毛利 庭園。 毛利庭園(毛利甲斐守邸跡)

【山口】防府天滿宮、毛利氏庭園散策賞紅葉

毛利 庭園

雖然已經好幾年沒去關西地區賞紅葉,但因為這次的秋季行程計畫得比較晚,廉航機票已經高漲,於是這次行程改走以往沒有走過的九州北部和山陽地區,看看不同的紅葉景色。 這天的行程來到山口縣的防府地區,以散步的方式走訪防府天滿宮及毛利氏庭園兩個景點,再搭車前往山口縣的錦帶橋。 關於防府地區的歷史,簡單來說就是在日本戰國時期,原本只是個小國的毛利家族,在毛利元就的領導之下逐漸壯大,最興盛時是個統領七國的龐大勢力。 關原之戰時,石田三成為首的西軍積極拉攏,毛利氏派出了一萬五千大軍加入場戰役。 不過毛利氏和東軍簽訂了祕密協議,因此並沒有積極參與戰事,加上薩摩軍在後方看戲,還有其他軍團倒戈等狀況,西軍最後戰敗。 毛利氏也成了戰敗的一方,受到領地減封的懲罰,但因為簽訂了祕密協議而減輕罰則,僅是由七國領主變成只有周防和長門兩國,後來成立長州藩一直到幕末。 長州藩到幕末時期出現許多優秀人物,是推動明治維新的重要力量。 今日走訪的防府地區,就位在當時的周防国內,因此擁有不少歷史古蹟或遺跡。 我個人滿喜歡在秋天的清晨出來散步,雖然氣溫只有個位數但呼吸到的空氣很清爽,寧靜的氣氛也讓人心情舒坦。 這天抵達防府站時才7點半,走出車站大廳來到2號站牌看了一下巴士時刻表,要等到7:55才有巴士,於是決定直接步行前往防府天滿宮。 如果不想走太多路,可以配合巴士時刻表安排行程。 下圖巴士時刻僅供參考,請以防長巴士官網公布的時刻表為準(),查詢前往阿弥陀寺方向的巴士。 清晨的防府街道沒有喧鬧的聲音,偶爾被幾聲烏鴉叫聲劃破寧靜。 出站後先往右走,幾分鐘後來到了防府天滿宮參道的入口,過馬路後沿著參道前進就能抵達。 參道的前半段是商店街,但完全沒有看到商店營業,我心想大概太早沒開門吧。 找了台販賣機買了一罐熱咖啡暖暖手,一路往防府天滿宮輕鬆走去,悠閒的氣氛讓我拋下了工作的壓力,這不就是旅行的目的嗎。 菅原道真是日本平安時代(大致是中國唐朝時期)的學者、詩人,被日本人尊為學問之神。 本來官運順遂,一路扶搖直上,在醍醐天皇即位後不久達到顛峰,升任為右大臣並兼任右近衛大將,位階相當於正二位或從二位。 官位一大就容易犯小人,道真升官還不到一個月就被誣陷而貶官,流放至太宰府。 他在前往九州的途中經過防府,覺得很喜歡這個地方,於是約定說自己死後靈魂會回到這裡。 來到太宰府後,他始終鬱鬱寡歡,不幸在903年病逝。 隔年,創建防府天滿宮以祭祀他,成為日本第一座天滿宮,而他的遺體則是葬在太宰府。 「天滿」之名,是取自他死後的神號「天滿大自在天神」。 傳說道真病逝後,醍醐天皇的皇子陸續病死,多位大臣在開會時被雷劈死,諸多巧合讓大家認為這是道真的靈魂回來復仇,因此讓菅原道真不但是日本學問之神,也成為「平安時代四大怨靈」之首,因此天皇希望藉由創建「北野天滿宮」來化解怨靈,而防府天滿宮、太宰府天滿宮和北野天滿宮並稱為日本三大天神。 眼前這座時鳥居是長州藩藩主的毛利秀就在1629年下令建造,已有近四百年歷史,是縣內最古老的石鳥居。 防府天滿宮年度重要活動之一,就是每年11月第四個星期六所舉辦的「御神幸祭」。 御神幸祭始於防府天滿宮創立百年後的1004年,為了洗刷道真莫須有的罪名而舉行。 祭典時會有上千名男子半裸或身著薄衣,抬著重達500公斤的神轎,往來天滿宮和當初道真上岸的「勝間之浦」。 到訪這週正好就是活動舉辦日,現場可以看到已經在進行一些布置。 先後穿過外面的石鳥居和裡面的銅鳥居,在右手邊的茶室芳松庵出現了紅葉美景。 