す から ps。 スカラネット・パーソナル

PlayStation (ゲーム機)

す から ps

PlayStationの本体とコントローラ DUALSHOCK メーカー (SCE) 種別 発売日 2月 A 33. 発売元はソニー・コンピュータエンタテインメント(略: SCE、現: )。 家庭で本格的なテクスチャ付き3Dグラフィックを実現した初めてのゲーム機である。 据え置き型としては初めて累計出荷台数が1億台を突破した家庭用ゲーム機となった。 沿革 [ ] 中期に「次世代機」と呼ばれた家庭用ゲーム機の一つ。 開発を主導したの独特の技術論や、らによる従来のゲーム機ビジネスとは異なるレコードビジネス仕込みの戦略で、セガ・エンタープライゼス(現・)のや、のと次世代機戦争と呼ばれた 市場競争に勝利し、のヒット以来が独占していた市場でトップシェアとなった。 CGワークステーションの仕様を縮小したような設計になっており、3Dゲームで最高の性能が発揮されるように作られた。 当時は2Dゲームが数多く発売されていた時代であり、大多数のゲームメーカーが3Dの採用を時期尚早と捉え、2D描画性能を重視する中、3D専用設計のゲーム機を開発すること自体がリスキーな挑戦であったが、実際にプレイステーションが市場に投入されると、美麗かつ高速に動作する3Dグラフィックスは各界に大きな衝撃を与えることになった。 特に、のはプレイステーションの性能を知らしめる上で、良いソフトとして機能した。 当時のは3Dという新たな表現手法を使って実験的な作品を世に送り出し、ゲームの幅を大きく広げて行った。 命名 [ ] 仕事で使うを「」と呼ぶことに対して、遊びで使うコンピュータという意味で「プレイステーション」に決めたというのが名前の由来とされている。 ユーザー間では「 プレステ」と略されることが多いが、や自社製品内での記載では一貫して「 PS(ピーエス)」と略されている。 「週刊」の記事によると、がプレステの「ステ」が「捨て」にことから避けさせたという。 「プレステと呼ぶなー」という新聞広告を出したこともある。 本来、プレイステーションは後述の互換のCD-ROMゲーム機で使われる予定だった名称であり、これを流用したものである。 頓挫した商品と同一名は縁起が悪いという意見もあったが、既に全世界ベースでを登録しており、新しい商標にするには調べるだけで半年かかるため、そのまま同一のプレイステーションの名称が採用された。 開発の経緯 [ ] 任天堂との共同開発がスタート のにを提供する事業の仕掛け人だったが、同事業に引き続き、スーパーファミコンのドライブ拡張機器「スーパーファミコン CD-ROMアダプタ」の共同開発事業の約束を取り付けたのに端を発する。 久夛良木は1987年6月16日から2泊3日にわたるソニーと任天堂の合同合宿に、スーパーファミコン開発が一段落した1989年頃にも提案している。 当時の任天堂はCD-ROMに消極的で「ソニーさんでやってください」と返答している。 しかし丸山茂雄によれば久夛良木は京都の任天堂本社に通っている間中「CD-ROMでやるべきだ」と粘り強く進言し続けた結果、任天堂側が面倒くさくなってOKを出したという。 この時期になるとCD-ROMドライブが十分安価に手に入る時代になっていた。 1989年4月にテレビゲームではなく液晶画面を持ったカセット式のハンディーゲームマシン「」が発売され大きな流行を出したがファミコンの人気がピークを過ぎかけている事が前年の実績から明らかになっていた。 そして任天堂はファミコンの後継機(スーパーファミコン)の市場投入を決意した事で、そこからソニーとの関係が始まった。 当時の久夛良木は業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」をゲームに転用してビジネス化出来ないかと考えていた。 ただし、当時ソニー内ではソニーのイメージを損なうとしてゲーム事業への進出に反対する社員が多く、久夛良木自身も「異端児」と呼ばれており逆風が強かった。 この事業にゴーサインを出したのが当時社長のである。 1989年10月から共同開発が始まり、翌1990年1月には大賀典雄(ソニー)と(任天堂)の間で両社の締結を確認する合意文書が作られた。 開発コードネームは「プレイステーション」 であった。 計画では、CD-ROMアダプタは玩具流通で任天堂ブランドで発売し、スーパーファミコンとCD-ROMの一体型マシンは家電流通でソニーブランドで発売することとなっていた。 価格は49800円を予定していた。 任天堂の共同開発の破棄 しかし、1991年6月のシカゴでのコンシュマー・エレクトロニクス・ショーにおいて、ソニーがプレイステーションの試作機を発表するものの、任天堂はソニーとの共同開発計画ではなく、との提携と、でのゲーム開発を発表した。 これは、任天堂がソニーと進めていたプレイステーションプロジェクトの破棄を意味するものであり、ソニーにとっては屈辱的なもので前代未聞の離婚通知であった。 計画中止について数日前に任天堂からソニーに伝えられたが久夛良木までは伝わらず、新聞報道で初めて知ったという。 スーパーファミコンCD-ROMソフトはスーパーディスクと名付けられ、任天堂ではなくソニーがライセンスを有することになっていた。 当時のコンシューマー機のソフトはROMカセットが主流であり、CD-ROMは付属的な立場のメディアとして認識されていたため、任天堂はCD-ROMの権利を重視していなかった。 しかし、任天堂米国法人社長だったがアメリカのコンピューター業界でのCD-ROMの躍進ぶりを目の当たりにしており、この契約のままだと任天堂がソニーの従属的立場になると危機感を抱き、にソニーとの提携を止めるように口説いたとされている。 この様な経緯がある為、フィリップスによるスーパーファミコンCD-ROMは任天堂がライセンスを持ち、同社のソフト管理システムを維持する契約内容であった。 また、当初ソニー側はハード開発のみを行うはずだった。 しかし、ソニーが自前のソフトで試供品を実演していた。 それを知った山内溥社長 当時 は激怒していたという。 ソニーは抗議したものの、任天堂の言い分は「契約は生きており、ソニーが「スーパーファミコン CD-ROMアダプタ」を発売するのは構わないが、任天堂は別の規格を採用する」というものであり 、その後も粘り強く交渉が続けられたものの任天堂の決定は覆らなかった。 ソニーだけの規格では市場が広がらないと判断されたことから、スーパーファミコン互換機は開発を中断することになり、既にゲームソフトの製作を進めていたは、による『フォルテッツァ』 (5億円を投じていた)、『』『』などを没企画にし、15億円の損失を出したとされる。 これらの騒動により、久夛良木ら開発陣は社内での居場所を無くすが、大賀典雄の判断により、率いる(現: )のゲーム部門に一時的に避難させられることになった。 ソニー単独でのプロジェクト再始動 1992年6月24日のソニーの経営会議で、ゲーム事業への進出の是非が議論になり、大半の役員が反対意見を投じる中、経緯説明のために会議に参加した久夛良木が、「我々は本当にこのまま引き下がっていいんですか。 ソニーは一生、笑いものですよ」と食ってかかり 、試作品はほぼ出来上がっている事を公表。 最終的に大賀がゴーサインを出し、ゲーム事業への進出を決断した。 なお、大賀はプレイステーション製作にあたり、社内のコンセンサス形成のみならず、ゲーム機製作自体にも深く関わっており、とも言える任天堂型のからの脱却を図るグリップ型のコントローラを作るように指示し、何度もダメ出しをしている (本体・コントローラのデザインはが担当)。 またも、ゲーム事業のプレゼンを聞いた後久多良木の手を握って「これはおもしろい。 こういうビジネスを望んでいたんだ」とチームを激励したという。 ただ前述の通り、盛田は「プレイステーション」という名前を再検討するよう指示した(その後盛田は病に倒れた。 は、あのまま盛田が健在であれば「プレイステーション」の名称は変わっていたかもしれないと書いている )。 初頭から正式に「PS-X」プロジェクトが立ち上がり、1993年にソニーの技術者と株式会社のコンピュータゲーム製作部門のスタッフら65人で構成される株式会社が設立。 1994年5月10日に「PS-X」と呼ばれていたマシンの正式名称を「プレイステーション」と発表した。 同時にコンピュータグラフィックで描かれたデモ映像を会場で流し、本体のモックアップを展示した。 1994年11月にプレイステーションの価格が39800円、発売日は1994年12月3日と発表した。 1994年12月3日の「PlayStation」の発売に至った。 サードパーティーの取り込み [ ] 3Dゲームの可能性を体現 発売時には「全てのゲームは、ここに集まる」のを使っていたが、開発時はの黄金時代であり、当時印象の悪かったCD-ROM機というハード、3Dという未知のソフト開発に取り組まなければならないということ、さらにソニーがパソコンで一度はゲームビジネスから撤退した過去があったこともあり 、ソフト会社は参入に難色を示していた。 