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枕草子『すさまじきもの(すさまじきもの。昼吠ゆる犬〜)』のわかりやすい現代語訳と内容 / 古文 by 走るメロス

古典 訳

かぐや姫、「もの知らぬことなのたまひそ。 「入りたまひぬ」は動詞「入る」+尊敬の補助動詞「たまふ」+完了の助動詞「ぬ」 「お入りになった」「入りなさった」という意味になります。 動作主とは「動作をしている主体」です。 簡単に言うと「誰がその動作をしているのか?」 「入りたまひぬ」の場合だと「入ったのは誰か?」ということです。 この文章の書き手は「ある人」に誘われて夜の散歩に出かけているわけです。 登場人物は書き手と「ある人」しかいません。 書き手本人が入ったのであれば敬語表現にはならないので、入ったのは(敬意の対象は)「ある人」ということになります。 3 書き手 4 かぐや姫 まず「承りたまふ」で間違いありませんか? 「奉りたまふ」ではありませんか? 「奉る(たてまつる)」は「献上する」「差し上げる」という意味の謙譲語です。 「公」というのは朝廷(帝)、「御文」というのは手紙です。 地の文(セリフや手紙の内容などを除いた、本文の部分)で使われている敬語表現は、書き手からの敬意を表します。 尊敬語は書き手から動作の主体、謙譲語は書き手から動作の客体への敬意です。 主体・客体というと意味が分かりにくいかと思いますが、主体は「する人」客体は「される人」と考えてもらえばいいです。 例えば「かぐや姫が帝に手紙を送る」という場合、主体は手紙を出したかぐや姫、客体は手紙をもらった帝です。 「奉りたまふ」は「奉り」が書き手から公へ、「たまふ」が書き手からかぐや姫への敬意を表しています。 「差し上げなさる」という意味になります。 1 尊敬 2 ある人 「~たまふ(給ふ)」は尊敬語です。 「入りたまひぬ」は動詞「入る」+尊敬の補助動詞「たまふ」+完了の助動詞「ぬ」 「お入りになった」「入りなさった」という意味になります。 動作主とは「動作をしている主体」です。 簡単に言うと「誰がその動作をしているのか?」 「入りたまひぬ」の場合だと「入ったのは誰か?」ということです。 この文章の書き手は「ある人」に誘われて夜の散歩に出かけているわけです。 登場人物は書き手と「ある人」しかいません。 書き手本人が入ったのであ... A ベストアンサー Would you~? 「~していただけませんか?」は丁寧な依頼表現、Would you like~? 「~は如何ですか?」は丁寧な勧誘表現です。 依頼表現で使われるwouldやcouldは、「条件節(if節)の内容を言外に含めた婉曲用法」なのです。 つまり、「(もし~できるのであれば)~していただけるでしょうか」と丁寧で控え目な調子を出すことができます。 Will you~?やCan you~?はただの助動詞の勧誘表現ですから、wouldやcouldのような婉曲用法はないのです。 Would you like~も同じ婉曲用法で、「(もし私が~を勧めたら)~をお気に召すでしょうか?」という丁寧で控え目な調子の出る勧誘表現なのです。 I would like to~「~したい」(~することをできればしたい)という表現もこの用法からきているのです。 Would you like~のlikeは「~を好きである」という他動詞でlikeの後に名詞を目的語として持って来ることができます。 例: Would you like another cup of tea? 「もう一杯紅茶如何ですか?」 Would you like going on a picnic? 「ピクニックに出かけるというのは如何でしょう?」 Would you like to go on a picnic? 「同上」(このto不定詞は名詞的用法) ご参考になりましたでしょうか。 Would you~? 「~していただけませんか?」は丁寧な依頼表現、Would you like~? 「~は如何ですか?」は丁寧な勧誘表現です。 