火垂る の 墓。 火垂るの墓おばさんのその後は?嫌味も実は正論で悪くない?

【火垂るの墓】自殺していた!?清太の死の理由がヤバい

火垂る の 墓

1 4月15日放送の『 』では、5日に逝去された高畑勲監督への追悼として、代表作の1つである『 火垂るの墓』の特集が行われました。 岡田斗司夫氏。 まず、清太と節子の2人が親戚の家を出て防空壕で暮らし始めた時、夜中に上空を飛んで行く飛行機を見つける、というシーンがあります。 その飛行機のかすかに点滅した灯りを見た清太は「特攻機や」と言います。 つまり、 これから相手に自殺攻撃をかける飛行機だと。 すると、次に節子が「 蛍みたいやね」と言うんですね。 その後、清太は、暗い洞窟で寝るのを嫌がった節子のために、何十匹もの蛍を捕まえてきて、蚊帳の中に放ちます。 2人が蚊帳の中に蛍を放すという時に、構図がロングになるシーンがあるんですけども。 これがもう、すごく意地悪なんですよ。 穴の中に2人が立っていて、その周りを蛍が飛んでるんですけども。 こういうふうに、この作品の中では、蛍のように光を発している時には、必ず死を暗示させるような見せ方をしてるんです。 この蛍の飛ぶ蚊帳の中で、清太は、お父さんが乗った日本海軍の連合艦隊の観艦式の様子を思い出します。 だけど、清太が思い浮かべる夜の海上で光に包まれた連合艦隊の摩耶という船は、実は、 このお話の1年近く前に沈んでいるんですよ。 つまり、この作品の中で光るものというのは、特攻機にしても、蛍にしても、連合艦隊にしても、すべて死ぬことになるんです。 「死に行くものだからこそ、光り輝いて美しい」というような描かれ方をしているんですよ。 蚊帳に蛍を放った翌朝、清太が「何してんねん?」と言うと、大量の蛍の死骸を土に埋めながら、節子が「お墓作ってんねん」と言います。 そこで「お母ちゃんもお墓に入ってんねんやろ? うち、叔母ちゃんに聞いてん。 お母ちゃん、もう死にはって、お墓の中に居るねんて」というふうに節子に言われた清太は、もう号泣してしまいます。 このシーン、あまりのかわいそうさに泣いちゃう人も多いんですけども。 もちろん、蛍という生き物は、光を放ち始めたら数日間で死ぬ運命なんですけども、だからといって、自分たちの慰めのために、蚊帳の中に閉じ込めて、自由を奪っていいという理由にはなりませんよね。 そして、「蛍、かわいそうやから、逃してあげよ」なんて発想は、別に節子にもないんですよ。 この蚊帳の中で蛍が飛んでいるシーンは、映画の冒頭ともリンクしています。 これは冒頭、幽霊となった清太と節子が、電車の窓の向こうで燃える、神戸大空襲の爆弾投下の様子を眺めているシーンなんですけど。 「火が垂れ落ちてくる」から「火垂る」と書く。 そして、この空襲の風景を眺める2人の中には「ツラいね、悲しいね」という思いはないんですよ。 この火垂るについても、蛍と同じく「 生命が燃えていて、綺麗だね」という視点で眺めているんです。

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本当は10倍怖い「火垂るの墓」!?もう2度と見たくなくなるドン引きな内容