為什麼會有茶室的存在,因為道真曾經研究並推廣喝茶文化,有「茶聖菅公」之稱,因此在1911年,防府天滿宮打造了這間茶室芳松庵,用以感念到真在推廣茶的貢獻。 庭院內廣植楓樹,讓芳松庵成了防府地區重要的紅葉景點之一。 這天來得太早尚未營業,只能在外面拍拍照。 而天滿宮必備的牛雕像,在這裡也可以看到。 芳松庵對面是大專坊,在日本南北朝時期(1336~1392年)到明治初期間,是防府天滿宮的9個社坊之一(對面的芳松庵所在是円楽坊跡),過去曾被毛利元就拿來當成作戰指揮所,目前列為山口縣指定史跡。 欣賞完紅葉,繼續爬上這數十階階梯前往拜殿,平常少運動的我有點氣喘吁吁,樓梯右側圍牆內的巨大樟樹,樹齡推測有800年以上,高大挺拔。 樹幹粗5. 6公尺,高度27. 5公尺,枝葉延伸範圍36公尺,相當寬大。 防府天滿宮拜殿前的朱紅色門樓氣派華麗,是防府天滿宮的招牌畫面之一,一旁還有刻著「扶桑官廟最初」的石碑。 因為道真很喜歡梅花,所以境內種植了不少梅花,但12月到訪只有看枝條的份,櫻花也是,而這裡在春天也是個賞櫻景點。 防府天滿宮的腹地不大,很快就可以繞完一圈,零星的幾棵變色的植物點綴了境內的景色。 門樓旁掛滿了繪馬,上面都是祈求考試順利通過的願望,這裡的繪馬都是牛的圖案,據說菅原道真是承和12年(845年)6月25日生,正逢牛年牛月牛日,且有很多關於他的傳說都和牛有關,因此牛就被認為是天神的神物,所以各地天滿宮都會見到牛雕像和牛圖案的繪馬。 或許是紀念道真學問之神以及茶聖的地位,寺內各有一塊「筆塚」和「茶釜塚」的石碑,另外在角落不起眼處立有對防府地區有民生貢獻的毛利重就像。 春風樓是防府天滿宮內另一個醒目的建築,1822年,原本第十代藩主毛利斎煕要在此地建一座五重塔,因資金不足而放棄。 後來將原本放棄建設的五層塔的第一層的底下結構按原樣保留下來,改造成架空的重檐歇山頂式建築,於1873年完工,現被列為「登録有形文化財」。 站在春風樓,可以俯瞰防府四季景色變化。 小繞一下後,繼續往毛利氏庭園走去,途中會經過周防國分寺。 周防國分寺是在741年由聖武天皇頒旨興建的眾多國分寺之一,主祀藥師如來,初期建有南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔,是少有的伽藍格局寺院。 雖然部分建築後來損毀,不過寺院內還保留著創建之初的格局,寺區也被指定爲國家文化史跡。 現存仁王門是1956年毛利輝元下令重建至今,金堂也經過多次整建,兩者都頗具規模。 寺中的藥師如來像、日光・月光菩薩立像、阿彌陀如來坐像等多座佛像都是重要文化財。 寺外兩棵巨木應該也頗有歷史,像是左右護法般守護著國分寺。 繼續前行,在左波神社旁會看到一塊「大村能章顯彰碑」,是紀念防府重要作曲家大村能章,台灣有些閩南語老歌使用過大村老師的曲子,也有早期台灣藝術表演者到大村老師創辦的音樂學院學習過,也算是跟台灣有點關係。 大概十來分鐘來到毛利氏庭園外的道路,但不要高興太早,因為從路口走到售票處大概還要近10分鐘,要是平常不愛走路,來到這裡可能會走到哭出來。 表門並不是售票處,如果是搭計程車可以開到這裡,還要繼續往裡面走才會到售票處。 這裡票種分為庭園、毛利博物館以及庭園加上博物館的共通票。 毛利博物館是利用原本的毛利氏宅邸改裝而成,可以了解毛利家族後期生活狀態及文物展示,只買庭園票的遊客就只能遊覽庭園,無法進入屋內。 我個人對文物展示沒有太大興趣,加上還要去錦帶橋,所以就只有購買庭園票。 毛利博物館則收藏了自毛利元就收藏起的歷史文物,包括1486年由雪舟親筆繪製的水墨畫巨作《四季山水圖》、史記呂后本紀第九等七件國寶,以及其他超過兩萬件的收藏品,對歷史文物有興趣的朋友可別錯過。 這座毛利宅邸和庭園,是毛利宗家在明治維新後的住所。 