依頼表現で使われるwouldやcouldは、「条件節(if節)の内容を言外に含めた婉曲用法」なのです。 つまり、「(もし~できるのであれば)~していただけるでしょうか」と丁寧で控え目な調子を出すことができます。 Will you~?やCan you~?はただの助動詞の勧誘表現ですから、wouldやcouldのような婉曲用法はないのです。 Would you like~も同じ婉曲用法で、「(もし私が~を勧め... A ベストアンサー 孫叔敖、嬰児たりしとき、出遊して還り、憂えて食らわず。 その母、その故を問ふ。 泣きてこたえて曰く、「今日吾、両頭の蛇を見たリ。 恐らくは去死すること、日無からん」と。 母曰く、「今、蛇いずくに在る」と「吾、両頭の蛇を見るものは死すと聞き、吾、他人のまた見るを恐れ、吾、すでにこれを埋めたり。 母曰く、「憂ふるなかれ、汝、死せず。 吾、これを聞く。 陰徳あるものには、天、報ゆるに福をもってす」と。 人、これを聞き、皆、その仁たるを諭(たとゆ)るなリ。 令尹となるに及び、いまだ治めずして国人これを信ず。 hum. ibaraki. htm A ベストアンサー 【原核生物】 核膜が無い(構造的に区別出来る核を持たない)細胞(これを原核細胞という)から成る生物で、細菌類や藍藻類がこれに属する。 【真核生物】 核膜で囲まれた明確な核を持つ細胞(これを真核細胞という)から成り、細胞分裂の時に染色体構造を生じる生物。 細菌類・藍藻類以外の全ての生物。 【ウイルス】 濾過性病原体の総称。 独自のDNA又はRNAを持っているが、普通ウイルスは細胞内だけで増殖可能であり、ウイルス単独では増殖出来ない。 要は、核膜が有れば真核生物、無ければ原核生物という事になります。 ウイルスはそもそも細胞でなく、従って生物でもありませんので、原核生物・真核生物の何れにも属しません(一部の学者は生物だと主張しているそうですが、細胞説の定義に反する存在なので、まだまだ議論の余地は有る様です)。 こんなんで良かったでしょうか? A ベストアンサー 直柄の瓢ってどんな物なんだろう、どんなふうに靡いているのかしらと、甚だしくも見たい知りたいと思いつのられる帝の姫宮は、御簾を持ち上げて、「そこの男よ、こちらに参りなさい」と「召しければ」… この「思さる」は、「ゆかしく」という「行く」の形容詞化した語として、その対象を具体的に自発的に見たい知りたいという情意動詞に下接しているのですから、つまり強く自発性を発揮している構文中にあるのですから、なにより自発性用法であることは間違いありません。 この文章において、姫宮自身に「いみじうゆかしく」思い募る自発性が表現されていなければ、その後の七日七夜背負われての駆け落ち沙汰は説得力に乏しいものになるのですから。 その直後の、火焚屋の衛士に「こち寄れ」と「召しければ」の用法を見ても、「なされ」などの敬語のない平体表現に近く、それとのバランスからしてもその直前の「おぼされ」の敬語用法が平体表現に近くともバランスは崩れていないでしょう。 この箇所の主眼は、なにより深層の姫宮が実に<はしたなくも>、辺鄙な武蔵の国の俗習ごときに憧れて、いな東男の凛々しさに一目惚れして、駆け落ち出奔に至る記述にこそあるのですから、変に高レベルの敬語で記述されては如何にも白々しくなりましょう。 #6さんが紹介されている「全訳読解古語辞典」の引用、「ただし尊敬と自発は識別が微妙で、尊敬の例を自発と解することもできる」はもっともな指摘でしょうが、大切なの何より「自発」こそが基本だという点であり、あとはその文脈や文章全体の基調に添うことだと思われます。 直柄の瓢ってどんな物なんだろう、どんなふうに靡いているのかしらと、甚だしくも見たい知りたいと思いつのられる帝の姫宮は、御簾を持ち上げて、「そこの男よ、こちらに参りなさい」と「召しければ」… この「思さる」は、「ゆかしく」という「行く」の形容詞化した語として、その対象を具体的に自発的に見たい知りたいという情意動詞に下接しているのですから、つまり強く自発性を発揮している構文中にあるのですから、なにより自発性用法であることは間違いありません。 この文章において、姫宮自身に「いみじ...

