つれづれ なり 意味。 徒然草(つれづれなるままに)

徒然草・つれづれなるままに 現代語訳・品詞分解ひと目でわかる

つれづれ なり 意味

都民ファーストとは? 小池百合子都知事誕生してからまだ間もないですが、築地市場移転問題から東京五輪まで色々と話題がつきません。 その中でしばしば出てくる「都民ファースト」という言葉。 東京都知事選で初当選した小池百合子氏(64)が2日午前、初登庁し、戦後9人目で女性として初めての都知事に就任した。 都政改革を訴えて291万票を集めた小池氏は、職員への訓示で「まず都政の透明化、情報公開で都政への信頼を回復したい。 なによりも都民ファーストに徹していただきたい」と述べた。 引用元: 意味としては、都民を第一(ファースト)に考えるということですね。 レディファーストのようなものでしょうか。 女性知事だからこそ出てくるセンスのいいワードだと思いました。 確かに舛添知事時代には、都政の透明化、情報公開などが徹底されていない印象が強かったですから、小池都知事のこの理念が定着していくのは、都民にとってはいいことかもしれません。 これからの小池百合子都知事の活躍次第ですが、この「都民ファースト」という言葉は流行語大賞の候補にもなるかもしれませんね。 「都民を第一に考える政治とはどのようなものなのか」について、このワードと共に考えていくのも面白いでしょう。 小池百合子知事のプロフィール 続いて小池百合子知事のプロフィールをみてみましょう。 生年月日 :1952年7月15日(64歳) 出身:兵庫県芦屋市 出身大学: 関西学院大学中退/ カイロ大学卒業 前職 :アラビア語通訳/ニュースキャスター 大臣経験:環境大臣 小泉内閣2003-2006 内閣府特命担当大臣 小泉内閣2004-2006 防衛大臣 安部内閣2007 過去に3つの大臣経験もあるスーパーエリートのキャリアウーマンです。 政治家になる前はアラビア語通訳とニュースキャスターをされていました。 アラビア語通訳に至っては、「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」という記事を目にしたことをきっかけに、関西学院大学を中退して、急きょエジプトのカイロ大学の留学を決めたのだとか。 当時から、行動力には物凄いものがありますね。 そしてその後はテレビ東京の人気経済番組「ワールドビジネスサテライト」のキャスターとして活躍されています。 この番組のキャスターといえば、小谷真生子さんや大江麻理子さんといった実力派ばかりですよね。 このキャスター時代を中心に、経済や政治についての知見を深めていったのだと推測します。 ちなみに小泉内閣の大臣時代には、小泉元首相と結婚まで噂されるほど寵愛を受けていたようですが、結局結婚には至らず、現在も独身とのことです。 スポンサーリンク 東京都政はどう変わる? さて、そんな実力や経験も豊富な小池百合子さんが都知事になることで、都政はどのように変わっていくのでしょうか? 就任記者会見の言葉を改めて見てみると、「都民ファースト」に加えて、「見える化」もキーワードになりそうです。 東京都は税収が豊かであるが故に、誰がやっても財政が上手く回ってしまい、税収の使い道などが曖昧なままでも特に大きな問題にはなりませんでした。 それが、舛添元知事の政治資金の不正使用疑惑がきっかけで、今以上に都政の見える化・透明化が求められるようになったのです。 そうした中で、小池都知事が都政への信頼回復のために立ち上がった訳ですね。 小池都知事は、「都政は多くの課題に直面しているが、いつ、誰が、どこで、何を決めたのかを見える化することによって、都政への信頼回復のベースができると考えている。 都政全体のあらゆる課題に見える化を広げていきたい」と強調した。 引用元: 都知事に就任して早速に築地市場の移転問題に着手して、延期することを表明しました。 また、東京五輪予算についても今後1年から1年半かけて徹底的に見える化を図り、削減案をまとめると発表しています。 まだ効果まで見えていませんが、着実に変わってきている印象はありますよね。 少なくとも、彼女が当選したことで都政に興味をもった方は多いですから、それだけでも意味のあることだったような気もします。 猛反発もあるが、平然としたものだ。 「根回しベタといわれるが、根回しをしていたら改革できない」「コンセンサス(consensus)ではなく、コンビクション(conviction の時代ではないか」と、イギリス元首相サッチャー氏の言葉を引用しながら、力強く語った。 引用元: それぞれの決定には猛反発もあり、賛否両論ありますが、「根回しをしていたら改革は出来ない」という言葉は、従来の日本の政治家とはちょっと違う印象ですよね。 ちなみに、上記にある「コンセンサス」とは意見の一致のことで、「コンビクション」とは信念・理念といった意味になります。 確かにリーダーは、ある程度独裁であってもいいのかもしれませんね。 初代Jリーグチェアマンで、現在はバスケットボールの振興にも尽力されている川淵三郎氏がリーダー論について、以下のように述べていました。 「リーダーは時に独裁者でいい。 しかし、私利私欲を捨てて理念を持たなければ、独裁者になる資格は無い」 ただの独裁者では、どこかの国みたいになってしまいますからね。 私利私欲がなく、そして理念がしっかりしているというのが前提です。 これは私も同感です。 小池新都知事の都政はまだ始まって1か月ちょっと。 今後のあるべきリーダー像といったことも考えながら、彼女の今後の動きを見ていくのも面白いかもしれません。 まとめ 小池新都知事が誕生して、しばしば耳にするようになった「都民ファースト」という言葉。 意味は、都民を第一に考えて、都政の見える化を徹底的に図っていくという小池都知事の理念と言えるものでしょう。 築地市場移転延期や東京五輪の予算問題など、就任まだ1か月ちょっとで、色々と注目を集める行動をしています。 根回しもそこそこに遂行していくその行動力には賛否両論もありますが、期待する都民も多いのではないでしょうか。 今後のあるべきリーダー像なんかも考えながら、小池都知事の動向に注目していきたいと思います。