在實施廢藩置縣後,當時的藩主毛利元德改封為伯爵,成為長州藩最後一任藩主,並調往東京,成為第15國立銀行的總裁,後為公爵、貴族院議員,其子毛利元昭便成為家族的當家。 毛利宅邸最初在1892年計畫興建,由「井上馨」負責規畫,但被甲午戰爭和日俄戰爭給影響而停工,一直到1912年才又恢復興建,1916年完工。 庭園占地約2萬5千坪,是一座相當寬廣的迴游式庭園,是當時所興建的日本庭園中最受稱讚。 庭園中廣植松樹、楓樹和櫻花等,在不同季節搭配池水、假山以及石燈籠、小橋等造景,呈現出不同風景。 雖是山口縣重要賞紅葉的景點,但庭園嘛,就是很集中種了一堆,作為顏色的點綴,不像京都寺院那樣具有禪意,單拍一棵就很美。 這裡必須要考慮到景物的搭配,才能拍出比較好看的照片,庭園內紅、黃、綠色交錯,再搭配池水、遠山和藍天,看起來挺不錯。 除了紅葉,宅邸建物和前面的松樹搭配的畫面也是不容錯過。 逛了一圈庭園後我就沿著原路走回防府車站(因為巴士時間又沒兜上),結束了防府半日散策。 我個人覺得太趕了,沒能好好走走看看,建議安排為一整天的行程比較從容。 後來想想,覺得放棄毛利博物館好像有點可惜,這正好可以作為下次再去防府的好理由。 這裡除了紅葉,也是賞櫻的好地方,或許下次就挑櫻花季節前去。

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毛利庭園(毛利甲斐守邸跡)

毛利 庭園

六本木ヒルズ 毛利庭園 港区六本木6-10-1 六本木ヒルズの憩いの場、毛利庭園。 面積4,300㎡の敷地に、池を中心とした回遊式の日本庭園が広がる。 遊歩道をのんびり一周すれば、サクラ、モミジ、滝、渓流など、コンパクトながら見所いっぱい。 都会の華やかさの中に静かに広がるオアシス的スポットだ。 迷路のような造りの建物内にお店が並ぶ「ヒルサイド」エリアを地下2Fへ降りると、目の前に姿を現す毛利庭園。 記念撮影の場所としても親しまれている。 毛利池を覗いてみると、水面をツーっと進むアメンボたちの下で薄茶色の小さな魚が所々に泳いでいるのを発見。 2003年、六本木ヒルズが開業した時に放流された宇宙メダカだ。 1994年にスペースシャトル「コロンビア」内で向井千秋さんらが行った実験で、脊椎動物で初めて宇宙で孵化したメダカの子孫になる。 一般の川への放流や、野生のメダカとの交配は禁止されている宇宙メダカだが、毛利池は外部河川と繋がっていないため、放流が実現したのだとか。 池の中の島では春になるとカルガモが飛来して子育てをする。 散歩のときは警備員がつくことも 庭園の歴史はなんと江戸時代まで遡る。 1650年に毛利家の上屋敷が建造され、その大名屋敷の庭園がルーツなのだ。 明治には、中央大学の創始者で法学博士の増島六一郎の自邸となり、昭和にはニッカウヰスキー工場、テレビ朝日社屋を経て、現在の姿に。 池を囲っている石の中には、大名屋敷の庭園時代からずっと庭石として使われてきた年代物の石もあるとか。 長閑な景色の中に、長い歴史とその解明への深い思いが隠れていると思うと、目に映る風景がグッと味わい深いものに見えてくるから不思議だ。 遊歩道から一歩入ったプライベート感のあるベンチも 周辺の樹木でも、朝日社屋時代からのものが何本か。 春の風物詩として広く親しまれているソメイヨシノ、道路に面した入口に立つ大イチョウ、滝上でトンネル近くに植わるエノキ、「Kin no Kokoro」の側で圧倒的な存在感を放つクスノキなどがそれに当たる。 特に高さ25mの大イチョウは、別の場所にあったものを木の形を変えることなく、傷つけないように保護しながら移植したため、大規模な作業となって当時は注目を集めたようだ。 