しかし、1993年末、がアーケードゲーム『』を発表し、3Dゲームの可能性を体現した直後から難色を示していたソフト会社が興味を持つようになったという。 格安の開発機材と独自ライブラリ 幅広くサードパーティーを招き入れようと、150万円という価格で開発機材を提供 したことで、新興ゲームメーカーが多数参入した。 また、サードパーティーのプログラマの負担を軽減するため、SCEでプログラムのライブラリを構築して開発者の支援を試みた。 当初このプログラムのライブラリは自分たちでプログラムを組みたがっていた技術者からは不評だったが、後に非常に便利なものであると認識されるようになり、続々とサードパーティーが参入するようになった。 1994年夏には契約したサードパーティは200社を越えた。 人気ソフトのヒット連発 立ち上げ期においては、セガとはアーケードゲーム市場でライバル関係にあり、任天堂とは関係が悪化してゲーム機の自社開発を模索していたがSCEと提携してプレイステーション陣営につき、として『』を発売し普及を牽引するとなった。 1995年5月27日、ライバルのセガサターンの値下げに対抗する形で10000円もの大幅値下げを発表。 同時に新バージョンのSCPH-3000の発売日を1995年7月21日と発表し1995年5月4週時点で国内販売台数が100万台を突破した。 その後も初期にはナムコの『』やタカラの『』といったソフトでハードの売り上げを伸ばした。 更に1996年にナムコからを使ったが発表された。 1996年6月7日には(新社、旧社名:)から『』が発売。 そして、これまで任天堂マシンで発売されていた日本を代表するであるの『』シリーズの参入が1996年2月に発表されて 1996年8月21日に発売された『』に『』の体験版が付属されていた。 プレイステーションの優勢が決定づけられ 、同年3月に発売された『』やの『』はリピートによるロングセラーに。 1996年8月9日にカプコンから『』が発売。 同じ年にセガサターン版、スーパーファミコン版も発売された。 1996年年末商戦でプレイステーションは独り勝ちした。 翌1997年1月には『ファイナルファンタジーVII』が発売されて大ヒットし、の『』シリーズがプレイステーションに参入することが発表され、プレイステーションの次世代機戦争の勝利が確実なものになった。 クリエイターの発掘 また、レコード会社の発想で、ゲームクリエーターをアーティスト的存在として扱い 、ゲーム誌では積極的に開発者のインタビューを乗せるようになった。 アマチュアからクリエイターを発掘しようと、一般向けの開発環境「」を販売し、これとは別に「」という志望者を一般から募集していた。 ユーザーの意見をメーカーやショップに直接伝える事で、ゲームを開発する上での主要な材料として扱うところも少なくなかった。 プレイステーション本体と携帯電話を専用通信ケーブルで接続して、メモリダイヤルや着信メロディの編集を行ったり譜面上でオリジナルの着メロを作成する機能を持った携帯エディターソフト、「ケータイ・エディ」 が2000年7月27日にインクリメントPから発売されている。 また、オーケストラの指揮者となりバトン・コントローラの振り方で演奏の評価が変わる体感音楽ゲーム『ザ・マエストロムジーク』が2000年7月27日にグローバル・A・エンターテイメントから発売された。 レコード会社が出資して設立されたSCEでは、プレイステーションでアーティストとレコード会社が一致協力して音楽を作る手法をゲームソフト制作も取り入れ、ライブラリ提供やゲームやろうぜなどでソフト会社やクリエーターを育てようとしたと言われる。 人材発掘 ソニー・ミュージック・エンターテイメントは1993年から"デジタル・エンターテイメント・プログラム"を開催していた。 これはデジタルアーティストのオーディションを意味するもので応募資格に制限がなく、入選した人には育成を支援するプログラムが与えられることになっていた。 入選者はワークステーションやプレイステーションの開発機材が提供され、そこで様々な学習が可能であり、コンテストは才能のある人材を一般から発掘して、自分たちで育成していこうという試みを持っていた。 流通改革 [ ] 流通面においては、参入時にと会社の蜜月関係による初心会流通を研究し、音楽CDの流通販売で多大なノウハウを有していたEPIC・ソニーレコード仕込みの流通改革を実施した。 これの流通改革により、既存のゲーム流通、特に任天堂の初心会流通は壊滅的なダメージを受け、多くの問屋が廃業に追い込まれ、初心会自体も1997年に解散している。 安定的なソフト供給 従来のゲーム機のソフト媒体であるはリピート生産に時間がかかるため、は初回販売で品切れによって販売チャンスを逃すまいと見込み発注を行っていた。 この見込み発注が、見込み違いにより売れなかったソフトが過剰在庫となり、投げ売りされたり、いわゆるで人気ソフトとともに販売される原因となっていた。 このことに着目し、SCEは自らが直接小売店と取引をする問屋機能を担い、従来の投機的な見込み発注ではなく、適切な初回生産と小まめで迅速なリピート生産による安定的なソフトの供給路線を進めた。 CD-ROMの生産は設立母体であるソニー・ミュージックエンタテインメントのCD工場(現・)で行い、追加生産が必要な場合でも最長で6日で小売店にソフトが届く体制を築いた。 廉価版の発売 利益が製作者に還元されない市場対策として、発売から一定期間が経過したソフトについて廉価版をリリースした。 これらの流通改革は、リピート生産が容易で生産が低コストであり、CD-ROMのメリットを活かしたものであった。 以上のように、流通改革はおおむね軌道には乗って成功したものの、その改革すべてが上手く機能したわけではない。 下記のような改革の失敗も存在した。 メーカー独自の流通開始 SCEの主張する初回生産枚数との主張との隔たりも発生し、そのことが原因でプレイステーションで発売予定のソフトが他社ハードへ移籍する事件が起きた。 このように自主的な生産本数の決定を望むサードパーティーが現れて、1997年夏にSCEの完全買い上げは終了し、コナミなど有力メーカーは独自の流通を開始した。 定価販売の断念 SCEは、同じソフトでもゲームショップによって価格が2割も3割も異なるという従来のゲーム流通も問題視し、制度で定価販売が認められている音楽ソフトのように、どこの店でも同じ価格で購入できるように事実上の定価販売を目指した。 しかし、 からに「プレイステーション用ソフトウェアの販売について、小売業者に対し希望小売価格で販売するように、圧力を加えた」としてに基づく排除勧告を受けた。 SCEは一貫して容疑を否認していたが、、SCEが圧力を加えていた事実を認定する審決が下され 、2001年に排除勧告を受諾した。 の摘発により定価販売は不可能となり、目指していたリピートビジネスも発売タイトルが膨大になったことできめ細かな対応が不可能となって徐々に初動型のビジネスとなって崩れ去り 、また発注の失敗による不良在庫で値引きやワゴンセールは相変わらず発生するなど、流通改革については必ずしもうまくいかなかった。 なお、インターネットが普及してからの後継機では、Playstation Storeによるダウンロード販売に力を入れるようになり、限定的ながら価格維持を実現できるようになった。 販売戦略 [ ] ゲーム専用機をアピール 同時期に発売された他社のゲーム機と販売競争が繰り広げられた。 特にとの販売台数争い・値下げ競争はによって「」などと呼ばれ、このことはプレイステーションの宣伝にも繋がった。 この次世代ゲーム機戦争ではCD-ROMがメディアとして採用されており、と、がで、日立がHiサターン、ビクターがVサターンというセガサターン互換マシンで参入して、マルチメディアマシンを標榜していたが、プレイステーションはあくまでゲーム専用のゲームマシンであることをアピールした。 ハード価格の値下げ プレイステーションは発売時の希望小売価格は39,800円だったが、39,800円から29,800円、24,800円、19,800円、18,000円と段階的に値下げをしていき、最終的に15,000円まで値が下がった。 この値下げは、開発者のの戦略であり、後に技術の進歩により安価な値段で代替が効くパーツが生まれることを前提に、代替される可能性のある部分を最初からシステマティックにまとめて設計していたことにより可能になった。 実際にプレイステーションはバージョンを重ねることに部品点数が削減されている。 ただし、親会社であるは家電業界的な発想から値下げに関しては大反対であったという [ ]。 ソフト価格の低価格化 スーパーファミコン時代に1万円近くまで高騰していたゲームソフト価格に関しても、CD-ROM採用によるソフト生産のコストダウン、生産スピードの向上と前述の流通改革による短期大量出荷、ロイヤリティの削減などを行い、5800円からと低価格化させ 、ソフト購入の敷居を大幅に下げるなどした。 ただし小売店と特約店契約を結び「定価販売の強制」を前提とした価格設定だったために大量の売れ残りが生まれる問題が起こり、一部行っていた返品制度も縮小に追い込まれた。 結果的に流通企業、メーカー、小売店が赤字を出すほど経営を圧迫し、シェア獲得には成功したものの流通改革は失敗に終わった。 