次の

都民ファーストってどんな意味?東京都政は小池百合子知事でどう変わったか

つれづれ なり 意味

退屈である。 本来は「連れ連れ」と書かれていました。 漢字の意味の通り、「長々と、同じ状態が連続すること」が元々の意味となります。 そこから、このような意味となっているようです。 退屈である。 ただ単純に「何もすることがない」という状態ではなく、その状態が退屈すぎて「 つまらない」と思っているところがポイントです。 なので、マイナスの方がやや強いイメージですね。 例えば、入院をしていて、何もすることがない状態を体験したことがある人もいると思います。 病床って、何もすることがなくて本当に退屈ですよね。 「ひますぎるなぁ~、つまらないな、、、」 と思うことが「徒然」です。 「徒然」の例文 現代では、全くと言っていいほど使われない古い言葉ので、古典での日本語と思ってもらったら問題ありません。 病床の徒然な日々を、読書にてまぎらわす• 老後の徒然を、絵画の鑑賞にて過ごしたいと思います。 昨今は徒然なものですから、、、• 徒然の日を退屈そうに暮らしている〈夏目漱石・「虞美人草」より〉 もっと理解を深めるための雑学 有名な「徒然なるままに」ってどういう意味? それでは、徒然草の冒頭で有名な「徒然なるままに」という意味はどうなるのでしょうか。 これは、 「することがないので、退屈にまかせて、、、」 という意味になります。

次の

「徒然(つれづれ、とぜん)」の意味を、わかりやすく1分解説

つれづれ なり 意味

あなたは、たとえば、通学の電車の中で、何をしていますか? あるいは、友達と、特定の喫茶店の中で、という約束で待ち合わせをしていて、 友達から、「ごめん!電車が遅延してて、15分くらい遅れる!」と、 メールかラインがきたとき。 今日提出のレポートの校正を、寸暇を惜しんでやっている、 というような状態のときは、そもそも「暇」ではありませんよね、 それは、もともと「忙しい」状態。 暇というのは、さしあたってすることがないという状態のことです。 たとえば、私なら、 急ぎの仕事のあるときは、そんな寸暇さえ惜しんで仕事をしていますが、 そうでもないときは、モバイル端末を使って、ネットに接続して、 こうして知恵袋に回答なんかしています。 あなたも、たぶん、そんなときは、 たいてい、スマホを「いじって」いるのじゃないかな。 友達とラインで会話しているかも、動画を見たり、音楽を聴いたりしているかも、 ゲームをしているかも、何かのサイトを見ているかもしれないけど、 なんにせよ、スマホを、「いじるともなくいじっている」のじゃない? あなたは、「暇があったら「色々なこと」ができる」じゃないか、と思う。 その「色々なこと」が、スマホをいじることであったり、 少し前の人たちだったら、本を読むことであったり、 おっさんだったら、スポーツ新聞を読むことであったり、 タバコを吸うことであったり、するわけです。 昔は、女の人なんかよく編み物をしていました。 こういうことが「できる」状態は、「つれづれ」「手持ち無沙汰」が、 それによって「解消」されている状態なんです。 その「何かしら」すら、できない状態、 これが、本当の「手持ち無沙汰」であり、「つれづれなり」の状態なのです。 スマホをいじりたくても電池が切れてしまっているとき。 昨今はどこも禁煙禁煙で、タバコが吸えない、 あるいは、タバコを切らしてしまったとき。 本を読もうと思っていたのに、置き忘れてきてしまったことに気付いたとき。 俺なんか、あわれな活字中毒患者 重症 ですから、 本を持ってきていないことに気づいたら、異様なほどうろたえます。 もう、こうなると、現代人は、かならず「寝」ますよね。 絶対と言っていいくらい、「寝る」。 寝てでもいないかぎり、「何もしていないと格好がつかない」という感覚があるでしょう? ぼんやり窓の外を見ている、なんて、フランス映画の主人公みたいなこと、 なかなか、15分もは、続けられないんじゃないですか。 飽きてくる。 何かを手に持って、何かに神経を集中していたり、没頭していたりしないと、 「落ち着かない」という感じはありませんか。 こういう、なんとはなしの不安な感じ、焦燥感、落ちつかなさ、居ずまいの悪さ、いたたまれなさ、 「自己存在への疑問」とまで言ってしまったら、近代的すぎて、 「つれづれなり」とはまた違ってくるでしょうが、 人間、「何かしていないと申し訳ないような気」がするものです。 高貴な身分の方でさえ、「退屈」をもて余したマリー・アントワネットは、 いかがわしい仮面舞踏会や、法律で禁じられている賭博にはまったというではありませんか。 ふだんバタバタ働いていることが常の一般人ならなおさらです。 そういう退屈そのものや、退屈から出てくる焦燥や不安、 こうしたものから、「気を紛らわす何か」が、「あるとき」はいい。 でも、それが「ないとき」が、本当の「手持ち無沙汰」であり、「つれづれ」なのです。 もちろん、兼好法師は、その「つれづれ」を、 「徒然草」を書くことによって、「解消」したのですよ。 誰に命じられたわけでもないけど、 「書く」という習慣を持ったことで、 生活に張り合いが出て、「気が紛れ」たのです。

次の