これらの保存樹木を探しながらのそぞろ歩きも宝探しのようで楽しい。 クスノキは2003年の六本木ヒルズ開業から15年を経た今、高さ20mとなって大人二人でも手が届かないほどの太い幹になっている。 枝葉を広げ、天に大きく伸びたクスノキは一際目立つ 池を囲む遊歩道を歩くと、所々木立が途切れて池を見渡せる景観ポイントがある。 そこから眺めると、少しずつ趣の異なる池が楽しめ、庭園が一層身近に。 野鳥も多く飛来しており、2004年から毎年やってくるカルガモはもちろん、セキレイ、メジロ、カワセミ、ヒヨドリなどが見られる。 庭園の樹木は、森ビルの担当スタッフや専門業者、樹木医が見回りをして成長度合いや、病気の有無をチェック。 芝生のベンチ脇にある2本のソメイヨシノのうち、1本はニッカ池時代から残る保存木。 数年前に一部が罹病し、枯死することも考えてベンチの反対側に新しい桜の木を植えたが、腐朽部分を切除したところ復活して、今では2本とも美しい花を咲かせるようになったという。 サクラは幹に穴をあけるコスカシバや葉を食害するモンクロシャチホコなど病害虫に弱く、こまめなお世話が欠かせないのだとか。 池の中央の石にセキレイが。 カワセミは水辺に張り出した木の枝先にとまることが多い 春は一面のサクラやカルガモ親子の姿を愛で、夏は滝の側で一涼み、秋は紅葉や実のなる木を探索、冬は枝越しに少し広く見える庭園でロウバイなどの冬の花を見つけてみる。 どの季節でもそれぞれの見所がある。 大イチョウの枝がしなるほど銀杏がなる様子や、3カ所に植わっている柿の実が鈴なりな光景も面白い。 うら寂しい冬も木枯らしは寒いけれど、雪景色は格別だ。 リラックスしたり、飛び石を伝いながら考え事をしたり、芝生が開放されている時はごろりと寝ころんでみるのも一興。 数百年の歴史を抱えながらも、現代アートなど都会的なものを巻き込んで進化する、古くて新しい庭園で年月を感じながら贅沢な時間を過ごしてみたい。 歴史ある地を生かした日本庭園 自然に近い植生をコンパクトに楽しめる Interview 森ビル株式会社 設計部 技術顧問 山口博喜氏 大名庭園から続く由緒ある庭石を再利用 毛利庭園は、ニッカ池を埋土保存した上に、池泉回遊式の日本庭園として整備されました。 滝をつくり、渓流から穏やかな流れがやがて池に注ぐ、「縮景」といわれる伝統的な手法で作庭されています。 日本庭園としてはコンパクトな方ですが、滝や渓流の音を楽しめる場所があるほか、池をさまざまな角度から眺められ、ソメイヨシノの下のベンチやアート作品といった見所も多く、回遊する楽しみの多い庭園にまとまっています。 江戸時代の庭園で使われていた庭石もいくつか残っている点も特徴の一つです。 神奈川県真鶴付近で産出され、ブランド化している本小松石や、茨城県で採石される筑波石ではないかと考えられています。 自然な植生を再現するため、草本、低木、高木と階層構造になっている植栽 関東の奥山をイメージし、自然に近い植生で広がるモミジ林 2003年の開業以来、春になるとニッカ池時代のサクラが咲き乱れてお花見の名所になっていますが、個人的にお勧めしたいのは対岸のモミジです。 滝が流れる渓谷に沿ってモミジや常緑樹を混植することで、自然な植生を再現。 関東の奥山の風景をイメージして造られました。 根元に水辺があることで周辺よりも気温が下がりやすく、12月頃には紅葉が楽しめます。 モミジの種類もイロハモミジ、ウリハダカエデ、ハウチワカエデなど、複数の種類を植えて葉の色や形の違いで変化が出るようにしました。 