デジキューブ破綻後はソフト生産コストも定価も上昇に転じている。 これまでにもやなどCD-ROMを採用したゲーム機があったが、それらのマシン以上にCD-ROMの低コストの利点を活用して、体験版の無料配布やレンタルショップでの無料レンタル、本体への添付、雑誌への付録などで新作ソフトに触れる機会を増やし、価格面では「PlayStation the Best」などのの再発売ソフト、新作ソフトで1,980円のや1,500円の、950円のが誕生した。 中でもSIMPLE1500シリーズは104タイトルを数える人気シリーズとなり、その中からは150万本のロングセラーとなった『』も生まれた。 ゲーム内容のリアル化 1999年3月25日にチュンソフトからサウンドノベルエボリューション1『弟切草 蘇生篇』が発売。 1998年12月3日に『かまいたちの夜 特別編』が発売。 どちらもスーパーファミコン版からのリメイク移植。 は「マシンのスペックが上がって、音質が良くなって、画面が良くなって、CGがリアルになったのに、本質的なところはまったく変わっていない所がすごいと思うんですよ」と述べている [ ]。 ゲーム内容に関しても、3D化により、従来のゲームよりリアルな表現が可能になり、子供のおもちゃというイメージを持ち合わせたうえで、ゲームから離れていた青年・中年層の支持を得ることにも成功した。 テレビCM テレビでは、冒頭や最後にプレイステーションのCMであることを示すを採用している他、なことで定評があった「いくぜ100万台」「いくぜ(1996年)年内200タイトル」「よい子とよいおとなの」などのキャッチフレーズを活用 、CM内ではとして「プレステマン」、「」、「」、「」といったも使用していた。 またいわゆるタレントを積極的には起用せず、小学生やサラリーマンなど市井の人々をプロモーションに積極的に取り入れた。 初期のCMでは「1、2、3」を連呼するだけの一見意図が読み取れない内容のものもあった。 またの商戦期には、多数のゲームソフトの体験版を収録した2種類の体験版を一部の店舗にて100万枚無料配布するなど派手な広告展開を行った。 有償会員サービス ゲームのや最新映像などを盛り込んだを年に数回発行する有償会員サービス「」をより運営していた。 発行物以外にはゲームイベントの優先入場権、独自開催イベントへの参加権などの特典もあった。 なお、4月からは向けの会員サービスへと移行している。 ソフトの販売本数 プレイステーションの絶頂期はからであり、特に『』を発売した1997年は、本体の日本国内出荷台数が1月時点で500万台を突破するも年末までには更に500万台を上乗せして1000万台突破を達成、ソフトでものゲームをはじめが5本と続発し、SCEのソフトではにより最終的にを達成するソフトも出てきた(『』、『』)。 も参照。 エミュレータに対してSCEの対応 [ ] 世界中で大ヒットとなった本機種ではあるが、それに比例してシェアウェア、フリーウェア問わず多数のが登場した。その中のシェアウェアソフトの一部に対し、SCEは積極的に訴訟を繰り返し販売停止を求める戦略を取っていた。 米Connectix社により作られたMacintosh向け 後にWindows版も発売 ソフト""に関して、ソニー・コンピュータエンタテインメントは提訴しSCEI側の敗訴に終わった が、最終的には提携という形ながら実質的に買い取っている。 逆にbleem社が販売していたについては米国でのエミュレータをめぐる訴訟で連邦地裁がSCEの販売差し止め請求を却下、合法ソフトとして販売され続けていたが国内外にてSCEよりショップに対して繰り返しの販売停止要請が行われた結果、bleem社の事業閉鎖とエミュレータの販売停止に至った。 CD-ROM [ ] PlayStation用CD-ROMの裏面は、黒色になっている。 大容量、低価格、量産時間の短縮 ソフトウェア媒体として採用したは従来のと比較してへのアクセス速度が劣るが(ローディング時間が生ずる)、大容量、低価格、量産時間の短縮といった利点があり、コンピュータゲームの表現方法からにまで幅広く影響を与えた。 当時のCD-ROM機は大容量メディアという反面、それゆえにローディングに非常に時間がかかるのが難点とされていたが、PlayStationはローディング時に読み込むデータは3D映像自体ではなくデータコードであり、それを本体内で処理・展開させて3D映像を作り出すという構造にすることで、当時としては高速なローディングを実現していた。 黒いCD-ROM なお、一般的なCD及びCD-ROMメディアとは異なり記録面の樹脂が黒いことが特徴である(光に透かすとわかるが厳密には濃い青色)。 この黒い樹脂の光学的な特性自体は通常のCD及びCD-ROMメディアと相違ないものであり、例えばBGMをCD音源として収録しているタイトルのディスクは、楽曲収録トラックを通常のCDプレイヤーでも再生することが可能である。 開発時は通常のCD-ROMで、CDマットを付ける事が検討されていたが、のコストカット路線により、CDマットをやめ、記録面の色を変えるという方向に落ち付いた。 記録面を黒いものとする導入当初の目的は、正規流通商品と海賊版や偽造品を容易に見分けられるようにする事とされていた。 ただし、この黒い記録面については、本機以降をはじめとする後継機種のソフトをはじめ他社製品も含むCD・DVD・など各種ディスクメディアの規格としての採用実績は一切なく、事実上プレイステーション規格CD-ROM特有の仕様となっている。 海賊版対策 非正規ソフトの対応については、のコピープロテクトを解除するための「」と呼ばれるICチップが世界規模で出回り、それに対してソニー・コンピュータエンタテインメントは「」で対抗した。 CDプレーヤー [ ] 曲のスタート、ポーズ、早送りといった基本的な機能の他、3つのトリックプレーが可能なので当時、一般のオーディオ機器にあるものが用意されている。 シャッフル機能 曲の順番がランダムで決まる為、毎回違った順番で曲が聞ける。 プログラム機能 再生する順番を決めて曲が聞ける。 リピート機能 同じ曲を繰り返し聞ける。 メモリーカード [ ] ROMメディアがディスクになったため、ゲームのセーブデータは外部記憶のメモリーカードを使用する。 コントローラー接続部の上部に接続スロットがあり、そこに差し込むことで使用する。 ゲーム用ディスクを使用せずに起動させた場合、メモリーカードの管理画面に移行し、移動・コピーや削除 が行える。 セーブデータの保存形式がバッテリーバックアップではなくなったことで、データ保存先の本体内部、もしくはカセットのバッテリーがなくなると同時にセーブデータが消失してしまう事がなくなった。 バッテリーがなくなった時にセーブデータが消える事を防ぐ為に、別のメディアに移行させて電池交換を行う必要もなくなった。 セーブ、ロードの時には、Now Loading の画面が開いてソフトとメモリーカードの間で処理を行う。 ブロック内に保存されたセーブデータタイトル判別および未使用領域のための管理用の1ブロック と、ゲームタイトルごとに使用するブロック数が変動するセーブデータ用の15ブロック(計16ブロック)が用意されており、使用するブロック数によるが1枚につき最低1ゲーム分、最大15ゲーム分のゲームデータを保存することが可能。 ブロックは複数のデータを一括して確保する物や、データ作成によって逐一ブロックを確保する物が存在する。 ゲームによっては保存で使用するブロック数が多くなるため、1枚では足りず、2枚3枚と買い足すプレイヤーが多かった。 後にHORIなどから廉価な互換品が発売されると、売れ筋はそちらに移った。 の周辺機器などのメモリーカードアダプターを利用する事で、PS3に搭載された仮想メモリーカードにバックアップを取る事でからダウンロード購入したアーカイブス版のセーブデータと従来のディスク版のセーブデータは両方に適用が可能になっている。 ただしプレイステーション、との互換性を持ったのハードのみに限る。 コントローラー [ ] 一番の利点はスーパーファミコンやPCエンジン、メガドライブ等、他ハードのコントローラーよりも強度を増した内ゴムの劣化に対する耐久性にある。 サウンドロゴ [ ] 起動時のは藤澤孝史によるものである。 藤澤は2週間ほどで起動音を作り上げた。 また、CMにおけるサウンドロゴをのメンバーであるが担当しており、同グループが手がけているCMソングなどを収めた『MOONRIDERS CM WORKS 1977-2006』にはCM始めとCM終わりの2つのサウンドロゴが収録されている。 ハード・ソフト台数 [ ] に全世界累計でのの累計が1億台を突破した。 日本でのソフトウェアの累計生産出荷本数は約2億8600万本であり、全世界では9億6200万本(2006年12月31日現在)。 新作タイトルはPlayStation 2発売以降も登場し、日本では2004年まで発売され続けた。 公式サイトのソフトウェア製品情報に登録された日本国内のタイトルは2005年11月現在4324タイトルである(廉価版、初回限定版などによる重複も含む)。 