左派 ポピュリズム。 なぜ日本では「左派ポピュリスト」が誕生しないのか、ひとつの考え方(小田中 直樹)

山本太郎は日本のバーニー・サンダースか

左派 ポピュリズム

日本では「ギリシャは対岸の火事ではない」などとして、その後の消費増税が決められました。 『黒い匣』(明石書店)が明らかにするのは、「ギリシャ救済策」の欺瞞と暴力性、欧州諸国の民主主義の解体、そして世界的な経済秩序の機能不全という普遍的な問題で、本書は「史上最高の政治的回顧録」といわれております。 『「反緊縮!」宣言』(亜紀書房)は、未来への希望を語る、新たなニューディール政策の宣言書なのです。 ポピュリズムは、アメリカのトランプ大統領を代表とする排外主義的なイメージとして連想されますが、左派ポピュリズムには、右派ポピュリズムや新自由主義政策に対抗することが期待されています。 これからの政治・経済で重要な軸を深いところから理解する、絶好の機会といえます。 関西学院大学総合政策学部准教授。 著書に『脱原発で地元経済は破綻しない』(高文研)。 現代政治理論、民主主義論。 政治社会学。 訳書に『左派ポピュリズムのために』(明石書店)。

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左派ポピュリスト山本太郎

左派 ポピュリズム

れいわの衝撃 7月4日の新宿駅西口地下から、「旋風」が起きそうな予感は漂っていた。 ニューズウィーク日本版の取材で訪れた私は、予想以上の熱量だったとメモを取っている。 山本太郎は参加者の前で声を張り上げる。 「いまの政治はみなさんへの裏切りだ。 20年以上続くデフレ、異常ですよ。 物価が下がり続け、消費が失われ、投資が失われ、需要が失われ続け、国が衰退している。 デフレを続けてきたのは自民党の経済政策の誤りの連続でしょ」 「生活が苦しいのは、あなたのせいにされていませんか?努力が足りなかったからじゃないか?違いますよ。 間違った経済政策のせいですよ。 消費税は増税じゃない、腰が引けた野党が言う凍結でもない。 減税、ゼロしかないじゃないですか」 「ないところから税金をとるな。 金持ちから取れ。 誰もが自信を持てない世の中になっている。 自分が生きていていいのかと思ってしまうのはどうしてですか?あなたには力がある。 諦める前に、チャンスをください」 そして、彼は何度も「選挙はおもしろくないといけない」と繰り返した。 難病患者が国会に行くというストーリー、沖縄の創価学会員が東京で公明党代表に挑戦するというストーリーも「おもしろく」演出することに長けていた。 全国各地を周り、他の野党候補も積極的に応援しながら、自身への票を掘り起こした。 朝日新聞の出口調査によると、応援先の野党支持層から一定数が「れいわ」に流れていることがわかる。 盛り上がりは7月19日の新橋、7月20日の新宿で最高潮に達したといっていいだろう。 ミュージシャンや著名人が応援に駆けつけた。 結果的に、与党支持層は切り崩せなかったが、野党の不満はすくい上げた。 上と下の対決 ポイントは最初から最後まで、安倍政権、そして野党の緊縮財政志向を徹底的に批判することに多くの時間を割いたことだろう。 デフレを糾弾し、「上」から金を取り、「下」にもっとよこせと訴える。 そして、「あなた」に呼びかけ自己責任は無いと言い切る。 元俳優、バラエティでも活躍したタレントになって演説のスタイルも巧みだった。 出口調査で40代以下を主要な支持層として取り付けたという。 個別の政策はともかく、立ち向かう姿を応援したいという層もいたことは間違いない。 山本の政策は徹底的な反緊縮と減税である。 平たく言えば、デフレ脱却のために、消費税を廃止し、国はもっとお金をかけて財政出動せよというものだ。 彼の著作などによると、金融緩和にも肯定的な左派系の経済学者として有名な松尾匡・立命館大教授に学んだことが大きい。 欧州の左派ポピュリズム政党 これらの主張は数年前から欧州を席巻している左派ポピュリズムのそれである。 政治学者の吉田徹・北海道大教授は「欧州で台頭する左右ポピュリズムを分かつもの」(週刊エコノミスト、2017年2月7日号)でこのように分析している。 「左派ポピュリズムおいては財政主権や再分配、右派ポピュリズムにおいては国民主権や反グローバル化が唱えられる。 こうした主張は、08年のリーマン・ショックと続く10年のユーロ危機を経て、既成政党批判と反緊縮財政、金融・財政主権の回復、場合によってはユーロ圏からの離脱という政策・言説でもって、両極ポピュリズムは共通の立場をとることになる。 このような政治的主張は、格差や貧困の進展、労働市場からはじかれ、没落の恐怖におびえる高齢者や中間層、高い失業率にあえぐ若年労働者層の支持を集めることになる」 「左派ポピュリズムと右派ポピュリズムを分け隔てる最大の違いは、個人やマイノリティーの自己決定権を認めた上で『開かれた社会』を認めるか、反対に家父長主義的で権威主義的、伝統的な共同体や家族が個人よりも優先されるような『閉じられた社会』が実現されるべきと考えるかどうかにある」 要するに左派ポピュリズムには経済的な格差への不満を吸収するだけでなく、価値観を体現する政党という性格がある。 「れいわ」が難病患者を優先的に当選させたことは、まさにマイノリティーの自己決定権を認めるという価値観を体現するものと言える。 問われているのは野党 日本において左派ポピュリズム政党が誕生した背景は、欧州の同じものだろう。 問題を突きつけられているのは、既存のリベラル系の野党だ。 立憲民主党は議席数を伸ばしたとはいえ、政権交代の選択肢とはおよそ言えない。 比例で当選したのも労働組合系の候補者が上位を占め、都市部の選挙区を含め注目を集めた目玉候補は軒並み落選した。 共産党は支持層の一部が「れいわ」に流れている。 これがなぜかを分析しないと、投票に行っていない人たちの票の掘り起こしにもつながらない。 山本は落選したが、私がニューズウィーク日本版で予想した通り、次の衆院選への出馬を宣言した。 一度吹いたポピュリズムの風は当分、収まりそうにない。 (2019年7月22日より転載).