常緑樹の緑、モミジの黄や赤が織り交ざった自然のグラデーションが楽しめます。 また、できるだけ自然に近い植生を再現するため、ササなどの草本層、ヒイラギなどの低木層、モミジなどの高木層と階層構造も意識して植栽を植えています。 内原智史氏がデザインした風を感知してゆらぐ電灯 66プラザへと至る滝の横の階段は清涼スポット モミジの林の中にいくつか設置されている白く丸い筒型の機器は、照明デザイナーの内原智史氏が考案した風によって明かりが揺らぐ電灯です。 下のセンサーで風を感知して、明るさが変わり、揺らぎが生まれます。 ろうそくのような明かりは、水辺の緑地をしっとりと演出して夜の散歩を盛り上げてくれるに違いありません。 一方、遊歩道沿いの明かりは目立たない造りながら、防犯を兼ねて足元をしっかり照らす物を設置。 植栽だけでなく、照明もさまざまなポイントに意識が向けられています。 滝も1本の渓流にせず、階段状にしてあちこち小さな滝ができて、水音が重なるように工夫されています。 できるだけ山地のような複合的な景観を再現するためです。 滝の横に、66プラザへと繋がる階段がありますが、木々のトンネルの中を流れる水音を聞きながら、登っていくと渓谷にいる気分になって気持ちが良いです。 あまり知られていない道ですが、ぜひ毛利庭園に来たら通ってみてほしいと思います。 山口氏のおすすめ、滝の横の階段はモミジがつくるトンネルが清々しい 毛利庭園の歴史 1650(慶安3)年 麻布日ヶ窪の地(現在の六本木6丁目他)に毛利家の上屋敷を建造し、庭園を造園 1887(明治20)年 中央大学の創始者で法学博士の増島六一郎の自邸に。 庭園を「芳暉園(ほうきえん)」と名付ける 1919(大正8)年 「乃木大将誕生地」として旧跡指定を受ける(現東京都旧跡) 1943(昭和18)年 「毛利甲斐守邸跡」として旧跡指定を受ける(現東京都旧跡) 1952(昭和27)年 ニッカウヰスキー東京工場になる 1977(昭和52)年 テレビ朝日が当地を取得 2003(平成15)年4月 六本木ヒルズ開業.

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六本木之丘。毛利庭園夜櫻|櫻花、東京鐵塔、金色之心同框

毛利 庭園

雖然已經好幾年沒去關西地區賞紅葉,但因為這次的秋季行程計畫得比較晚,廉航機票已經高漲,於是這次行程改走以往沒有走過的九州北部和山陽地區,看看不同的紅葉景色。 這天的行程來到山口縣的防府地區,以散步的方式走訪防府天滿宮及毛利氏庭園兩個景點,再搭車前往山口縣的錦帶橋。 關於防府地區的歷史,簡單來說就是在日本戰國時期,原本只是個小國的毛利家族,在毛利元就的領導之下逐漸壯大,最興盛時是個統領七國的龐大勢力。 關原之戰時,石田三成為首的西軍積極拉攏,毛利氏派出了一萬五千大軍加入場戰役。 不過毛利氏和東軍簽訂了祕密協議,因此並沒有積極參與戰事,加上薩摩軍在後方看戲,還有其他軍團倒戈等狀況,西軍最後戰敗。 毛利氏也成了戰敗的一方,受到領地減封的懲罰,但因為簽訂了祕密協議而減輕罰則,僅是由七國領主變成只有周防和長門兩國,後來成立長州藩一直到幕末。 長州藩到幕末時期出現許多優秀人物,是推動明治維新的重要力量。 今日走訪的防府地區,就位在當時的周防国內,因此擁有不少歷史古蹟或遺跡。 我個人滿喜歡在秋天的清晨出來散步,雖然氣溫只有個位數但呼吸到的空氣很清爽,寧靜的氣氛也讓人心情舒坦。 這天抵達防府站時才7點半,走出車站大廳來到2號站牌看了一下巴士時刻表,要等到7:55才有巴士,於是決定直接步行前往防府天滿宮。 