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助動詞とは 助動詞とは、 動詞の末尾にくっつける語です。 動詞の末尾に助動詞がくっつくと 、動作の状況や状態が変化したり、 表現者 話し手や書き手 の気持ちや考えが付け加わります。 助動詞は 28個あります。 「る・らる・す・さす・しむ・ず・き・けり・つ・ぬ・たり・り・む・むず・けむ・らむ・まし・めり・らし・べし・なり・じ・まじ・まほし・たし・なり・たり・ごとし」です。 数が非常に多いです。 助動詞は 活用があるため、 助動詞の後に続く他の語との接続に応じて、 語形変化を生じます。 したがって、文章を読んで理解するためには、助動詞それぞれの活用の仕方を覚える必要があります。 さて、今回は、一般に 『打消推量』『打消意志』の助動詞と分類分けされている 助動詞「じ」について詳しく説明していきたいと思います。 『打消推量』『打消意志』の助動詞「じ」 の活用は、「〇・〇・じ・じ・じ・〇」と 特殊な活用をします。 存在する全ての活用が「じ」なので覚えるのは簡単です。 「〇」で示した未然形と連用形、命令形については活用がありません この形で使われることがない。 助動詞「じ」に 未然形と連用形が存在しないのには理由があります。 助動詞「じ」は、他の助動詞と組み合わせて用いる際に、一番下に置きます。 つまり、 文としての内容のまとまりを終わらせるような働きを持っています。 助動詞「じ」には、このように最後に置いて内容のまとまりを区切るような働きを持つため、他の助動詞を後に続ける際に必要な未然形と連用形を持つ必要がないのです。 助動詞「じ」の『打消推量』用法の現代語訳は「~ないだろう」となり、『打消意志』用法の現代語訳は「~ないつもりだ」となりますが、どちらも「~まい」とも訳することができるということを覚えておくと現代語訳を行う際に便利です。 助動詞「じ」は未然形接続 ・「じ」の用法は『打消推量』『打消意志』の2つである。 ・「じ」の活用は「〇・〇・じ・じ・じ・〇」である。 ・動詞や助動詞の未然形に接続する。 ・副詞「え」と組み合わせた 「え…じ」で、 「とても~できないだろう まい 」という意味を作る。 ・副詞「おほかた」「つゆ」「さらに」「たえて」「よに」と組み合わせた「 おほかた…じ」「つゆ…じ」「さらに…じ」「たえて…じ」「よに…じ」で、 「まったく~ないだろう まい 」という意味を作る。 ・副詞「をさをさ」と組み合わせた 「をさをさ…じ」で、 「ほとんど~ないだろう まい 」という意味を作る。 ・副詞「よも」と組み合わせた 「よも…じ」で、 「まさか~ないだろう まい 」という意味を作る。

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古典の人気おすすめランキング10選【初心者も教養を身につけられる】

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スポンサーリンク 「いろは歌」は、すべての仮名を一文字ずつ使って、 しかも意味のある内容にしたて、文字を勉強しやすいようにした、 「手習い歌」の代表です。 現在でも「いのいちばん」などの言葉に残っていますね。 いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす 色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 けふ越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず 「いろは歌」のほかの「手習い歌」として 天地の歌(あめつちのうた)、大為爾の歌(たゐにのうた)、 また近世に入りなどがありますが、 やはり知名度でいえば「いろは歌」が一番でしょう。 文献として最初に見られるのは1079年成立の 「金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)」、 経典の発音などを解説した書です。 その巻頭に、 かなの一覧表として「いろは歌」がかかげてあります。 作者は弘法大使空海といわれていたこともありますが、 時代的にムリがあるということで、現在では否定されています。 作者不明です。 色は匂へど 内容は、悟りの境地を描いています。 悟りの歌です。 色は匂へど。 「色が匂う」というのは、ニオイのことじゃなくて、 花の色のことです。 花の色がワッと見事に、 あでやかに色づいていることです。 それを「色がにおう」と言っているのです。 花は桜の花です。 しかし、そういう色づいたキレイな桜の花も…、 「ちりぬるを」 そういう色づいたキレイな桜の花も、やがて散ってしまう。 諸行無常。 の冒頭、祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。 あれと同じことを言ってるわけですね。 「我が世誰そ常ならむ」。 わが世の春と、誰がいつまでも 勢い盛んでいられようか。 「誰そ」は反語です。 誰がそんな、勢い盛んでいられよう。 