性能、開発環境など [ ] PAL規格のDebugging Station を独自にカスタマイズしたものをメインに採用。 また3DCGの描画を支えるベクトル演算専用()を別途搭載する。 非常に高価なでのみ実現できた によるを比較的簡単にできることを特徴とする。 3Dに特化したハード の性能としては描画に特化したアーキテクチャが最大の特徴である。 座標変換専用チップの搭載で1秒間あたり、150万ポリゴンの演算が可能。 ポリゴンの頂点演算や座標変換を行うを搭載し、さらににポリゴンやポリゴンを転送する機能をハードウェアで備えるため、これらの演算を全てソフトウェア処理させる(CPUに膨大な量の演算を強いる)ことが多かった当時のや他のゲーム機と比較して格段に高い性能を引き出せた。 以後主流となる、3Dに特化したハードウェアと言える。 しかし、プロセッサに集積できるトランジスタ数の制約から、空間座標は固定小数点数で扱うこととなったため、ポリゴンやテクスチャにカクカクとした歪みが出る問題があった。 一方、旧来のゲーム機では常識であったラインバッファ方式のや機能は搭載しておらず、の表現は苦手である。 例えば、2Dゲームでは当たり前に用いられているラスタースクロール特有の画像変形を行うことが難しい。 動画の再生 JPEGデコーダのMDECを内蔵しており、この機能を活用して当時の水準としては高画質なによる動画()の再生が可能であった点も特筆される。 『』をはじめとするこの機能を活用したコンテンツの登場により、プリレンダリングされた3DCGムービーとネイティブの3Dゲーム操作シーンを連結して多用することで場面と時間を繋ぎ物語性を補完する表現手法が確立された。 またゲーム導入時のデモムービーやエンディングムービーなど、ゲームをプレイするための動機付けとしても広く活用されるようになった。 サウンド能力 プレイステーションはPCM音源24チャンネルのサウンド能力を持っている。 この音源の量子化ビット数は16ビット、サンプリング周波数は44. 1キロヘルツ。 この数値はオーディオCDと全く同じものが使われている事で同等のリアルな音が再生可能。 他にも音を色々変化させられるデジタルエフェクト機能を持っている。 高度なサウンド能力は、を筆頭とするの登場にも大きく寄与している。 内製化による低価格化 主要な半導体は、自社で独自設計ないしカスタム化したもの(開発の主体はであった )を用いていたため、製品発売後もこれらを改良できた。 半導体プロセス技術の進歩などにより、再集積化(複数の半導体を一枚のシリコンにまとめる)やシュリンク化(面積を縮小し、一枚のシリコンウェハーからより多くのLSIを生産する)や、さらなるカスタム化などを行った。 結果的に数度にわたるコストダウンを実現し、PlayStationの販売価格は最終的には発売開始時の半分以下まで下がった。 このようにPlayStationは当初から製造技術の進歩による集積化で最終的にハードだけで黒字を得られることを目標とした。 実際に1000万台を超えた段階でハードのみで黒字化を達成。 1台あたり数十ドルの利益を得られるようになり、ライバル機種のセガサターンに対して優位な戦いが出来たのである。 はCPUを始めとして複数社からの半導体の採用による影響でコストカットやワンチップ化がしにくい複雑なハード構成に加え外注による生産であったこともあり、大幅なコストダウンが効かず、ソニーなどの競合機による価格競争に対抗して値下げを続けた結果、多額の赤字を計上することとなりセガは体力を消耗していった。 生産 当時の国内生産には、ソニー木更津、ソニー美濃加茂などが担当。 最終版のPSOneのみ中国製が見られる。 一方で、後期PSは当初の半導体と違う半導体が用いられたため、互換性が完全に維持されず、初期に発売された一部のゲームソフトが「後期のハードウェアできちんと動作しない」という問題が生じ、サードパーティーは型番毎に動作チェックすることを余儀なくされた。 CPUコア: A ベース 32 ビットRISCプロセッサ(R3051)• :33. 8688MHz• 4キロバイト命令キャッシュ• 1キロバイトデータキャッシュ• 命令処理能力:30 MIPS• ベクトル演算コプロセッサ:GTE(Geometric Transfer Engine)• ジオメトリエンジン• 可変長の演算• 、、 半透明処理機能搭載• GTEの演算誤差(当時の半導体プロセスの制約から浮動小数点演算の実装は困難であり、高速化のために整数演算を用いている)の影響で、ポリゴンの間にPS特有の「継ぎ目」ができる。 またパースペクティブ補正処理を省いているため、テクスチャマッピングにも独特の歪みが出る。 他にも、法処理も省いているため、ポリゴンが循環的に重なると背面に隠れるはずのポリゴンが一番手前に現れる現象が起きる。 テクスチャバッファとして使用できるメモリが少なく、テクスチャ伸長の際にピクセル境界やバンディングが露見する部分をカバーするため、後期のゲームでは展開後のテクスチャにをかける手法が多用された。 後期PSではジオメトリエンジンのアーキテクチャを改良しており、そのためプロセッサも「GTE」ではなく「GTE-2」と呼ばれた。 画像伸張エンジン:MDEC• JPEGデコーダチップ。 動画再生エンジン兼テクスチャ展開。 Motion JPEG動画の再生能力は、320x240ドット時で秒間30フレーム。 これは動画再生を売りにしたと同等スペックである。 640x240ドット時は、秒間15フレームの再生能力となる。 ダイサイズ:128平方mm(初期型)• 集積トランジスタ数:100万個• 半導体製造プロセス:0. 最大 1677 万色(24 ビット)• :1メガバイト• CXD8514の場合は4Mbit60nsのVRAM2個、CXD8561の場合は8Mbit12nsまたは10nsのSGRAM1個• (PS oneの後期型)CXD9500QではGPUとSGRAMをワンパッケージ化• サウンドチップ:• 16bit• :最大44. 1kHz• 同時発音数:2. 0ch 24• 0ch出力(音楽CD再生時のみ)• :512キロバイト• スーパーファミコンのサウンド用「」の後継LSIである。 スーパーファミコンの「SPC700」は株式会社が開発していた。 :EDO DRAM 2メガバイト• 4Mbitチップ4個搭載のパターンと16Mbitチップ1個搭載のパターンがある。 色:最大1677万色• 表示画面:1面• :倍速CD-ROMドライブ• 、再生可能• 専用CD-ROMメディアの裏面は基本的に黒色をしている。 後面の端子は後述する型番により、搭載する端子が異なる。 新たな周辺機器や動作環境、動作方法を用いる事で実機が持っていた従来のスペックは当時の状況のみには留まらない。 年譜 [ ]• - 希望小売価格39,800円で発売、初回出荷10万台を完売。 1995年1月19日 - ソニー・コンピュータエンタテイメント・ヨーロッパを設立。 5月第4週 - 日本国内の生産出荷台数が100万台達成(同年内に200万台達成)。 なお、100万台達成はライバルのセガサターンが先に達成。 1995年 - 日本国内価格を29,800円に値下げ。 1995年9月9日 - アメリカで299ドル(約30,000円)で販売開始。 1995年9月29日 - ヨーロッパでプレイステーションが発売。 1996年5月末 - アメリカで販売価格を199ドルに値下げ。 1996年5月11日 - 会員のみ専用で開発機材としても使える"黒いプレイステーションとネットやろうぜ"が12万円で発売。 1996年6月22日 - 新型モデル(SCPH-5000)を発売し、本体は19,800円に値下げの発表。 1996年 - 世界で生産出荷台数が1000万台突破。 - 日本国内500万台達成。 1997年 - 日本国内1000万台達成。 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、から「PlayStation用ソフトウェアの販売について、小売業者に対し希望小売価格で販売するように、圧力を加えた」として独占禁止法に基づく排除勧告。 1998年 - 世界で3000万台突破。 1998年 - 世界で4000万台突破。 1998年 - 世界で5000万台突破。 1998年 - ポケットステーション発売開始。 1999年2月15日 - SCEJと東芝が次世代チップ、Emotion Engine(128ビット、コンピューターチップ)を共同開発。 - 世界で7000万台突破。 2000年2月1日 - プレイステーション・ドットコム・ジャパン設立• 2000年3月4日 - プレイステーション2発売• - 「PS one」発売。 2000年9月19日 - 北米で「PS one」発売。 価格は99ドル(当時で約10,000円)• 2000年10月26日 - 北米でプレイステーション2発売。 DVD再生機能が搭載済みでハードディスクの拡張ベイも付いているなど日本と仕様が異なる。 2000年11月24日 - 欧州でプレイステーション2発売。 2001年10月12日 - PS one 専用液晶モニターが14800円で発売。 2001年12月13日 - PS one 専用カーアダプターを発売。 - イマージョン社がPlayStation、およびPlayStation 2のコントローラ振動技術(バイブレーション機能)の特許権をめぐる訴訟を起こす。 2002年7月 - ポケットステーションの生産終了。 2003年5月11日 - アメリカで行われたE3のプレスカンファレンスにて、PSPの詳細スペックが公開。 日本国内のメーカー34社、43タイトルが明らかにされた。 - 全世界累計でPS oneも含めた生産出荷台数が1億台突破。 - イマージョン社との訴訟で、連邦地裁がソニー・コンピュータエンタテインメントなどに対し、アメリカでのPlayStationおよびの販売差し止めと約9,070万ドル(日本円で約96億円)の損害賠償を命じる判決。 ソニー・コンピュータエンタテインメントは再審理を請求。 2005年 - 3Dゲームの技術進歩に大きく貢献したとして、技術・工学エミー賞()を受賞。 - イマージョン社との訴訟で、再審理請求が棄却。 - PS oneの生産終了をもって初代規格のPlay Stationマシンの生産終了。 - イマージョン社との訴訟で、請求金額に応じる形で和解。 和解金は非公開。 - アフターサービス受付終了。 5W 9. 8W 9W 9. 5W 9W 6. 5W 質量 1. 4kg 1. その違いは主に入出力端子の有無によるものだが、ハードウェアの内部が変更されたことによるものもある。 ソニー・コンピュータエンタテインメントは、型番による動作の違いはないとしているが、実際には1996年以降のバージョン「SCPH-5000」以降、グラフィックスの処理能力が向上したり、バグが改善されたり、逆に新たなバグが発生したり、動作しないゲームソフトが発生したりしている。 そのため、古いハードウェアでは正常にプレイできないゲームソフトが数百タイトル存在する。 型番は SCPH-XXXYの形式で付けられている。 ここでは XXXが型式、 Yが発売地域を表している。 コンシューマー向け [ ] 特記がない場合、日本における概要について記述する。 SCPH-1000 1994年12月3日発売。 初代型番。 39,800円で登場。 日本では「イチ・ニ・サン」の掛け声のCMが放映された。 発売日は、ワン、ツー、スリーの語呂とともに大安吉日であるところから12月3日となった。 北米地域用 NTSC U/C 型の裏面ビデオ端子、S端子、外部電源端子、端子が装備され、ビデオ端子ケーブルが同梱。 通気口が少なく、長時間の稼動で熱暴走を起こすことがあった。 内部のソフトウェアにいろいろと不具合があった。 SCPH-3000が発売され値下げされた後も市場に出回っており、後期は29800円で購入できた。 ディスクが純正品かつ、日本市場用であるかどうかのCDチェックが1回しかなく、PlayStationロゴが表示されたタイミングで無理やりゲームソフトを入れ替えることによって海外のゲームソフトやCD-Rにバックアップ(コピー)したソフトが簡単に起動した。 北米向けに発売された最初期型SCPH-1001はこのSCPH-1000とほぼ同じ物である。 SCPH-3000 1995年7月21日発売。 29,800円に値下げ。 ほとんどの店で実売価格26,800円に統一された。 S端子が削除される。 通気口が改善される。 北米地域用 NTSC U/C 型 SCPH-7501の裏面描画に使用される画像処理プロセッサ「GTE」がバージョンアップ。 (フォグ)のかかり具合が違う。 この型番以降は基板が変更されの仕様も変更された。 CDチェックの回数が2回に増え、海外用のソフトやコピーソフトが起動しづらくなった(ただし、一部ロットにはSCPH-1000と同等の基板のものが混じっており、それに当たるとSCPH-1000と同様の方法で起動するものがあった)。 その結果、闇市場において「」が開発され、日本国内でも出回ることとなった。 しかし根本的な解決方法とまでは至らず、などの「製品自体は純正品だが、ゲームデータは後ほど読み込ませる」形式のメディアを用い、無理やりゲームソフトを入れ替えるとバックアップCDが起動してしまう状況だった。 SCPH-3500 1996年3月28日発売。 24,800円に値下げ。 の『』の発売に合わせ、「ファイティングボックス」と銘打ってコントローラ2個が付属(通常は1個)。 SCPH-5000 1996年6月22日発売。 19,800円に値下げ。 PAL 型 SCPH-9002の裏面5000番以降はバグをなくすとして、さまざまな目立った改良が施されているため、この型番の登場以降のゲームソフトは、その弊害で3500番台以前のハードウェアでは不具合を起こすゲームソフトがまれにある。 バックアップCDの起動、海外版起動の起動対策として本体のオープンスイッチの機構が改良され、またセキュリティも上昇。 一部のチートツール等が利用できなくなった 一部ロットに5500番以降で搭載されている新型のGPUが搭載されているものが存在する。 次の日の6月23日にはライバル機のNINTENDO64が発売されている。 なお、このSCPH-5000までのPlayStationはCD-ROMドライブの読み取り(ピックアップレンズ)部分の設計の欠陥により、ピックアップレンズが随時動くことによるレールの磨耗によりピックが沈み込み、データをきちんと読み取れなくなってしまうという欠陥があった。 そのため、SCPH-5000、あるいはそれ以前の型番のプレイステーションを重用するユーザーは、本体を縦に立てて置く、裏返して置く、斜めに傾けるなどの延命策を講じていた。 SCPH-5500 1996年11月15日発売。 ビデオ端子(RCA規格)が削除され、新たに出力端子から各種専用ケーブルによる出力となる。 ビデオ端子がないテレビのRF端子に接続して映像を映すための(DC出力端子)も削除された。 「PU-20」という基板になり、メインメモリの変更やGPUなどがバージョンアップされ、画質と処理能力が若干向上。 発熱も殆どなくなった。 CD-ROMドライブの読み取り部分の設計が改められる。 これにより、縦置き術などの努力が不要になる。 また、日本以外のアジア市場向けのPlayStationも発売された。 SCPH-7000 1997年11月13日発売。 18,000円に値下げ。 それまでのコントローラに代わり、振動機能付き「」を同梱。 画像処理プロセッサ「GTE」が「GTE-2」にバージョンアップ。 ポリゴン描画性能が向上する(ただし、ソニー・コンピュータエンタテインメントの公称では変わっていないとされる)。 SCPH-5500にて改善されたCD-ROMドライブの読み取り部分の設計が再度見直され、更に改良されている。 音楽CD再生機能が更新され、新たに『サウンドスコープ』というがハードウェアに搭載される。 これは1997年に発売されたゲームソフト『』の一部機能を取り込んだものである。 2チップ構成だったCDコントローラを司るが1チップに集積化。 SCPH-7500 1998年12月1日発売。 15,000円に値下げ。 サウンドCPUとCDコントローラの2チップが統合されて1チップに集積化。 SCPH-9000 1999年5月28日発売。 外観はSCPH-1000と変わらないが、内部の基板はそれまで幾度の改良・再構成を経て最終世代に近づいていた時期でもあり、SCPH-1000の半分程度の大きさにまでシュリンクされている。 この機種より端子が削除された。 日本では最後までこの端子を利用した周辺機器が開発されなかったためであるが、非公認メーカーによるゲームのデータを改造するツール、または違法コピーCDを動作させるツールの接続端子として用いられる例が多かったため、そういった非公認ツールに対処するためとも言われる [ ]。 例、 PS PAR PSIO なお削除されたのは端子だけで、機能自体は基板に残ったままであったため、コネクタと配線を自力で付ければ使用可能。 SCPH-100() 2000年7月7日発売。 PS1世代最後のハードである。 希望小売価格15,000円(2001年9月12日に9,980円へ、2002年5月16日にオープン価格へと改定)。 1994年の発売時から変わっていなかったハードウェアの外観が一新され、小型化。 体積比は従来機の約1/3まで縮小。 色はライト・グレー。 2001年度、グッドデザイン賞を受賞した。 丸みを帯びた暖かみのあるデザインは女性にも好評だった [ ]。 内部的な性能・機能はSCPH-9000と同等。 SCPH-1000で付いていた数多の外部端子も殆ど省かれ、電源入力と映像出力のみになってしまった。 登場時期が「」の発売と前後していたこともあり、ユーザー間にはPlayStation 2に搭載されているいわゆる『ワンチップPS』を使用しているのではないかという憶測があったが、(文字通り)蓋を開けてみればほとんどSCPH-9000そのものであった。 以前までハードウェア内部に搭載されていた電源部分は内部から除外され、による駆動に変更された。 ACアダプター駆動となったため、自動車の電源で駆動するためのカーアダプタも発売された。 SCPH-5903 1997年発売。 