如果不想走太多路,可以配合巴士時刻表安排行程。 下圖巴士時刻僅供參考,請以防長巴士官網公布的時刻表為準(),查詢前往阿弥陀寺方向的巴士。 清晨的防府街道沒有喧鬧的聲音,偶爾被幾聲烏鴉叫聲劃破寧靜。 出站後先往右走,幾分鐘後來到了防府天滿宮參道的入口,過馬路後沿著參道前進就能抵達。 參道的前半段是商店街,但完全沒有看到商店營業,我心想大概太早沒開門吧。 找了台販賣機買了一罐熱咖啡暖暖手,一路往防府天滿宮輕鬆走去,悠閒的氣氛讓我拋下了工作的壓力,這不就是旅行的目的嗎。 菅原道真是日本平安時代(大致是中國唐朝時期)的學者、詩人,被日本人尊為學問之神。 本來官運順遂,一路扶搖直上,在醍醐天皇即位後不久達到顛峰,升任為右大臣並兼任右近衛大將,位階相當於正二位或從二位。 官位一大就容易犯小人,道真升官還不到一個月就被誣陷而貶官,流放至太宰府。 他在前往九州的途中經過防府,覺得很喜歡這個地方,於是約定說自己死後靈魂會回到這裡。 來到太宰府後,他始終鬱鬱寡歡,不幸在903年病逝。 隔年,創建防府天滿宮以祭祀他,成為日本第一座天滿宮,而他的遺體則是葬在太宰府。 「天滿」之名,是取自他死後的神號「天滿大自在天神」。 傳說道真病逝後,醍醐天皇的皇子陸續病死,多位大臣在開會時被雷劈死,諸多巧合讓大家認為這是道真的靈魂回來復仇,因此讓菅原道真不但是日本學問之神,也成為「平安時代四大怨靈」之首,因此天皇希望藉由創建「北野天滿宮」來化解怨靈,而防府天滿宮、太宰府天滿宮和北野天滿宮並稱為日本三大天神。 眼前這座時鳥居是長州藩藩主的毛利秀就在1629年下令建造,已有近四百年歷史,是縣內最古老的石鳥居。 防府天滿宮年度重要活動之一,就是每年11月第四個星期六所舉辦的「御神幸祭」。 御神幸祭始於防府天滿宮創立百年後的1004年,為了洗刷道真莫須有的罪名而舉行。 祭典時會有上千名男子半裸或身著薄衣,抬著重達500公斤的神轎,往來天滿宮和當初道真上岸的「勝間之浦」。 到訪這週正好就是活動舉辦日,現場可以看到已經在進行一些布置。 先後穿過外面的石鳥居和裡面的銅鳥居,在右手邊的茶室芳松庵出現了紅葉美景。 為什麼會有茶室的存在,因為道真曾經研究並推廣喝茶文化,有「茶聖菅公」之稱,因此在1911年,防府天滿宮打造了這間茶室芳松庵,用以感念到真 在推廣茶的貢獻。 庭院內廣植楓樹,讓芳松庵成了防府地區重要的紅葉景點之一。 這天來得太早尚未營業,只能在外面拍拍照。 而天滿宮必備的牛雕像,在這裡也可以看到。 芳松庵對面是大專坊,在日本南北朝時期(1336~1392年)到明治初期間,是防府天滿宮的9個社坊之一(對面的芳松庵所在是円楽坊跡),過去曾被毛利元就拿來當成作戰指揮所,目前列為山口縣指定史跡。 欣賞完紅葉,繼續爬上這數十階階梯前往拜殿,平常少運動的我有點氣喘吁吁,樓梯右側圍牆內的巨大樟樹,樹齡推測有800年以上,高大挺拔。 樹幹粗5. 6公尺,高度27. 5公尺,枝葉延伸範圍36公尺,相當寬大。 防府天滿宮拜殿前的朱紅色門樓氣派華麗,是防府天滿宮的招牌畫面之一,一旁還有刻著「扶桑官廟最初」的石碑。 因為道真很喜歡梅花,所以境內種植了不少梅花,但12月到訪只有看枝條的份,櫻花也是,而這裡在春天也是個賞櫻景點。 防府天滿宮的腹地不大,很快就可以繞完一圈,零星的幾棵變色的植物點綴了境內的景色。 門樓旁掛滿了繪馬,上面都是祈求考試順利通過的願望,這裡的繪馬都是牛的圖案,據說菅原道真是承和12年(845年)6月25日生,正逢牛年牛月牛日,且有很多關於他的傳說都和牛有關,因此牛就被認為是天神的神物,所以各地天滿宮都會見到牛雕像和牛圖案的繪馬。 