いや、誰もそうはいかない。 どんなに栄えた者も、最後は亡びてしまう。 これも『平家物語』と同じく盛者必滅。 無常ってことです。 スポンサーリンク 有為の奥山 そして「有為の奥山」。 いろは歌でもっとも難しい部分です。 「有為」は仏教の言葉です。 「有為転変」という四字熟語にもなっていますね。 「有為」とは、きっかけがあって、そこから起こる世の中の一切のこと。 つまりこの人生そのもの。 いろいろひっくるめた、迷い多い人生。 その迷い多き人生を「有為の奥山」という言葉で、 奥深い山の中を歩いていることに、たとえています。 ざくざくと土を踏んで、山道を歩いていくんです。 昼間なのに 夜かと思うほど、木がうっそうとしげって、はあー、いつになったら フモトに出られるのか。 先が見えないよ。 昼間なのにフクロウが鳴いてるかもしれない。 行きかう人とてなく、ひたすら山道を歩いていく… いかにも、人生そのものじゃないですか。 しかし!! 作者はそこで言うんです強く言うんです 「有為の奥山今日越えて」 「今日越えて」!! その迷い多い、奥山を歩いているような人生を、 今日こそ、今こそ、ズパーンと、飛び越えましょうと!! 転句に来て、今まで暗かった話が一気に明るくなります。 ドラマチック。 ターニングポイント。 あさき夢みじ で、結句。 「あさき夢みじ 酔いもせず」 あさき夢…つまり、はかない夢なんか、もう見ないぞ。 世の中のゴチャゴチャしたね、出世だ金だ、 あいつのほうが俺より不当に評価されてるだ、 心を悩ませることは、もうそういうのは、捨てたと。 「酔いもせず」もう酔っ払わない。 これは酒のことだけじゃないですよ。 名誉だ、欲だという、いろいろな迷いから、 解放されたんだという、 悟りの歌。 悟りの境地です!! 芥川龍之介と「いろは歌」 芥川龍之介はエッセイ「珠々の言葉」の中で、 「われわれの生活に欠くべからざる思想はあるいは 「いろは」短歌に尽きているかもしれない」 と書いています。 「いろは歌」の説く悟りに至る道のりが、 生きるエッセンスということでしょうか。 もっとも芥川は30歳そこらで自殺しちゃったわけですが… とがなくてしす 「いろは歌」を暗号と見る見方も多いですね。 七文字ごとに読むと「とがなくてしす」という 意味深な言葉に読めることから、いろいろな人が 妄想をふくらませてきました。 「とがなくてしす」…罪も無いのに死んだ。 ミステリ好きの心をかきたてずには いられない意味深なメッセージです。 キリストのことだ、菅原道真だ、四十七士だ、 いろいろいわれてきました。 最近では柿本人麻呂って説もありました。 まあどれもネタとしては面白いんですが、 こじつけって気がします。 案外、作者は「ふふふ、俺の狙いどおり、迷っとるなあ。 ほんとは意味なんて無いんじゃ」なんてニヤニヤしてるかもれません。 後世の詮索好きをひっかけるために、 智恵の限りをつくしてこの「いろは歌」を作ったと考えると、 そんな作者ならぼくは大好きです。 鳥啼歌 1903(明治36)に新聞万朝報で、 新しいいろは歌が一般公募されました。 通常のいろはに 「ん」をふくむ48文字で構成することが条件でした。 一位に輝いたのが数学教師の坂本百次郎さんがつくった この「鳥啼歌」です。 とても美しく、情景が目にうかぶ詩です。 ものを数えるときに「いろは…」といろは歌をあてはめて 数える、いわゆる「いろは順」がありますが、 「いろは順」とともに、この鳥啼歌の「とりな順」も 戦前はよく使われました。 とりなくこゑす ゆめさませ みよあけわたる ひんかしを そらいろはえて おきつへに ほふねむれゐぬ もやのうち 鳥啼く声す 夢覚ませ 見よ明け渡る 東を 空色栄えて 沖つ辺に 帆船群れ居ぬ 靄の中 音声つきメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」のご案内 現在18000人以上が購読中。 メールアドレスを入力すると、日本の歴史・古典について、楽しくわかりやすい解説音声を無料で定期的に受け取ることができます。 毎回10分程度の短い解説で、時間を取りません。 楽しんで聴いているうちに、日本の歴史・古典について、広く、立体的な知識が身につきます。 スマートフォン・Androidでもお聴きになれます。 不要な場合はいつでも購読解除できます。 いつも使っているメールアドレスを入力して、 「無料メルマガを受け取る」ボタンをクリックしてください。 次回からお使いのメールアドレスにメルマガが届きます。 単に「覚える」ということを越えて、深く立体的な知識が身に付きます。 現代語訳つき朗読「おくのほそ道」 『おくのほそ道』は本文だけを読んでも意味がつかめません。 現代語訳を読んでもまだわかりません。 簡潔で最小限の言葉の奥にある、深い情緒や意味。 それを味わい尽くすには? 李白 詩と生涯 中国の詩である漢詩 唐詩 を日本語書き下しでだけ読んで、本当に味わったと言えるでしょうか?やはり中国語でどう発音するのかは、気になる所だと思います。 詩吟愛好者の方にもおすすめです。

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