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テーゼとアンチテーゼという矛盾と反証によってものごとを捉えようとするヘーゲル哲学は、弁証法によってものごとの本質を捉えようとする本質主義というイデオロギーを産出しましたが、本質主義は社会の矛盾や問題点を説明できても、解決できないじゃないかと若きカール・マルクスは批判的に新たな言説を構築しようとしました。 それがマルクス主義だと言っていいだろうと私は考えています。 そして、ロンドンにあるマルクスの墓石には「Workers of All land, unite」と英文で刻まれています。 マルクスはドイツ生まれのユダヤ人でしたが、実業家であったマルクスの実父が商売上の理由からキリスト教に改宗したため、マルクスもコンバート(改宗者)であったようです。 もともとヘーゲル哲学を修め、大学で教鞭を取っていましたが、ものごとをいくら客観的に分析してその本質を明らかにしても、自分の生活を含めて、社会に散見される貧困など様々な問題は事実として認識されるばかりで、放置され、解決されていきません。 ソ連・ロシアの作家、劇作家、歴史家であるソルジェニーツィンは、「神への憎悪がマルクス主義の原動力である」と述べたり、マルクス自身も「宗教は民衆のアヘンである」と述べたと言われていて、マルクスは反宗教主義者であると烙印を押されてきました。 しかし、ここには巧みな反マルクス主義、反共産主義の言説や右派ポピュリズムのプロパガンダが影響していると私は考えています。 「宗教は民衆のアヘンである」という言説は、マルクスの著書『ヘーゲル法哲学批判』に記された次の言説を短縮したものです。 「宗教は抑圧が生み出した溜息であり、心ない世の中の心であり、精気を欠いた状況の精気である。 それは民衆のアヘンである。 言い換えれば、マルクスは、「宗教がなければ、人々は抑圧に苦しみ、心ない世の中に傷つき、精気を取り戻すこともできず、痛みをその場かぎりとはいえ、癒すこともできない。 」と述べているのであって、この言説に「神への憎悪」や「反宗教主義」を読み取ることは出来ません。 ただし、「アヘンで痛みを紛らす」のではなく、「社会の問題を現実的に解決する」ことの必要をマルクスは考えたに違いありません。 その方法が、彼の時代にあっては「革命」であったのだろうと私は考えています。 プロレタリア革命は、土地も生産手段もなにも保有していない人々が、自分たちの労働力を切り売りするしかなかった労働者が立ち上がることにより、生産手段を労働者が手に入れるために「団結せよ!」とマルクスが労働者を鼓舞し、呼びかけた革命であったのだと総括することができるだろうと思います。 これを「暴力革命」と断じ、「暴力革命」こそが「共産主義」の目的であるというステレオタイプは、右派、左派、双方に蔓延してきたのだと私は分析しています。 右派は「マルクス主義を暴力革命を扇動する危険思想だ」とレッド・パージ(赤狩り)キャンペーンを展開し、極左は「暴力革命以外に人民の解放はない」と断じ、テロに走り、内部抗争=内ゲバを繰り返して、ますます彼らの活動を暴力的に推進した不幸な歴史がありました。 しかし、カール・マルクスの人格の根底には、「持たざる人々への愛」(アフェクション)があったことを今、私たちは再評価しなければならないと思います。 果たすべき経済格差の是正と富の再分配は、十分な富の蓄積のない国家において、人々を豊かになどしないはずだと私は考えます。 それよりもむしろ、高度に経済発展を遂げた先進資本主義国においてこそ、マルクス主義は結実していると私はマルクスを再評価しています。 家庭環境がどうあれ、だれもが幸せに、だれもが公平平等に教育も医療も福祉も享受できる世の中になったのは、「持たざる人々」が自らの可能性を開化させ、自己実現しながら、ある程度自由な生活を謳歌できるのは、マルクスの言説が世界に幅広く浸透したお陰なのだと私は分析しています。 西欧の福祉国家が何よりもそのことを如実に体現しています。 マルクスの人間愛こそが、現在にいたる「左派ポピュリズム」の源泉であることを、第3弾となるこの記事の締めくくりとして、指摘しておこうと思います。 持たざる人々が、立場の弱い大多数の人々が、巨大な資産や生産手段を独占する少数者の「自由」の名の下で差別、抑圧、搾取されない言説を立て上げていくこと。 このことこそが、マルクスの言説の力であり、左派ポピュリズムの明確な方向性なのだと思います。 次回は、ラクラウとムフが取り組んだポスト・マルクス主義について検証していきたいと思います。 追伸 マルクスの墓碑の言葉が「プロレタリア」から「労働者」に変わったのは、その後20世紀に入って、王侯貴族、ブルジョワ、プロレタリアといったいわゆる「階級」が薄まり、消滅したからだと私は理解しています。 ポスト・マルクス主義は、そのような「階級」のない世界に、マルクス主義の「階級闘争」がどのようにかたちを変えて受け継がれてきたのか、それがやがてこのブログタイトルである「左派ポピュリズム」に繋がっていくのかといった結節点にあたる言説(政治理論)です。

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