火垂る の 墓

4月15日放送の『』にて、5日に逝去された高畑勲監督への追悼として、代表作の1つである『 火垂るの墓』の特集が行われました。 アニメ制作会社ガイナックス・元代表取締役社長の 岡田斗司夫氏は、見落とされがちなラストシーンや、冒頭でのさりげない背景の変化を指摘し、この作品の映画としての構造を解説しました。 この映画のラストシーンを覚えていない人がビックリするくらい多いんですよ。 ベンチに座っている清太と節子。 寝ている節子の傍らで、清太は繁栄している現代の神戸のビル街を見下している。 こんなシーンが最後に入るんです。 これこそが 『火垂るの墓』を見る際に基本中の基本となるシーンだと思うんですけども、このシーンを覚えていないというか、これがどういう意味だか受け取っていない人が、思いの外、多いんですよね。 最後、清太が三宮の駅構内で野垂れ死ぬと、節子の霊が迎えに来ます。 てっきり2人は一緒に成仏するのかと思ったら、ラストでは 現代の神戸の夜景が映るんです。 つまり、彼らは終戦後半世紀が過ぎた今でも、まだ成仏せずに、 今でも私達を見つめているということなんですよ。 そういう意味では、『火垂るの墓』というのは、オカルトとまではいかないんですけど、ちょっと怖い映画なんですよ。 しかし、ほとんどの人はそこまで考えていない。 そもそも、過半数の人が、このシーンを覚えてない。 そういうことを、今回、ツイートを見ていて知ったんですけれども。 「このシーンで終わるところが、やっぱりこの映画のスゴイところだ」と思う僕としては、それを見逃している人があまりにも多かったことに、かなり驚きました。 岡田斗司夫氏。 映画冒頭にも秘密が隠されている 映画が始まって一番最初に、暗闇の中で、カメラ目線で真っ正面を向いた清太の幽霊が現れます。 そして、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というふうに言います。 次に、駅構内で死にかけている自分の姿が映ります。 この時点では一応、ハアハアと、まだ息をしているんですね。 でも、やがて崩れてしまう。 すると、駅員がやってきて、清太が死んだことを確認します。 そして、「ああ、こいつも死んでしもうた」ということで遺品を探っていたら、ポケットの中から缶が出てくる。 何の缶かわからないので、駅員がそれをポイと捨てると、捨てられた缶の中から骨が出てきて、季節外れの蛍がポワッと現れる。 その蛍の中から1人の女の子の幽霊が現れる。 妹の節子ですね。 節子の幽霊がお兄ちゃんの死体に駆け寄ろうとすると、後ろから肩を叩かれて止められる。 振り返ると、そこには生きていた頃の優しいお兄ちゃんがいて、2人はそのまま手を繋いで、蛍のいる草原を右から左へ歩いてフェードアウトする。 そしてこの、2人が通り過ぎた場所に、『火垂るの墓』というタイトルが表示される。 これが、『火垂るの墓』のオープニングなんですけども。 実はこの「まだ生きている自分を、死んだ清太の幽霊が見つめる」という場面にも、よくよく見ると、 すごい秘密が隠されているんです。 「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」と清太の幽霊が言った後、駅構内の柱が映るんですけど、この時、手前に何かが映ってるんですよね。 わかりますか? 柱があって、その手前に何かが映ってて、これがスーッと消えたと思ったら、次に、死にかけている自分がボワっと現れて、次のカットに流れるんです。 この曲線的なデザインを見るに、これは戦前に作られたものじゃありません。 これ、実は灰皿なんですよ。 「本当にそうなのかな?」と思って、念のために『火垂るの墓』のBlue-rayのディスクの特典を見たら、ちゃんと制作当時に神戸まで行って撮ってきたロケハン写真というのが載っていたんですよね。 そのロケハン写真をみると、1987年の三宮駅の柱の横に、まったく同じデザインの灰皿があったんですよ。 このロケハン写真を見てもわかる通り、『火垂るの墓』の冒頭では、現代の駅にある灰皿を描くというようなことをやっているんです。 つまり、 『火垂るの墓』というのは、決して過去の話ではなく、現代のシーンから始まっているということなんです。 『火垂るの墓』は清太の霊が成仏できない理由を探るミステリー作品だった この冒頭のシーンは「清太の霊は、戦後40年が過ぎた現代でも、いまだにあの場所に留まっていて、自分の人生最後の3ヶ月間を、何千回も、何万回も、何億回もリプレイして苦しんでいる」ということを意味しています。 まあ、地縛霊というのは「その場所に縛られ続ける霊」という意味であって、清太たちの幽霊は電車に乗って移動するから、正確には違うんですけども(笑)。 じゃあ、なぜ彼は、死後、映画公開時点と考えても43年間も、 過去に囚われ続けているのか? そういった説明が、ここから始まるんです。 つまり、この映画は「なぜ彼は、死んでから43年も経つのに、自分が一番辛かった時のことを見返さなきゃいけないのか?」という理由を、ここから 90分かけて説明するという構造になっている。 この全体構造がわかっていると、この映画の見方がだいぶ変わってくるんですよ。