日本以外のアジア圏では「」の文化が栄えており、東アジアや東南アジア市場で展開するため、それに対応しビデオCDも見られるようにしたもの。 本体は白色で、本体の右上に「Video CD」の表記がある。 ソフトウェア再生ではなく、専用のMPEGデコーダを搭載している。 ビデオ端子がAVマルチ端子に一元化されたSCPH-5500が発売された後の機種ではあるが、本機種のビデオ端子はSCPH-5000以前と同じく、RCAピン端子を装備する。 開発者及び出版社向け [ ] DTL-H1000など 開発用のSCPH-1000などに相当する。 DTL-H1200など 開発用のSCPH-3000などに相当する。 通称「リビジョン-C」と呼ばれ、ライセンシー(ライセンス契約した法人)は前記のDTL-H1000と、両方で正常に動作することを確認させられる。 本体が緑色だったため、「 緑ステ」("みどすて")と呼ばれることもある。 DTL-H2000 CPU2ボードにはCPU GTE とGPU,SPUが、またPIOボードにはCD-ROM用制御LSIが実装されている。 GPUと画像出力回路のみ実装されている。 GPUと画像出力回路のみ実装されている。 DTL-H3000 「」用。 「ネットやろうぜ! 」とは、ソニー・コンピュータエンタテインメントが一般人に向けてを提供するシステムで、12万円でされた。 国籍がかかっていないため、日本国内のゲームソフトだけでなく、日本以外で販売されたゲームソフトも動作する。 募集締め切りの後、現在は学校関係者にのみ8万円で販売されている。 黒い外観から「黒ステ」と呼ばれることがある。 なお本機器についてはメーカー向けの開発機材ではないためコピーCDやリージョンが異なるソフトの起動は行えない。 本シリーズはソニー・コンピュータエンタテインメントとPlayStation専用ソフトウェア開発における契約した法人(「ライセンシー」。 サードパーティーやゲーム開発会社などが該当) 、ゲーム関連業務を行う出版社のみが同社から直接提供されるものであり、門外不出。 本体裏に通し番号があり、売り払ったりすると誰が売ったか分かる仕組みになっている。 開発用なだけあり、CD-Rにコピーしたソフトを動かす事が可能。 本体の色が一般の灰色と違い、青色だったため「 青ステ」と呼ばれることもある。 また、販売価格も非常に高額となっており、万が一破損した場合についてのサポートも販売した会社、関連会社以外からの依頼以外は一切受け付けて居ない。 本体形状がコンシューマー向けのものと同じで本体色が異なるPlayStationは「デバッギングステーション」、「デバステ」と呼ばれることがある。 これはゲームソフトを開発するために設計された機種であり、世代ごとの動作やコネクタ有無も含め、コンシューマー向けのPlayStationとは機能が大きく異なる。 インターネットオークションや店頭にてデバステと称した品が販売されていることがあるが、本来では一般市場に流通するものではなく、一般向けの機材にMODチップ搭載などの改造を施して塗装し直したものが存在するために注意を要する。 前述の通り開発機器には1台ごとに番号が振られており、背面シールに型番と製造時期、通し番号が記載されている事からある程度推測は可能。 シールにSCPH-xxxxと記載されていたり、製造時期やシリアルが記載されていなかったりするものは確実に偽物• ネットやろうぜ! の機材一式 互換機種 [ ] PlayStationのは家庭用のみならず、機としても活用された。 PlayStation互換及びPlayStation上位互換の業務用システム基板は大手ゲームメーカー各社で採用され、業務用ゲームの家庭用への移植に貢献した。 株式会社• (『』、『』など)• 株式会社• (『』など)• 株式会社• (『』、『』、『』など)• (『』)• 株式会社• (『』、『』、『』など)• デジタル入力のみのコントローラ。 海外版と異なりケーブルが短く、日本人に合わせて外形寸法が小さい。 SCPH-1020 ゲームのセーブデータを保存しておくための。 記憶媒体として1Mbit(128KB)のを採用している。 保存領域は15ブロックだが、PS2のメモリーカード管理画面では消費容量が1ブロック辺り8KBで表示されている。 それによると8KB(1ブロック)が未使用になるが、これはメモリーカード自身のデータ管理用の領域で1ブロック消費されているためであり、それも含めて16ブロック、128KBの記録領域がある。 SCPH-1030 マウスセット 1994年12月3日 PlayStation規格ソフト専用のボール式2ボタンマウス。 マウスパッドもセットに含まれる。 PlayStation 2規格ソフトには使用できない。 SCPH-1040 対戦ケーブル PlayStationを2台接続して対戦ができる。 2台のTVを使用することが前提となる。 PSoneやPlayStation 2には使用できない。 SCPH-1050 RGBケーブル 1995年3月17日 音声・映像を出力するためのケーブル。 端子付きのテレビで利用できる。 PlayStation 2でも使用可能。 SCPH-1060 RFUアダプタキット 1995年3月17日 音声・映像を出力するためのケーブル。 RF出力でアンテナ線に接続できる。 SCPH-5500以降の本体には使用できない。 SCPH-1070 1995年11月22日 PlayStation規格ソフトを3人以上でプレイする際に使用する。 PlayStation 2規格ソフトには使用できない。 形状はL字型。 コントローラを4つ接続できる。 PlayStation 2用のものは使用不可。 SCPH-1080 コントローラ 1996年4月2日 SCPH-5000シリーズの本体に付属。 SCPH-1010の改良版。 コードが長くなり、接続部近くにノイズフィルターがついた。 機能的には変わらないと公開している。 SCPH-1090 マウスセット(ロングケーブル) 1998年5月7日 SCPH-1030の改良版。 ケーブルが長くなっている。 SCPH-1100 S端子ケーブル 1995年11月22日 音声・映像を出力するためのケーブル。 S端子付きのテレビで利用できる。 SCPH-1110 アナログジョイスティック 1996年4月26日 向けにアナログスティックが2本ある大型の。 SCPH-1120 RFUアダプターキット 1996年11月22日 RF出力をするためのキット。 SCPH-1130 電源ケーブル PlayStationに電源を供給するケーブル。 本体に付属。 本体に付属。 SCPH-1150 アナログコントローラ 1997年4月25日 アナログスティック2本と、振動機能を搭載している。 のちに発売された「デュアルショック」と形状は似ているが、グリップのサイズがやや大きい。 また、コントローラの振動機能に強弱の区別がない。 SCPH-1110の互換モードを持っている。 SCPH-1160 AVアダプター PlayStationを通常のAVケーブルでテレビに接続することができるキット。 SCPH-5500以降の本体にガンコンを接続する際にも使用する。 SCPH-1180 Analog Controller 日本未発売。 アナログコントローラに似ているが、振動機能未搭載。 SCPH-1150にあったSCPH-1110互換モードは省かれた。 SCPH-1210 メモリーカードケース 1998年3月19日 メモリーカードを収納するケース。 当初はメモリーカードとセットであったが、後に別売りになり、その時に型番がついた。 SCPH-3000 PlayStation 1995年7月21日 本体。 詳細は「」を参照 SCPH-110 アナログコントローラ PS one付属のコントローラ。 基本のボディカラーは本体に合わせた白。 コネクタ部分は丸みを帯びている。 (ソニー株式会社テレビ事業部)• ステレオテレビ(ソニー株式会社テレビ事業部)• 上記のAVケーブル一本で接続できる21型トリニトロンカラーテレビ。 他の機種でも接続出来るテレビはラインナップされているが、本品は特にゲームプレイに特化している。 スタイルもPlayStationのイメージに合わせている。 品番はKV-21SP1 他社発売 ライセンス商品 [ ]• 『チョーきれいだね! 』アップスキャンコンバーター SLPH-00016(WAKA製作所)• AVマルチ端子のRGB出力で31kHzの一般PCモニターへ接続用ラインダブラー• マルチアウト変換ジャック SLPH-00091()• 純正AVアダプターの廉価版とも言える商品。 ()SLPH-00001• コントローラーそのものをねじってアナログ入力できる。 レースゲームだけでなく、野球ゲーム『』などにも対応している。 ブラックネジコン(株式会社ナムコ)SLPH-00069• 新フォルム、新カラーリングのネジコン。 ジョグコン(株式会社ナムコ)• 「反発力」の再現を実現した、新しいタイプのコントローラ。 中央のダイアル部分が電気的に制御されて回転し、ステアリング操作とよく似た反発力を生み出す。 PS本体から電力供給がされるので電池不要。 (株式会社ナムコ)• ナムコの独自開発による銃型コントローラ。 