リーグ最年長選手となった。 [ ]当シーズンもスタメンと代打の交互での起用が多く、最終的には79試合の出場で打率. 257、本塁打5本、打点34で終えた。 パ・リーグ最年長選手となった。 6月20日に球団公式サイトを通じて今季限りで引退することを発表し 、「まだシーズンの途中ですが、今シーズン限りで引退する事を決めました。 ここまで長くプレーしてきて、色々な思い出はありますが、まだ振り返りません。 今は一つでも多くの勝利と一つでも上の順位を目指し、チームの力となって全力を尽くしていきたい。 そして、残りのシーズンで今まで以上の思い出を作っていけたらいいと思います。 打席に入る時のマリーンズファンの声援は力になります。 残りの試合でも今まで以上の熱い声援を宜しくお願いします」とコメントした。 となった9月24日の本拠地での日本ハム戦では、を長女が務めた。 試合では6番・で出場し、2点ビハインドで迎えた9回裏の第4打席、無死一塁でからバックスクリーン右へ同点本塁打を放った。 その後延長11回裏の第5打席は右飛に倒れたため、結果としてこれが現役生活最後の安打となった。 試合後には引退セレモニーが実施され、ゆかりのある人物からのビデオメッセージが流された。 また、この日の本塁打の着弾点となった『右翼席2列624番』は、「井口資仁選手 2017年9月24日 引退試合本塁打着地点」を示すプレートが設置されることが発表され 、2018年公式戦よりマリンスタジアムにおいての記念碑的なホームランの着弾点を示す「レガシート」の一つとして制定、設置された。 また、NPBのみならずMLBにおいても、9月28日の古巣ホワイトソックスのホーム最終戦で、引退セレモニーとして本人によるが行われた(日付は現地時間)。 背番号は当時と同じ「15」だった。 現役引退後 [ ] ロッテ監督時代 [ ] 2017年10月12日、2018年シーズンからロッテの一軍監督を務めることが球団から発表された。 メジャーリーグ経験の日本人選手はコーチや二軍監督もあるが一軍監督になるのは初めてとなる。 井口は球団のオフィシャルサイトで「これから始まる新たな挑戦に今はとてもワクワクしています。 マリーンズというチームの良さをどのように出せばいいか。 どう変えていくべきか。 もうすでに色々な事が頭の中を駆け巡っています。 強く、そしてファンの皆様に愛される魅力的なチームを作り上げたいと考えていますので応援の程、宜しくお願いします。 」とコメントした。 同14日に就任会見が行われ、監督としての背番号は現役時代と同じ「 6」を使用することとなった。 ヘッド兼内野守備走塁コーチに鳥越裕介、戦略兼バッテリーコーチに、バッテリーコーチに、2軍監督にを招聘した。 球団初のパ・リーグ全球団負け越し、リーグワースト本拠地14連敗、順位は5位に終わった。 2019年はソフトバンクに17勝8敗と大きく勝ち越し、CSを争った楽天、日本ハムに勝ち越したが、最下位オリックスに9勝15敗1分、連覇した西武には8勝16敗1分で大きく負け越し、9月24日の試合では4対12と敗れ、目の前で優勝を決められて胴上げを見せられた。 順位は4位で2年連続Bクラスだった。 9月9日のソフトバンク戦では現役通して初の退場処分となった。 選手としての特徴 [ ] 井口の走塁(2008年) 打撃 [ ] ダイエー時代の監督である王貞治によると右方向への長打が特長である。 ではクリーンアップへの繋ぎを求められる2番での出場が多かった。 ホワイトソックス時代はチームの方針からほぼ毎打席1ストライクを捨てながらも20本近いを放ち、から「打順が変われば、25本塁打まで打てる力がある」と言われ 、他チームのスカウトマンたちからも「2番ではなく、6番を打たせれば、30本塁打まで打てる力がある」と長打力が高く評価されていた。 ロッテ移籍当初は4番や2番で出場したが、後に3番に定着した。 には12チームトップの. 118 を記録するなど、ロッテ移籍後はに磨きがかかり、また、同年は外角. 313で12本塁打を放つなど、外角に強さを発揮した。 走塁・守備 [ ] 一塁到達4. 3秒だが 、ダイエー時代は通算成功率約78%を記録し、2度の盗塁王を獲得している。 メジャーリーグ移籍以降は盗塁数が減少した。 2000年までは遊撃手を務めていたが、2000年秋のキャンプから二塁手のコンバートに取り組んだ。 一塁への送球距離が短くなったことで、無理に前進せずにボールを引き付けて捕球するケースが増え、打席でも「前に突っ込まなくなった」という。 二塁手としては3度に輝いた。 守備では深めの位置で守ることが多く、肩の強さは二塁手としてはメジャーでも強肩の部類に入ると評された。 は井口と初めて二遊間を組んだ際、「あの日は練習時間を間違えて球場入りしてしまったんだ。 練習や打ち合わせなしで本番に臨んだ。 でも、初回から彼のプレーを見て、『本物だ。 それに僕と感覚が似ている。 僕と同じで基本の枠を越えてプレー出来る選手だな』と実感した。 