或許是紀念道真學問之神以及茶聖的地位,寺內各有一塊「筆塚」和「茶釜塚」的石碑,另外在角落不起眼處立有對防府地區有民生貢獻的毛利重就像。 春風樓是防府天滿宮內另一個醒目的建築,1822年,原本第十代藩主毛利斎煕要在此地建一座五重塔,因資金不足而放棄。 後來將原本放棄建設的五層塔的第一層的底下結構按原樣保留下來,改造成架空的重檐歇山頂式建築,於1873年完工,現被列為「登録有形文化財」。 站在春風樓,可以俯瞰防府四季景色變化。 小繞一下後,繼續往毛利氏庭園走去,途中會經過周防國分寺。 周防國分寺是在741年由聖武天皇頒旨興建的眾多國分寺之一,主祀藥師如來,初期建有南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔,是少有的伽藍格局寺院。 雖然部分建築後來損毀,不過寺院內還保留著創建之初的格局,寺區也被指定爲國家文化史跡。 現存仁王門是1956年毛利輝元下令重建至今,金堂也經過多次整建,兩者都頗具規模。 寺中的藥師如來像、日光・月光菩薩立像、阿彌陀如來坐像等多座佛像都是重要文化財。 寺外兩棵巨木應該也頗有歷史,像是左右護法般守護著國分寺。 繼續前行,在左波神社旁會看到一塊「大村能章顯彰碑」,是紀念防府重要作曲家大村能章,台灣有些閩南語老歌使用過大村老師的曲子,也有早期台灣藝術表演者到大村老師創辦的音樂學院學習過,也算是跟台灣有點關係。 大概十來分鐘來到毛利氏庭園外的道路,但不要高興太早,因為從路口走到售票處大概還要近10分鐘,要是平常不愛走路,來到這裡可能會走到哭出來。 表門並不是售票處,如果是搭計程車可以開到這裡,還要繼續往裡面走才會到售票處。 這裡票種分為庭園、毛利博物館以及庭園加上博物館的共通票。 毛利博物館是利用原本的毛利氏宅邸改裝而成,可以了解毛利家族後期生活狀態及文物展示,只買庭園票的遊客就只能遊覽庭園,無法進入屋內。 我個人對文物展示沒有太大興趣,加上還要去錦帶橋,所以就只有購買庭園票。 毛利博物館則收藏了自毛利元就收藏起的歷史文物,包括1486年由雪舟親筆繪製的水墨畫巨作《四季山水圖》、史記呂后本紀第九等七件國寶,以及其他超過兩萬件的收藏品,對歷史文物有興趣的朋友可別錯過。 這座毛利宅邸和庭園,是毛利宗家在明治維新後的住所。 在實施廢藩置縣後,當時的藩主毛利元德改封為伯爵,成為長州藩最後一任藩主,並調往東京,成為第15國立銀行的總裁,後為公爵、貴族院議員,其子毛利元昭便成為家族的當家。 毛利宅邸最初在1892年計畫興建,由「井上馨」負責規畫,但被甲午戰爭和日俄戰爭給影響而停工,一直到1912年才又恢復興建,1916年完工。 庭園占地約2萬5千坪,是一座相當寬廣的迴游式庭園,是當時所興建的日本庭園中最受稱讚。 庭園中廣植松樹、楓樹和櫻花等,在不同季節搭配池水、假山以及石燈籠、小橋等造景,呈現出不同風景。 雖是山口縣重要賞紅葉的景點,但庭園嘛,就是很集中種了一堆,作為顏色的點綴,不像京都寺院那樣具有禪意,單拍一棵就很美。 這裡必須要考慮到景物的搭配,才能拍出比較好看的照片,庭園內紅、黃、綠色交錯,再搭配池水、遠山和藍天,看起來挺不錯。 除了紅葉,宅邸建物和前面的松樹搭配的畫面也是不容錯過。 逛了一圈庭園後我就沿著原路走回防府車站(因為巴士時間又沒兜上),結束了防府半日散策。 我個人覺得太趕了,沒能好好走走看看,建議安排為一整天的行程比較從容。 後來想想,覺得放棄毛利博物館好像有點可惜,這正好可以作為下次再去防府的好理由。 這裡除了紅葉,也是賞櫻的好地方,或許下次就挑櫻花季節前去。

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