映像出力端子を利用した、命中精度の高さが魅力とされている。 映像出力端子を持たないPS(型番:SCPH-5500以降)に接続する場合は、別売りのAVアダプター(SCE/標準価格1,200円)が必要。 ハイパーブラスター()• 『コックピットBIGショック』振動ステアリングコントローラ SLPH-00101(OPTEC)• 専用コントローラ()• 型番はSLPH-00051だが、以降発売の色替えバージョン及びワンハンドルタイプ等はSLPHはついていない(TCPP-200XX等の品番となっている)。 専用コントローラ(コナミ株式会社)• アスキーが発売したものの型番はASC-0515BM、コナミが発売したDJ Station PROはCT013と、どちらもSLPHはついていない。 専用コントローラ(コナミ株式会社)• 専用コントローラ(コナミ株式会社)• 専用コントローラ(コナミ株式会社)• ギターフリークス用がRU018、ドラムマニア用がRU021。 ドラムマニアはPlayStation 2用ソフトとして発売。 後にと同時発売された廉価版は型番の後ろに-J2が付く。 尚、ドラムマニア用のRU021-J2はスタンドがデスク用ミニ脚になっている。 『SANKYO N・ASUKA』パチンコハンドル型コントローラ SLPH-00007(ティー・イー・エヌ研究所)• TWIN JOYSTICK ツインジョイスティック BLAZE• 専用コントローラ() PlayStation Classic [ ]• 後継機に対するとして。 ただし、一部のテレビCMなどでは「プレステ」という表現が使用されている。 初心会は後に別名で復活するが、その影響力は皆無に近くなった• ローディング速度に関しては、同時代のCD-ROM機『』と比較すると顕著• 実際はブロック内の実データは消去されず、削除処理にしたブロックを未使用領域として管理用ブロックに認識させた上で、該当ブロックをロード不可・上書き可能の状態にすることで、他のセーブデータの書き込みができるようにしている。 参照:。 管理ブロック内のセーブデータ2ブロック目の参照設定がゲームBと設定されることで、そのゲームで遊ぶ際にセーブデータ2ブロック目のタイトルをゲームBとして読み込む。 仮に管理データがセーブ中のリセット等によって参照設定がゲームAになった場合、セーブデータ2ブロック目がゲームBのままでもゲームAとして読み込む。 テクスチャ・半透明処理・シェーディングを施した時の実測値。 当時「 ハイレゾ」と呼ばれた出力処理「 ハイレゾリューション」という単語自体は技術の推移により解像度が上昇する事で、該当する対象が変化する事で現在も用いられている。 だが、RAM容量の関係からこの解像度のグラフィックをリアルタイムで動かす事は難しく、主に「一枚絵」と呼ばれる画像の表示に用いられた。 「ライセンシー」。 サードパーティーやゲーム開発会社などが該当。 対義語にはライセンスを許諾したメーカーを指す「ライセンサー」があり、ソニー・コンピュータエンタテインメントのことを指す。 出典 [ ]• SONY COMPUTER ENTERTAINMENT INC. Watch. インプレス. 2015年2月3日閲覧。 「第11章 CESAゲームアーカイブス」『2014 CESAゲーム白書』、、159頁。 IGN• ポリフォニー・デジタル. ポリフォニー・デジタル. 2015年2月3日閲覧。 ファミ通. com 2012年9月1日. 2012年9月6日時点のよりアーカイブ。 2019年10月22日閲覧。 Anigema トレビアンニュース. 2007年8月6日. 2010年6月22日閲覧。 赤木哲平『マルチメディアの覇者 熾烈をきわめる勝ち残り戦略』日本能率協会マネジメントセンター、1995年、p. 麻倉怜士『ソニーの革命児たち〜世界制覇を仕掛けた男たちの発送と行動〜』IDGコミュニケーションズ、1998年、p. 48,132、滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、p. ハドソンがソニーへ接触を試みたことがあるが、新ゲーム機の企画提案ではない(『』、滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年、p. 180-184)。 また「PCエンジンの成功を見たソニーは、ロムカセットの代わりにCD-ROMを用いたゲームを採用するように任天堂に提案。 」という仮説がネット上に掲載されたことがある(山田俊浩『』、2013年3月21日)• 山下敦史『プレイステーション 大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年7月15日。 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、pp. 44-48• 西田宗千佳『美学vs. 実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史』講談社、2008年、pp. 15-16• 山下敦史『プレイステーション 大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、p. 大賀典雄『SONYの旋律(私の履歴書)』(2003年 日本経済新聞社)• 馬場宏尚『ゲームソフト戦争』ぱる出版、1997年、pp. 108-111• 1990年代初頭、ソニーと任天堂はPSの原型となったゲーム機を共同開発する計画を進めていた。 だがハードのみを担当するはずのソニーが自前のソフトで試作品を実演したことに当時の山内溥社長が激怒。 共同開発はお蔵入りになった。 大賀典雄『SONYの旋律(私の履歴書)』(2003年 日本経済新聞社)• 馬場宏尚『ソニーが任天堂に食われる日』エール出版社、1993年、pp. 146-149• 2014年4月1日よりSMEJはになったため、本来の事業はSMLへ移管されることとなった。 大賀典雄『SONYの旋律(私の履歴書)』(2003年 日本経済新聞社)• 大賀典雄『SONYの旋律(私の履歴書)』(2003年 日本経済新聞社)• 西田宗千佳『漂流するソニーのDNA プレイステーションで世界と戦った男たち』講談社、2008年、p. 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、p. 西田宗千佳『漂流するソニーのDNA プレイステーションで世界と戦った男たち』講談社、2008年、p. 馬場宏尚『ゲームソフト戦争』ぱる出版、1997年、p. 133• 『参考までに、当時ソニーが発売していたスーパーファミコンの開発機材「NEWS」は2000万前後していた。 』という主張があるようだが、は、当初の最上位機種で275万円であり( )、あきらかに嘘である。 多根清史『プレステ3はなぜ失敗したのか』晋遊舎ブラック新書、2007年、p. 109• 多根清史『日本を変えた10大ゲーム機』ソフトバンククリエイティブ・ソフトバンク新書、2008年、p. 159• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、p. 115• 山下敦史『プレイステーション大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、p. 117• 山下敦史『プレイステーション大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、p. 123• 『パックマンのゲーム学入門』エンターブレイン、2005年、pp. 78-80• 西田宗千佳『美学vs. 実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史』講談社、2008年、p. 『』1996年2月26日号。 巻頭グラビア記事。 馬場宏尚『ソニー・セガ・任天堂 ゲーム機最終戦争』エール出版、1996年、p. 西田宗千佳『美学vs. 実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史』講談社、2008年、p. 山下敦史『プレイステーション大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、p. 171• 山下敦史『プレイステーション大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、p. 175• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、p. 114• 矢田真理『ゲーム立国の未来像 世界をリードするコンテンツビジネスのすべて』日経BP社、1996年、p. 女性のためのデジタルエンターテインメントペーパー 遊遊. 有限会社日館. 2001年10月24日• 産経新聞特集部『新ライバル物語 第2巻 闘いが生む現代の伝説』柏書房、2004年、p. 週刊ファミコン通信増刊 プレイステーション通信. 株式会社アスキー. 