素晴らしいね」と語った。 2006年には『ベースボール・アメリカ』誌で監督投票による「最も守備に定評がある内野手」の2位に選ばれるなど、グラブ捌きにも定評があったが 、守備範囲は広くなく 、MLB通算は-4. 3、は-5を記録するなど、各種守備指標で平均を下回り 、ロッテ移籍後も得点換算などで平均を大きく下回った。 2013年は一塁手として99試合に出場し、規定試合数に到達したが 、UZRでは400イニング以上出場した一塁手としてはリーグワースト2位となる-5. 2と平均を下回っている。 2015年にも一塁手としてリーグワーストのUZRを記録した。 人物 [ ] 現役時代に使用していたバッティンググローブは社製の「隈取」が甲に描かれたWAJIKARAシリーズ。 西武時代のとの対戦では通算で打率. 365(85打数、31安打、3本塁打、9打点)を残して得意としていたことから、「 松坂キラー」と呼ばれた。 ホワイトソックス時代には本拠地ので井口が打席に入る時や好プレーをした時になると、に似た「 GUU-! GUU-! 」という唸り声をホームの観客が発した。 これは「 グーイング(guing [ ])」と呼ばれる井口への応援である。 現地では「イグチ(井口)」の「グ」にアクセントが置かれた特徴的な発音で呼ばれることが多く、これに由来する。 (2018年12月20日号)によると1997年オフに5歳上の女性と入籍したが2015年に離婚、2018年10月に18歳下の女性と再婚したことが報じられた。 詳細情報 [ ] 年度別打撃成績 [ ] 球 団 76 252 217 31 44 6 3 8 80 23 3 3 2 1 24 0 8 67 4. 203. 304. 369. 673 135 476 421 58 93 18 4 21 182 66 12 6 15 4 28 1 8 121 6. 221. 280. 432. 712 116 424 370 38 83 15 1 14 142 47 14 7 4 3 38 1 9 113 13. 224. 310. 384. 694 54 185 162 21 40 9 2 7 74 23 5 2 5 1 15 0 2 29 5. 247. 317. 457. 774 140 636 552 104 144 26 1 30 262 97 44 9 9 2 61 0 12 117 14. 261. 346. 475. 821 114 472 428 64 111 14 1 18 181 53 21 7 5 2 27 0 10 84 8. 259. 317. 423. 740 135 617 515 112 175 37 1 27 295 109 42 6 1 6 81 2 14 81 10. 340. 438. 573 1. 011 124 574 510 96 170 34 2 24 280 89 18 5 0 8 47 2 9 90 14. 333. 394. 549. 943 135 581 511 74 142 25 6 15 224 71 15 5 11 6 47 0 6 114 16. 278. 342. 438. 780 138 627 555 97 156 24 0 18 234 67 11 5 8 2 59 0 3 110 7. 281. 352. 422. 774 90 377 327 45 82 17 4 6 125 31 8 1 1 3 44 1 2 65 5. 251. 340. 382. 722 45 156 138 22 42 10 0 3 61 12 6 1 1 3 13 0 1 23 1. 304. 361. 442. 803 '07計 135 533 465 67 124 27 4 9 186 43 14 2 2 6 57 1 3 88 6. 267. 347. 400. 747 81 330 303 29 70 14 1 2 92 24 8 1 1 0 26 0 0 75 11. 231. 292. 304. 596 PHI 4 7 7 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0. 286. 286. 429. 715 '08計 85 337 310 29 72 15 1 2 95 24 8 1 1 0 26 0 0 75 11. 232. 292. 306. 598 123 530 448 71 126 24 3 19 213 65 4 4 0 1 68 2 13 101 11. 281. 391. 475. 866 143 650 531 88 156 44 1 17 253 103 2 1 0 7 98 1 14 114 13. 294. 412. 476. 888 140 597 509 52 135 23 3 9 191 73 1 1 0 7 72 4 9 96 11. 265. 362. 375. 