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火垂るの墓の都市伝説!再放送されない3つの理由…

火垂る の 墓

4月15日放送の『』にて、5日に逝去された高畑勲監督への追悼として、代表作の1つである『 火垂るの墓』の特集が行われました。 アニメ制作会社ガイナックス・元代表取締役社長の 岡田斗司夫氏は、見落とされがちなラストシーンや、冒頭でのさりげない背景の変化を指摘し、この作品の映画としての構造を解説しました。 この映画のラストシーンを覚えていない人がビックリするくらい多いんですよ。 ベンチに座っている清太と節子。 寝ている節子の傍らで、清太は繁栄している現代の神戸のビル街を見下している。 こんなシーンが最後に入るんです。 これこそが 『火垂るの墓』を見る際に基本中の基本となるシーンだと思うんですけども、このシーンを覚えていないというか、これがどういう意味だか受け取っていない人が、思いの外、多いんですよね。 最後、清太が三宮の駅構内で野垂れ死ぬと、節子の霊が迎えに来ます。 てっきり2人は一緒に成仏するのかと思ったら、ラストでは 現代の神戸の夜景が映るんです。 つまり、彼らは終戦後半世紀が過ぎた今でも、まだ成仏せずに、 今でも私達を見つめているということなんですよ。 そういう意味では、『火垂るの墓』というのは、オカルトとまではいかないんですけど、ちょっと怖い映画なんですよ。 しかし、ほとんどの人はそこまで考えていない。 そもそも、過半数の人が、このシーンを覚えてない。 そういうことを、今回、ツイートを見ていて知ったんですけれども。 「このシーンで終わるところが、やっぱりこの映画のスゴイところだ」と思う僕としては、それを見逃している人があまりにも多かったことに、かなり驚きました。 岡田斗司夫氏。 映画冒頭にも秘密が隠されている 映画が始まって一番最初に、暗闇の中で、カメラ目線で真っ正面を向いた清太の幽霊が現れます。 そして、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」というふうに言います。 次に、駅構内で死にかけている自分の姿が映ります。 この時点では一応、ハアハアと、まだ息をしているんですね。 でも、やがて崩れてしまう。 すると、駅員がやってきて、清太が死んだことを確認します。 そして、「ああ、こいつも死んでしもうた」ということで遺品を探っていたら、ポケットの中から缶が出てくる。 何の缶かわからないので、駅員がそれをポイと捨てると、捨てられた缶の中から骨が出てきて、季節外れの蛍がポワッと現れる。 その蛍の中から1人の女の子の幽霊が現れる。 妹の節子ですね。 節子の幽霊がお兄ちゃんの死体に駆け寄ろうとすると、後ろから肩を叩かれて止められる。 振り返ると、そこには生きていた頃の優しいお兄ちゃんがいて、2人はそのまま手を繋いで、蛍のいる草原を右から左へ歩いてフェードアウトする。 そしてこの、2人が通り過ぎた場所に、『火垂るの墓』というタイトルが表示される。 これが、『火垂るの墓』のオープニングなんですけども。 実はこの「まだ生きている自分を、死んだ清太の幽霊が見つめる」という場面にも、よくよく見ると、 すごい秘密が隠されているんです。 「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」と清太の幽霊が言った後、駅構内の柱が映るんですけど、この時、手前に何かが映ってるんですよね。 わかりますか? 柱があって、その手前に何かが映ってて、これがスーッと消えたと思ったら、次に、死にかけている自分がボワっと現れて、次のカットに流れるんです。 この曲線的なデザインを見るに、これは戦前に作られたものじゃありません。 これ、実は灰皿なんですよ。 「本当にそうなのかな?」と思って、念のために『火垂るの墓』のBlue-rayのディスクの特典を見たら、ちゃんと制作当時に神戸まで行って撮ってきたロケハン写真というのが載っていたんですよね。 そのロケハン写真をみると、1987年の三宮駅の柱の横に、まったく同じデザインの灰皿があったんですよ。 このロケハン写真を見てもわかる通り、『火垂るの墓』の冒頭では、現代の駅にある灰皿を描くというようなことをやっているんです。 つまり、 『火垂るの墓』というのは、決して過去の話ではなく、現代のシーンから始まっているということなんです。 『火垂るの墓』は清太の霊が成仏できない理由を探るミステリー作品だった この冒頭のシーンは「清太の霊は、戦後40年が過ぎた現代でも、いまだにあの場所に留まっていて、自分の人生最後の3ヶ月間を、何千回も、何万回も、何億回もリプレイして苦しんでいる」ということを意味しています。 まあ、地縛霊というのは「その場所に縛られ続ける霊」という意味であって、清太たちの幽霊は電車に乗って移動するから、正確には違うんですけども(笑)。 じゃあ、なぜ彼は、死後、映画公開時点と考えても43年間も、 過去に囚われ続けているのか? そういった説明が、ここから始まるんです。 つまり、この映画は「なぜ彼は、死んでから43年も経つのに、自分が一番辛かった時のことを見返さなきゃいけないのか?」という理由を、ここから 90分かけて説明するという構造になっている。 この全体構造がわかっていると、この映画の見方がだいぶ変わってくるんですよ。

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