1994年12月9日• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、p. 141• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、pp. 126-130• 山下敦史『プレイステーション大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、pp. 39-40• 平林久和、赤尾晃一『ゲームの大學』メディアファクトリー、1996年、p. 109• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、pp. 135-136• 矢田真理『ゲーム立国の未来像 世界をリードするコンテンツビジネスのすべて』日経BP社、1996年、p. 109• 日経産業新聞編『ドキュメント知財攻防 著作権ビジネスを支配するのは誰か? 』日本経済新聞社、2003年、p. 149• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、pp. 135-136• 矢田真理『ゲーム立国の未来像 世界をリードするコンテンツビジネスのすべて』日経BP社、1996年、p. 168• 西田宗千佳『漂流するソニーのDNA プレイステーションで世界と戦った男たち』講談社、2008年、p. 山下敦史『プレイステーション大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、p. 188• (2011年7月18日時点の)• (2008年12月21日時点の)• 矢田真理『ゲーム立国の未来像 世界をリードするコンテンツビジネスのすべて』日経BP社、1996年、p. 168• 多根清史『プレステ3はなぜ失敗したのか』晋遊舎ブラック新書、2007年、p. 103• 山下敦史『プレイステーション大ヒットの真実』日本能率協会マネジメントセンター、1998年、p. 191• 西田宗千佳『漂流するソニーのDNA プレイステーションで世界と戦った男たち』講談社、2008年、p. 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年、pp. 175、193• 矢田真理『ゲーム立国の未来像 世界をリードするコンテンツビジネスのすべて』日経BP社、1996年、p. 176• GAME Watch 2001年12月4日• 「SIMPLE 2000シリーズ」100タイトル突破記念インタビュー 「SIMPLEシリーズ」生みの親、岡島信幸氏インタビュー] GAME Watch 2006年8月7日• サウンドノベル・エボリューション 弟切草 OTOGIRISO 蘇生篇 【公式ガイドブック チュンソフト編】. 株式会社チュンソフト. 20191225 1999年4月20日• 編 『プレイステーションクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2018年。 p27-30• 西田宗千佳『美学vs. 実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史』講談社、2008年、p. 編 『プレイステーションクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2018年。 p26• (GEIMIN. NET)(2016年11月1日時点の)• 1997年1月27日号、10-12頁(朝日新聞社、1997年1月20日発売)、P. 11-5段に流通関連が、P. 12-4段にスクウェア(当時)の映画的ゲームの取り組みが記載• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年• 編 『プレイステーションクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2018年。 p56• 週刊ザ・プレイステーション. ソフトバンク パブリッシング株式会社. 2000年3月10日• Gnn Web News Gnn Web News. 2019年12月6日. 2019年12月6日閲覧。 92-96• やなどによる(2007年6月26日時点の)• 西田宗千佳『美学vs. 実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史』講談社、2008年、pp. 114-115• 近藤良夫 NEC 「インタラクティブアニメ動画の再生とパソコンの接続性に特徴」『新世代ゲームビジネス』日経BP、1995年、p. 119。 PC-FXのハードウェア仕様より。 IT Media 1998年10月9日• GAME Watch 2002年7月19日• Mar 24th, 2006• 編 『プレイステーションクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2018年。 p61• 週刊ファミ通. 株式会社エンターブレイン. 20200103 1996年6月28日• 、報道資料、1997年5月29日 参考文献 [ ]• 編『新版 情報処理ハンドブック』(オーム社、1995年11月、)• 1997年1月27日号、10-12頁(朝日新聞社、1997年1月20日発売)• 麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年• 大賀典雄『SONYの旋律(私の履歴書)』(2003年 日本経済新聞社) 関連項目 [ ] ソフト一覧 [ ]• - 日本語版ウィキペディアに記事の作成されているタイトルのリスト(タイトルでの五十音順)• - 日本で公式発売された全タイトルのリスト(発売日順)• ハードウェア・周辺機器等 [ ] 本体製品• - 本機の小型版。 - 全製品において PlayStation との上位互換機能を持つ。 周辺機器• その他 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 (2015年11月1日時点の).

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下記から選んでください。

す から ps

たとえば、軽自動車の64PS規制は47kW規制になるし、以前あった280PS規制も206kW規制となるので、いまいちハイパワー感がなくてピンとこない。 7355kWでとなる。 PSと同様にエンジンのトルクを表す単位もkg-mからN・mへと変更された。 80665N・mなので、ほぼ10をかければいいので、こちらは比較的にわかりやすい。 天気予報で以前のミリバールからヘクトパスカルに変更されたのと同じだ。 日本で使われていた昔の「尺貫」もそうだが、単位というのは、国によって単位が異なることが多い。 馬力についてもpsはドイツで、フランスのHPやイタリアなどのCVなどがヨーロッパで使われていて、なかでもHPはPSと同じ「馬の力」を意味するものの、数値的にはわずかだが差があるのだ。 このような状態は確かに紛らわしく、他地域の人にはわかりにくいので、国際的に統一しようということで、kWへと切り替わった。 いまや、クルマは超グローバルなものだけに統一化には意味があるのは事実だ。 しかし、冒頭のようにkW表示を見かけるようになってから10年以上経つものの、今でも微妙に慣れない人はいるだろう。 このような単位の統一はさまざまなもので国際基準が導入されているが、世界的に見ると日本は律儀に守っている面も多かったりするのだ。

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[計算機] パワー/出力/馬力の単位換算 kW/PS/bhpを相互変換

す から ps

コンプレッサーやレギュレーター、ハンドピースの口金とホースの口金サイズが同じであればそのまま接続出来るんですけど、サイズが異なる場合には、接続ジョイントを使うと接続出来るようになります。 【 もくじ 】• ジョイント(3点セット)」。 ジョイント」を使った、ホースの組み合わせは下記のような感じです。 ハンドピースにPS(細)ホースを繋げるのに使えます。 他には、「Mr. ただ、圧力は若干上がります。 クレオスの「リニアコンプレッサー L5」と、タミヤの口径0. 3mmのハンドピース「HG エアーブラシ」で圧力を測ってみました。 9MPa。 PS(細)ホースを使うと圧力は0. ホースの径が小さい分、エアーが通りにくいので圧が上がり、逆に風量は下がってしまってるのかもしれないです。 高機能な水抜き・レギュレーターを使う場合、この変換アダプタが必要になる場合があります。 エアテックスからも同じような変換アダプタが発売されてます。 上記クレオスとアネシス岩田やエアテックスの接続ジョイントを組み合わせて使う事で、3つのサイズのホースを自由に組み合わせて接続出来るようになりますよ。

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