737 140 578 505 58 129 30 1 11 194 60 3 1 0 4 53 3 16 99 11. 255. 343. 384. 727 135 566 485 68 144 31 2 23 248 83 4 3 0 4 67 2 10 81 13. 297. 390. 511. 902 109 408 357 35 85 24 0 10 139 49 1 0 0 3 40 3 8 74 7. 238. 326. 389. 715 87 250 227 21 56 17 1 6 93 28 1 0 0 0 21 0 2 65 4. 247. 316. 410. 726 79 176 152 13 39 8 0 5 62 34 1 0 0 3 19 0 2 50 1. 257. 341. 408. 749 65 144 123 9 30 7 0 2 43 15 0 0 0 2 19 1 0 27 4. 244. 340. 350. 690 :17年 1915 7535 6512 939 1760 367 26 251 2932 1017 176 55 41 58 778 22 146 1409 149. 270. 358. 450. 808 :4年 493 2078 1841 267 494 91 11 44 739 205 48 13 22 14 189 1 12 387 40. 268. 338. 401. 739• 各年度の 太字はリーグ最高 年度別打撃成績所属リーグ内順位 [ ] 年 度 機 構 リ | グ 打 率 安 打 二 塁 打 三 塁 打 本 塁 打 打 点 盗 塁 1997 23 NPB - - - - - - - 1998 24 - - - 5位 - - - 1999 25 - - - - - - 6位 2000 26 - - - - - - - 2001 27 - - - - - 7位 1位 2002 28 - - - - - - 3位 2003 29 4位 4位 4位 - - 5位 1位 2004 30 4位 3位 4位 - - 8位 4位 2005 31 MLB - - - 7位 - - - 2006 32 - - - - - - - 2007 33 - - - - - - - 2007 33 - - - - - - - 2008 34 - - - - - - - 2009 35 NPB パ・リーグ - - - - - - - 2010 36 - - 1位 - - 2位 - 2011 37 - - 10位 - - 8位 - 2012 38 - - 2位 - 7位 8位 - 2013 39 - - 4位 - 7位 9位 - 2014 40 - - - - - - - 2015 41 - - - - - - - 2016 42 - - - - - - - 2017 43 - - - - - - -• -は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記) MLBポストシーズン打撃成績 [ ] 球 団 12 55 47 7 9 1 0 1 13 5 0 1 3 0 2 0 3 12 1. 191. 269. 277. 546 3 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0. 000. 667. 000. 667 出場:2回 15 58 48 7 9 1 0 1 13 5 0 1 3 0 4 0 3 12 1. 188. 291. 271. 562 年度別守備成績 [ ] この節のが望まれています。 年 度 球 団 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 1997 ダイエー - - 69 85 187 3 27. 989 1998 - - 134 193 382 10 75. 983 1999 - - 110 155 304 15 57. 968 2000 - - 53 69 120 8 20. 959 2001 - 140 330 449 5. 994 - 2002 - 114 219 350 6 70. 990 - 2003 - 133 293 406 10. 986 - 2004 - 123 251 378 6. 991 - 2005 CWS - 133 234 375 14 84. 978 - 2006 - 136 269 371 8 76. 988 - 2007 - 90 188 247 6 66. 986 - PHI - 31 72 90 0 30 1. 000 - '07計 - 121 260 337 6 96. 990 - 2008 SD - 77 142 204 1 54. 997 - PHI - 1 1 2 0 0 1. 000 - '08計 - 78 143 206 1 54. 997 - 2009 ロッテ - 102 268 311 7 54. 988 - 2010 - 143 306 368 7 84. 990 - 2011 - 140 266 410 7 63. 990 - 2012 - 128 269 359 10 64. 984 - 2013 99 764 53 5 61. 994 15 22 36 1 3. 983 - 2014 80 561 54 4 40. 994 - - 2015 53 327 18 6 41. 983 - - 2016 43 266 17 3 15. 990 - - NPB:16年 275 1918 142 18 157. 991 1037 2224 3067 59 605. 989 366 502 993 36 179. 976 MLB:4年 - 468 906 1289 29 310. 987 -• 各年度の 太字はリーグ最高 タイトル [ ] NPB• :2回(2001年、2003年) 表彰 [ ] NPB• :3回(二塁手部門:2001年、2003年、2004年)• :3回(二塁手部門:2001年、2003年、2004年)• :3回(野手部門:2004年8月、2011年5月、2013年5月)• :1回(2009年)• :1回(2016年5月)• 優秀選手賞:1回()• パ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2017年) MLB• () (二塁手部門:2005年)• () (二塁手部門:2005年) その他• 殊勲賞(2005年)• (2009年) 記録 [ ] この選手の記録に関する文献やが必要です。 ためにご協力をお願いします。 ( 2013年7月) NPB初記録• 初出場・初先発出場:1997年5月3日、対4回戦()、2番・として先発出場• 初打席・初安打:同上、1回裏にから左前安打• 初本塁打・初打点:同上、4回裏に山崎慎太郎から左越満塁• 初三振:同上、6回裏にから• 初死球:1997年5月4日、対近鉄バファローズ5回戦(福岡ドーム)、8回裏にから• 初盗塁:1997年7月11日、対13回戦(福岡ドーム)、2回裏に二盗(投手:、捕手:) NPB節目の記録• 出場:9回(2001年 - 2004年、2009年 - 2013年) MLB初記録• 初出場・初先発出場:2005年4月4日、対1回戦()、2番・二塁手として先発出場• 初打席・初三振:同上、1回裏にから空振り三振• 初盗塁:2005年4月6日、対クリーブランド・インディアンス2回戦(USセルラー・フィールド)、1回裏に二盗(投手:、捕手: ())• 初安打:同上、6回裏にケビン・ミルウッドから左越二塁打• 初打点:2005年4月7日、対クリーブランド・インディアンス3回戦(USセルラー・フィールド)、2回裏にから左犠飛• 初本塁打:2005年5月3日、対4回戦(USセルラー・フィールド)、3回裏にから左越2ラン• 初死球:2005年5月20日、対1回戦()、1回表にから MLBその他の記録• 1500安打:2010年4月10日、対埼玉西武ライオンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏にから中越二塁打• 1000打点:2012年8月7日、対埼玉西武ライオンズ13回戦(QVCマリンフィールド)、3回裏にから中前適時打• 250本塁打:2013年4月16日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦()、7回表にから左越ソロ• 7(1997年 - 2004年)• 15(2005年 - 2007年途中)• 12(2007年途中 - 2008年途中)• 10(2008年途中 - 同年途中)• 9(2008年途中 - 同年終了)• 6(2009年 - ) 国際大会出場歴 [ ]• 日本代表:• 日本代表:• 日本代表:• 年度別監督成績 [ ] レギュラーシーズン 順 位 試 合 本 塁 打 打 率 防 御 率 5位 143 59 81 3. 421 28. 5 78. 247 4. 04 43歳 4位 143 69 70 4. 496 000 158. 249 3. 86 44歳 通算:2年 286 128 151 7. 459 Aクラス0回、Bクラス2回• 2019年度シーズン終了時 関連情報 [ ] 出演 [ ] テレビ番組 [ ]• (1999年12月27日、)• (2000年1月1日、TBS)-総合12位• 関口宏の東京フレンドパークII(2003年12月29日、TBS)• (2006年1月3日、)• 夢対決! とんねるずのスポーツ王は俺だ! スペシャル(2008年1月3日、テレビ朝日)• 関口宏の東京フレンドパークII(2010年12月13日、TBS)• 夢対決! とんねるずのスポーツ王は俺だ! スペシャル(2011年1月2日、テレビ朝日)• (2017年10月7日、) CM [ ]• (スポーツ用品各種)• () 著書 [ ]• 井口の法則 メジャーリーガーの野球技術() 2008年8月• Baseball-Reference. com 英語. 2013年6月18日閲覧• 日本プロ野球機構オフィシャルサイト 2013年12月5日閲覧。 - 日刊スポーツ 2017年11月3日• 朝日新聞、1996年11月14日付朝刊 (28面)• 朝日新聞、1996年12月7日付朝刊 (29面)• 『ベースボールマガジン 2004年プロ野球総決算号「激動」』ベースボールマガジン社出版 発行日2005年1月1日、41頁、雑誌07915-1。 『ベースボールマガジン 2004年プロ野球総決算号「激動」』ベースボールマガジン社出版 発行日2005年1月1日、98-111頁、雑誌07915-1。 MLB. com 2005年11月17日. 2012年9月28日閲覧。 47NEWS. 2014年8月13日時点の [ ]よりアーカイブ。 2015年12月14日閲覧。 スポーツニッポン. 2006年2月22日時点の [ ]よりアーカイブ。 2015年12月14日閲覧。 Baseball-Reference. com 英語. 2013年6月18日閲覧• Baseball-Reference. com 英語. 2013年6月18日閲覧• 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、P. 131。。 2013年6月5日. 2013年7月10日閲覧。 スポーツニッポン2013年7月26日配信• [ ]• 2013年11月8日閲覧。 2013年11月8日閲覧。 スポニチ Sponichi Annex. 2014年4月17日. の2014年10月10日時点におけるアーカイブ。 2015年1月11日閲覧。 2014年10月11日. 2015年1月11日閲覧。 2014年12月17日. 2015年1月11日閲覧。 2015年8月28日. の2015年8月29日時点におけるアーカイブ。 2015年8月31日閲覧。 2015年8月28日. 2015年8月31日閲覧。 のも同い年およびセ・リーグ最年長選手で、その岩瀬と共に2年続けての監督のより年上(1学年上)という、現職監督の年齢を上回る選手となった。 また、の監督のとは同い年でこちらも選手と監督が同い年という珍しいケースとなった。 2017年9月24日. 2018年3月21日閲覧。 2017年9月24日. 2017年11月5日閲覧。 2017年9月28日. 2017年9月28日閲覧。 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 千葉ロッテマリーンズ. 2018年3月27日. 2018年7月1日閲覧。 MLB. com MLB. com. 2017年9月28日. 2017年11月3日閲覧。 時事通信2017年10月10日• - 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト 2017年10月12日午前• BEST 2018年1月13日• スポーツニッポン2013年7月27日配信• 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、P. 150。。 2007 二塁手ランキング『月刊スラッガー』2007年6月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-6、P. 32-35。 「 」 2013年11月30日閲覧。 MLB TALK SHOW No27 ジミー・ロリンズ『月刊スラッガー』2007年11月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-11、P. 67-69。 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、P. 430。。 Fangraphs、2013年5月30日閲覧。 SMR Baseball Lab• 2013年12月5日閲覧。 『2014プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、28頁。。 『数字で斬る! 2015年プロ野球 パ・リーグ編』ベースボール・マガジン社、2015年、66頁。 スポーツ報知2017年6月20日、田島正登• 朝日新聞2017年9月23日• 、2018年12月20日号、33-35頁、ロッテ井口監督が極秘離婚&不倫相手の18歳下「元ミス沖縄」と極秘入籍!• BR Bullpen. 2015年9月16日閲覧。 日本プロスポーツ大賞. 公益財団法人. 2017年11月25日閲覧。 【HOME'S】. 2016年11月18日閲覧。 [ ]• TADAHITO IGUCHI. 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